★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

清明社を訪ねる(長野の神社2)

2017-12-31 18:25:50 | 神社仏閣
木曾町福島に清明社あり。



上の段の街。不思議なことに昭和時代よりも古風になっt



ありました。この神社は安永5年に大通寺内、明治5年に水無神社に遷座、安倍晴明没後千年の平成16年にここに落ちついた。神仏習合とかいうても弱小神さんたちが盥回しにあっているだけの可能性があるのであるが、……それはともかく、ご神体はどこかの山伏がもってきた幣束で「これをご神体にせよ」とか置いて行ったものだそうだ。どうみても、山伏氏の無賃宿泊のにおいがプンプン

しかし、清明の墓というものが木曽町にはちゃんとあるのである。バス停の名前にもなっているのだ、これは大きなエビデンスといへよう。レニングラードとかスターリングラードがあったからといってレーニンやスターリンがいなかったという人はいないであろう。それと同じだ。





一間社流造。なかなかの彫刻がある社であった。



額には「清明霊神」とあって、これは山村代官の11代目良熈の字らしい。代官も忙しいですね。


最新の画像もっと見る