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「天智天皇」:倉本一宏氏講演会風

2012-05-28 08:57:35 | スケッチ


「天智天皇」:倉本一宏氏講演会風

江嵜企画代表・Ken



NPO法人国際生涯学習文化センター主催、「歴史に学ぶ学問塾」
シリーズ第1回「天智天皇」の話しを、25日午後7時から約1時間半、
倉本一宏、国際日本文化研究 センター教授教から聞いた。

会場の様子をいつものようにスケッチした。後ろ姿のおつむだけで
判断出来ないが、圧倒的に同世代のお年寄りだったのは残念だった。
主催者センターも若者には無料招待の便宜を図っているが、余程の
人間でないと、時間を割いてまでこの手の話を聞きに来ないのであろう。

「天智天皇」と呼んでいるがご自身は、亡くなるまで、そう呼ばれて
いることはご存知なかった、という講演冒頭の倉本教授の言葉が
新鮮だった。葛城の王子と呼ばれ、中大兄王子そのひとである。
天智天皇と言えば即「大化改新」とくるが「乙巳(いっし)の変」
(西暦:646)のことである。「壬申(じんしん)の乱」(同672)
とくらべれば「乙巳の変」では知られていない。天皇という呼び名も
あとで付けられたという。教科書の「刷り込み」は怖ろしい。

倉本先生の話しの中には、いろいろな説があるという言葉が
何度も出て来た。さまざまな学説があるからだろう。馬子にしろ
入鹿にしろ、蘇我一族が全て悪者かというと、そうではない。
特に国際情勢に鋭敏な有能な人物群だった。中大兄王子の妃は遠智姫、
姪姫(共に馬子の孫:石川麻呂の娘)、常陸姫全て蘇我馬子直径の
一族であると話しておられた。

一時間半の講演は小文ではとても書ききれない。白水江の戦(663)で
大敗する。しかし、中大兄は、「自ら国内改革の好機と捉えていた」と
いうくだりは印象に残った。白水江の戦いの9年後に起こった
「壬申の乱」では白水江で戦った豪族の名はほとんどない。
次なる改革に邪魔になる豪族による障碍を戦争によって取り除く
事が出来たと解釈できると話しておられた。

ただ、自己の死後、地方豪族の勢力削減が、近江朝廷の勢力を
弱め、壬申の乱によって壊滅することまで、さすがの有能な
中大兄も見通せなかった。

日本では戦争という言葉に触れるだけで毛嫌いされる。
歴史というものは、すでに起こった結果から遡って、考えては
いけない。その時点その時点における知識と歴史条件の範囲で
考えなければならない。戦争というのは外交の一分野、外交の
一つのやりかたで、敢えていえば、外交は政治の一ジャンル、
政治は文化の一類型ではないかと倉本氏は指摘しておられた。

当講座は「天智天皇」のあと「平将門」、「足利義満」、
「豊臣秀吉」、「坂本竜馬」、「明治天皇」、「吉田茂」
七人のサムライたちシリーズである。国際生涯学習センター
学問塾(06-6764-1282)へご関心の向きはコンタクトいた
だければありがたい。(了)


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