「神戸風景今昔」三宅康夫写真園風景
江嵜企画代表・Ken
月曜から二日続きのぽかぽか陽気に誘われて、火曜日の3月17日、
神戸へ出る機会があり、たまたま神戸元町通り三丁目にあるギャラリー
Miyakeで開かれている「神戸風景今昔」、三宅康夫写真展を訪れた。
70年前の3月17日、神戸は犠牲者8,000人以上を出したと伝えられる
大空襲に見舞われた。会場には戦争の前と戦後の元町3丁目界隈の様子を当時
ミヤケカメラ店主、三宅康夫氏がカメラに収めた中から20数枚の写真が
展示されていた。
筆者が神戸で戦災に遭った話を会場ギャラリーにおられたさるご婦人と
話していた時、なんと、ギャラリー奥の部屋から一体の人形を出してこられ
「これは私の父です。私が作りました。」と我々夫婦に紹介いただくハプニングが
あった。
先ほどまで話していたご婦人は、実は現ギャラリーMiyakeのオーナー、
藤原操さんだと分かった。話に花が咲き、次回人形の個展を開くときには
案内したいので是非筆者の住所を書いて欲しいというのである。
藤原さんの父上の三宅康夫氏は6年前に他界された。88歳だったそうだ。
大正9年生まれという。祖父は建具店を今ギャラリーのある同じ場所で開
いておられた。父上はカメラ店、そして今は娘さんの藤原操さんがギャラ
リーを経営しておられる。まさにファミリーヒストリ―の一端を知らされた。
ご縁と云うのはつくづく不思議だと思う。偶然だという人もいる。
その一方で、あらかじめ約束されていた必然だという方もおられる。
歳を取ったせいもあろうが、最近とみに後者に味方するようになった。
実はこの日の当初の目的は元町4丁目のピアノピアノという画廊で遠縁の
Kさんの作品展を見ることだった。作品展で偶然出会ったさるご婦人と、
帰路、路上でばったり再会、「神戸風景今昔」の写真展はなかなかよかったと
言い残して通り過ぎた。彼女と再会していなければ、先のギャラリーMiyake
での出会いはなかったであろう。
神戸を襲った70年前の3月17日の大空襲では阪神青木駅前の祖父母の
自宅に避難していて筆者は難を逃れた。3月17日の大空襲の後、祖母が
神戸三宮にあった自宅の焼け跡を見せに当時7歳の孫の筆者を連れてきた。
祖母のお蔭で今も当時の情景が目の奥に焼き付いている。
神戸大空襲70年後の3月17日の不思議なご縁は、きっとご先祖さんが
用意してくれたに違いないと感謝している次第である。(了)