セミ
画・江嵜 健一郎
梅雨の晴間、昼前に例の更地にパトロールに出かけた。昨晩からしっかり降った雨のせいもあり、植物さんが元気に出迎えてくれた。
花も元気になるが同時に下草もそれ以上に元気になる。蔦にも油断できない。かわいい青い実を付けた南天や開花を始めたむくげにも目を離しているとたちまち巻き付いてくるので気が抜けない。
本日ハプニングがあった。金木犀の足元に足を踏み入れた時、突然、チッと鳴いてセミが飛び立った。よく見ると、数本に分かれた小ぶりの金木犀の幹の一つにあと一匹が止まっているではないか。セミに更地で出合ったのは初めてだった。
これは縁起がいい。絵心を大いに刺激されてスケッチした。抜け殻は見当たらなかった。羽化したあと間なしだったのか、セミは、しばらくじっとしていてくれたのは幸いだった。そのセミもアッと言う間にいなくなった。にいにいゼミだと思うが自信はない。
今年はグロリオサが咲き始めてから1か月近い。息長く咲いてくれている。グロリオサに一呼吸遅れてスタートした紅葉葵が赤ちゃんの小指大のつぼみを付けてきたので開花が近いことを教えている。
今年は桔梗が例年になく元気がいい。下草を取っていたら「桔梗が大好きなんです」とさるご婦人が通りから声をかけて来た。筆者のすぐ下の妹のことを良く知る方だと分かった。「妹もきっと喜んでくれると思う。彼女に伝えたいので、お名前を伺っていいですか」と問うと「Tです」と笑顔で答えてくれた。彼女に桔梗を二輪切ってフエンス越しだったが、渡すことが出来幸いだった。
「私もこちら様の花のファンなの」と今一人ご婦人が割り込んで来た。彼女にも同じように桔梗を二輪切ってお渡しした。「声をかけていただきありがとうございます」といつものように言って別れた。
この日は良く声がかかる。「また花が会はせてくれましたね」と先日会ったご婦人が「数日前ピンクのレインリリーが満開で、楽しませてもらった」と声をかけてくれた。花が仲立ちをしてくれるからこその対話なのだといつも思う。
「変なおじさんに声かけするな」と学校でも家庭でも子供の時から教えられるようになって久しい。「ありがとう」のたったひとことで雰囲気ががらりと明るくなることがよくある。声に出して気持ちを伝える効用は計り知れない。コロナがますます拍車をかけて日本全体を息苦しくさせているようで、誠に寂しいかぎりである。(了)