最近図書館から借りてくる本は詩歌が多い。
先週は詩の本を2冊。
「グレート・マザー・ランド」葉祥明(著)学習研究社(刊)
「こころのワンダーランド」葉山祥鼎(著)学習研究社(刊)
二人は2歳違いの兄弟で、南阿蘇を故郷とし兄の葉祥明は、画家・絵本作家・詩人。
弟の葉山祥鼎は、童話作家・エッセイスト・写真家として活躍している。
この2冊の詩集に共通の写真は弟の作品で、阿蘇の四季折々の風景が背景として描かれている。
(南阿蘇)
これは先日阿蘇に出かけた折に私が写したもの。
かの兄弟の思い描く故郷の姿でも写真でもないと思う。
一人一人の思い描く故郷の風景には違いがある。
そこでふと、我がマザーランドと言える風景に思いを致すこととなった。
先日お盆のお墓参りのついでに寄った道の駅で、子供の頃から見慣れた風景に、ついカメラを向けてしまった。
(鞍岳)
子供の頃の校歌にも出てくる山で、ある意味母なる山とも言える。
(八方ヶ岳)
故郷の山というには少し遠いが、集落の高台に上がればこの2つの山はセットで見える。
道の駅ではカメラを45度ほど左に振っただけである。
この一枚は、一緒にメモリーに残されていたもの。
何の変哲もない、ただの林だが実はお墓の直ぐ横の雑木林とその手前に植えられた桜の木々。
この林の横の墓地で、先祖が眠っている。
土葬が当たり前の時代からなので、一人が亡くなると一つ穴を掘って葬るということの繰り返しで、次第に墓地は広くなる。
さすがに火葬の時代になると墓地の地籍の問題もあり、土葬も火葬にして再埋葬することが行われた。
我が家も幾つかあった墓を一つにまとめた。
地震で倒壊したときは、骨壺の全てを車に積んで自宅に持ち帰り、お墓の再建までの間仏壇の前に安置させて貰った。
どういうわけか、その間は沢山の先祖の夢を見た。
ある意味、もっとも先祖を近く感じた期間だった。
山懐に抱かれた村々と、何処とも説明のしようもない林の一角が私のマザーランド。
再建した墓の建立者には、私のマザーランドを承知するべく子供達も名を連ねている。
そんなに遠くない将来に、エンドロールは流れる。
その時のシーンは、この山がアップから少しずつ引いていくのがいいだろう。
「末路とは判っていても未来追う」・・・・しろ猫