住吉宮町遺跡現地説明会風景
画・江嵜 健一郎
旧住吉幼稚園跡地で住吉宮町遺跡調査が今年2月末にはじまってから自宅マンションの窓から毎日工事の進捗状況を遠望していたが一段落ついたのか7月30日(土)午後1時半から神戸市文化スポーツ局文化財課による説明会が開かれ楽しみにして現場見学に出かけた。
今回の調査では鎌倉時代の大型堀立柱建物、奈良時代の石組み水路、飛鳥時代の建物群などが地層の上から順番に発見され収穫の多い発掘調査だったと説明があった。
惜しむらくは調査が終われば埋め立てられ、あとに住吉学園によりだんじり倉庫とマンションが建つ予定になっている。
説明によれば①5世紀に造られた方墳1基、②5世紀から6世紀前半頃の方墳4基,③それらより新しい6世紀の低墳丘2基の墓が同時に全部で7基見つかったという。スケッチ左正面が①の方墳である。墳墓の周りにきめ細かく詰めて石が積み上げられている。画面右奥へ時代の経て、石がまばらになる様子が分かった。
方墳の周りが整地され新たに墓を作ったことが分かった。その間100~150年経過していたとみられるが、最初の墓の埋葬者の子孫と思われる。つながりを持ちづづけたいとの気持ちの表れと見られるが、そのことが今回の調査で確認できたことは極めて画期的と評価していた。
手前の方墳1基からはわずかだったが人骨が残っていた。骨の詳細な調査は終わっていない。木棺に埋葬されていたと見られる。方墳の表面に見える円形のくぼみは柱の跡である。祭祀場所と見られる。祭祀用具も見つかったと聞いた。
住吉宮町古墳はJR神戸線住吉駅北側から発見された前方後円墳の「坊が塚古墳」をはじめ国道2号線をまたいだところの住吉東古墳群そして今回本住吉神社西に隣接した旧住吉幼稚園跡地まで広範囲に及んでいる。
子供さん連れの見学者も大勢おられた。またとない機会に子供たちの目に触れさせる意味は大きい。本で学ぶことも大事だが自分の目で最古代の古墳跡を見ることが出来たことは子供たちの財産になることは間違いない。午後1時半から3時までだったが、炎天下にも関らず、時間終了まで見学者の長い列が続いていた。
ほぼそのままの形で出土した高さ50センチ大の埴輪が3基展示されていた。六甲山から大阪湾に流れる住吉川の氾濫で埋没、外見で1メートル半以上高く堆積した土砂に幸い守られたとみられる。
自宅マンションと旧住吉幼稚園跡地との道幅が広いのは昔、住吉川の支流の一部が流れていたためと言われる。今回の調査は旧住吉幼稚園跡地のほぼ南半分の調査だった。調査済みの場所を埋め戻した後北半分の調査を行う。何か新しい発見があれば再度説明会があるかもしれないが今のところ未定だと係の人が話していた。
近くの本住吉神社や阪急御影駅近くの弓弦羽神社は天皇の妃である神功皇后ゆかりの神社とされる。6世紀にはいるとヤマト政権が地盤を固めてゆく。住吉宮町古墳はヤマト政権を支えた豪族たちの力の証と見られると説明会会場で配布された資料にあった。
1,500年を優に超える以前の歴史の一端を図らずも目にすることが出来ラッキーの一語に尽きる次第である。(了)