「宝船の豆本」を作ってみよう
画・江嵜 健一郎
「宝船の豆本」を作ってみよう。グラフィックデザイナーの藤沢和幸先生を講師に招いて西宮文化協会6月行事が西宮神社会館で令和4年6月22日(水)午後1時半から開かれ楽しみにして出かけた。会場の様子をいつものようにスケッチした。
はじめに西宮文化協会吉井会長から「今年は夏至の前日に梅雨入りしました。特別の年です。本日はグラフィツクデザイナーの藤沢和幸先生に「宝船の豆本」づくりをご指導願います。「宝船の豆本」を作れば福もどんどんやってくるのではないかと思います」と挨拶された。
次に西宮文化協会の堀内副会長から「藤沢先生は愛知県名古屋のご出身です。現在は大阪にお住まいで西宮中心にご活躍です。藤沢先生との出会いは西宮文化協会の展示会のポスターデザインをお願いしたのがきっかけです。本日は小学生時代に戻って楽しんでください。」と挨拶された。
今回の宝船の豆本作りに使う54枚の原画は白鹿記念酒造博物館に所蔵されている堀口コレクションから選ばれた。
弾正原佐知、白鹿記念酒造博物館館長から会場正面のプロジエクターに宝船の絵が映し出され解説があった。
「堀内コレクションは堀口副会長のお父さんが集められた宝船の絵です。堀内先生はお医者さんです。昭和38年(1963)から宝船の絵の蒐集をはじめらました。市場などに宝船の絵が出たと聞けばかけつけ蒐集された絵は600点以上になります。船の絵が多いですが絵柄は様々です。」と紹介、「笑う門には」の絵は、えべっさんの頭だけが船に乗った絵で「これです」と画面いっぱいに映した。
七福神はあるが7人全て美女で揃えた絵もある。中華船もあれば南蛮船もある。戦後煤煙で空が汚れていた時代の絵では、宝船で一気に吹き飛ばせと表現した。宝船の蒐集ブーム時代があった。有志がグループを作り競って集めた。
本題の豆本づくりがはじまった。大きなテーブルにひとりひとりたっぷり場所が取られた席に各人が座った。テーブルの上には豆本に閉じ込む絵が54点一枚の紙にコピーされて置かれていた。厚い台紙の横にカッターナイフと耳かきを大きく長く伸ばしたようなヘラが用意されていた。
まず参加者は会場奥の藤沢先生の周りに集まって基本的な決まり事、カッターナイフで手を手を切らないようになどきめ細かくアドバイスがあった。
絵は右左二枚セットにナイフを入れて重ねる作業から始まった。絵をカットする前に筋目を入れる時にヘラを使う。筋目を付けると重ね合わせた時にピタリ決まるからだ。藤沢先生は「そうです。それでいいです。」「お好みで自由にやってください」などと声をかけながら各自のテーブルを廻られた。
仕上げの段階で正面に集まり「本づくり」のまとめの心得を藤沢先生は話された。ヘラは糊付けに有効だと使っているうちに分かった。二枚の絵を表に向け二つ折りする。全てを束ねたあとトントンとテーブルに軽く打ち付けたあと糊付けに移る。つい糊をたっぷりつけたくなる。ところが実は逆だ。ヘラの先に糊を少しつけては、出来た束の背に、静かに、しかし、丹念に刷り込むことが成功の秘訣だと分かり大いに納得した。糊が乾くまでじっくり待つことが大切だと藤沢先生は話した。
藤沢先生は表紙用にいろいろな図柄を用意されていた。濃い燕地に金泥の唐草模様の用紙を一枚選び仕上げた。
たかが「豆本づくりと言うなかれ、されど豆本づくりである」。自分なりに仕上げた「宝船の豆本」を内懐にいれて、福が来ますようにと、ルンルンで帰路についた。
貴重な機会をご用意いただいた西宮文化協会事務局の皆様にひたすら感謝である。(了)