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[七福神,酒ミュージアムに集う」、堀内先生生誕100年 堀内副会長と語らう思い出話、西宮文化協会1月行事(スケッチ&コメント)

2025-01-15 09:37:04 | スケッチ
画・江嵜 健一郎


西宮文化協会一月行事の一つとして白鹿記念酒蔵博物館見学会が令和7年1月8日(月)13時半から開かれた。今回は「堀内ゑびすコレクション展示見学に加えて収拾された堀内冷氏の生誕100年を記念して令氏のご子息の堀内陽光氏と禅正原佐和館長との対談があり楽しみに出かけた。
 
吉井昭良文化協会会長挨拶のあと対談が始まった。まず禅正原館長が質問し堀内副会長(以下堀内さん)が答える。会場正面に堀内冷氏の自宅の庭や若い頃などの写真が次々映される。その都度、堀内さんが答えるスタイルで対談は進行した。
 
禅正原さんが「堀内副会長と父上とよく似ておられます」と言葉をはさんだあと会場に映された堀内冷氏が平成3年(1991)67歳の時、西宮神社十日ゑびすでの顔写真を入れて会場の様子をスケッチした。堀内さんは「性格は似ていないすが」と言葉を添えた。
 
堀内家は武田信玄の流れをくむ。西宮に生まれ、しばらく和歌山の熊野歩道にある竜神温泉の近くに住んでいた。西宮に戻り西宮市立幼稚園保育證書、甲海尋常小学校卒業證書が残している。庭の大きな梅の木の傍にたたずむ写真に堀内さんは「離れに住んでいましたが子供心にも大きな庭だったことをよく覚えている」と答えた。神戸一中を昭和18年3月卒業證書がある。医師を目指した。西宮文化協会会長になった。そのころからゑびすさんゆかりの宝船を集中的に収拾した。書き物も多く残した。「残すことは未来に続けることだ」と言っていたとの堀口さんの父を語る言葉が印象に残った。
 
残した書き物に正月行事について触れている。「昔は上流でないと餅はつけなかった、」と書き残している。「父方と母方とで豆腐の料理も違った。不思議だなと子供の時に思ったことを覚えている」と堀口さんは話した。
 
エピソードの中で酒井昌伯元永の墓石を見つけた話しでは「見つけたのは僕です。無縁仏さんの墓が積み上げられていた。6段目か7段目かで見つけた。大人は登れませんから。」と堀之内さんは話した。
 
母方の叔父の深山家も医者の家系でいまも阪神深江駅近くで医院を開業している、深山廣三郎は本庄村の村長をしていた。天然痘発明者の二番弟子だとの話も出た。
 
約1時間の対談の後、「堀内ゑびすコレクション展「七福神、酒ミュージアム」展会場に移動した。
 
七福神はゑびす、大国、毘沙門天、弁才天、布袋、寿老人、福禄寿。人々に福をもたらす神様の集まりですと会場に説明が出ていた。仏教の七難即目滅・七福即生が由来。死後の極楽浄土行きではなく現世での繁栄や幸せ、特に裕福さが求められた。
 
七福神はそれぞれ人間味あるユーモアあふれた姿で表わされているが集団になると幸せパワーはさらに倍増するとあった。七福神を乗せた宝船の絵は初夢を願って枕の下に敷かれた。
 
楽しい機会を準備いただいた西宮文化協会事務局にひたすら感謝である。(了)









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