今日は彼岸の中日で、秋分の日で祝日。
昨夜は、一昨日の仲秋の名月が曇りで見えなかったので十六夜を求めてウオーキング。
19時頃家を出たのだが、堤防コースを歩いていてもなかなか月の出の兆候が見えない。
19時30分頃、山の端の空が薄っすらと明るくなり始め、ウオーキング一時休止。
(十六夜の月の出)
出始めると全貌を現すのにさほどの時間はかからない。
山の端の木立も、月をバックにシルエットになってなかなか幻想的な一瞬。
やがて、まん丸な月もいよいよ輝きを増してくる。
月を撮していたら、「名月を取ってくれよと泣く子かな」の句がふと思い浮かんだ。
・・・池を巡りて夜もすがら、なんていうのも有ったなあ等と、足下を見ると川が流れている。
水面の月もいいかも、とふと思った。
(水面に映る十六夜)
池のように流れのない場所や、風の無い夜ならバッチリ映るのだろうが川は水面が揺れる。
可動堰で堰き止められた広い池のような場所に移動しても、出来上がりはこのようにユラユラ。
でも、これはこれで良い雰囲気。
16日十六夜、17日立待月、18日居待月、19日寝待月、20日更待月・・・有明月と呼名がどんどん変わる月。
私にとっての昨夜の月は、歩き待月だった。
何しろ12000歩以上歩いてしまった。
今日は彼岸の中日、道路向こうの駐車場わきに隣家の老夫婦が植えた彼岸花が、除草剤で枯れた雑草の中から芽を出し咲いた。
その逞しさには頭が下がる。
ただその老夫婦も、ご主人は亡くなり奥様は施設に入所中である。
植えた本人は、二人揃ってこの花を見ることは叶わない。
十六夜に照らされた花を、それこそ彼岸からご覧になるしかないだろう。
「楽しさは不要不急の中にある」・・・・しろ猫