神社明細書によると、有馬天神社は昔々の天元2年(979)にできたらしい。京都の菅原道真のあれであって、それ故か?そのあとの平安時代は荒れ果てていたらしい。そろそろ平安も終わりの頃なんか大洪水とかもあったのだ。建久3年(1192)に再建されたが、結局位置的に温泉の鬼門除け神社として機能していたらしい。
というか、この有馬温泉の辺り一帯が、なにか釜ゆで的地獄みたいな感じがして鬼も早々に帰宅するようなきがしないでもないのだ。
ひっそりと小さい神社も寄り添っている。
本殿。
いい顔である。
お金にまみれて身動きがとれない。
神仏習合してたから蘭若院阿弥陀坊が傍らにあったらしいが、寛正4年(1463)4月13日に火事で焼けた。同年6年(1465)仮殿建設。がっ、明治5年に例の分離政策で無住となり寺院廃止。なんだかんだあって、敗戦。しかし、生きよ墜ちよの風の吹く昭和23年(1948)、「温泉の湧出量減少に依り境内地に源泉を掘り、以来80余度の温泉の湧出を得」たらしいのだ。
富岡は、魚屋を本業にしてゐる男が、若いおせいと同棲する為に、この伊香保の温泉町に住みついた気持ちが、何気なく唄はれる林檎の唄声に乗つて、心のなかにしみじみと判るやうな気がした。おせいは泳ぐやうなしぐさで、向う側へ行き、さつと上つて行つたが、大柄な立派な後姿が、富岡には、いままでに見た事もない美しい女の裸のやうに思へた。矢も楯もなく、富岡はおせいの裸が恋しかつた。後姿に嗾かされた。いきなり、富岡もその方へ泳いで行き、おせいのそばに上つて行つた。湯殿の廂を掠める、荒い夜の山風がぐわうぐわうと鳴つてゐる。
「背中、流しませうか?」おせいが云つた。
――林芙美子「浮雲」
温泉がでてくる不倫小説とか、世の中に腐る程あるのであり、戦後にもたくさんある。映画、林芙美子の「浮雲」なんか、高峰秀子様が初の裸体(半分)で出現、「みだれる」でも若大将がなんか死んでいた。戦後の苦労のなかで何か温泉に入って人生やり直す機運でもあったのか。人間うつむき加減でいるときにはやはり掘り当てるのである。昔、神代の時代にもひどい戦争の後、うつむいて穴でも掘っていたらお湯が出たのかも知れない。