人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

貴方が降参するまでは

2015-01-08 10:32:11 | スピリチュアル
何時も拝見させてもらっている阿部敏郎さんの昨日のブログで、まるで人生の縮図を見させられているようなコメントが相次いで寄せられていました。
「明日路頭に迷うかも知れない…」「ネガティブな事以外何も考えられない…」頭の中が密閉状態の様に、生命の息吹から閉ざされる…
私もこういう状態になった経験が有りますので、よく分かります。
こんな時は、日ごろ学んでいたはずの宗教や、スピ系の教えなど全て絵空事の様に思え、何の足しにもならないと感じてしまいます。
近い未来、人類意識は高次元に移行する…やがて自分も悟り、覚醒に導かれるだろう…
全て幻想、夢に思える…来ない先のことでも、過去世のことでも、高次元のことでも無い…今の今、苦境と戦っているのです。
一寸先は闇、過去はもとに戻らない、今はこの呪わしき現実の重圧のみが立ちふさがっている。
それが現実です! あらゆる空想や妄想など一つとして入る余地の無い現実です。
もう、それを受け入れる他有りません。
本当にそれを受け入れた時、全くそれまで気付かなかった、もう一つの動かしがたい現実が見えてきます。
それはもし、その時貴方があまりの苦しさのあまり、気が遠くなりかけたとしたら、自分の心臓の鼓動と共に、勝手に肺を通して出入りしている空気の動きと共に知らされることでしょう。
「生かされていたんだ!」と…
人生は随意的に、自分の意志で成り立ってるのではない、否それ以上に不随意的な力によって何から何までお膳立てされているではないか!と…
人はよく苦しみを持つと、「変わらなきゃ、何とかしなきゃ」ともがき始めます。
どうにもならない現実を前にして、随意的に訴えているのであれば、先で行き止まりとなるのは目に見えてます。。
のっぴきならぬ事態になってる時に、自分の意志でどうなるっていうのでしょう。
そして中にはこんなことも、頭の中にもたげて来るかも知れない…
「生きるのも自由、死ぬのも自由だ」
なんで生きるのか?簡単には答えは出ませんし、それは各自で知るべきものです。
でもほとんどの人たちは、人生というものの半分も分かっていません!
だから生きること、死ぬことなどについて分かったような事言わないで欲しいです。
貴方が降参するまでは…。
中には「降参しなきゃならない、全託しなきゃならない」などとズレたこと言う人も居るかも分かりません。
やってみたらいいです。
やって出来る人はおそらくお釈迦様以上でしょう。
前述の通り自分の意志より先に降参、全託させてくれるサムシングがあるということなのです。
それが貴方に全託を促し、誘導するのです。
貴方に出来る事と言ったら、その促しに対し「バンザイ!」で答えることぐらいでしょうか…
すると、それまであれほどまでに自分を苛みつづけた、動かしがたいと思われた現実が、本当に動かしがたい現実と取って代わり出します。
そこで信仰というバーチャルな世界で信じられている神でなしに、疑う事の出来ないサムシングと出会うかも知れません…。

もし、頭の中が密閉状態で雁字搦めになっていたら、数%ばかしでも通気口を探してそこから新鮮な空気が入って来て、部屋を満たすまで待ってみましょう。
通気口となるのは様々です。深呼吸、散歩、音楽…
そして心に余裕が出来たら、これは随意的な働きかけですが、自分に出来る事をしてみる…。

最近はこういう事はあまり書かないようにしてたのですが…。
当ブログのメインテーマには違いありません。
最近のトーンはこんな感じです。
いつもいつもサムシングと共にあれば、現実の壁にぶち当たらない
そして…このサムシングはいつも貴方を降参させようと待ち構えている。
その瞬間は起きるかも分からないし、起きないかも知れない…
でもどの道貴方はサムシングと共にある。



コメント
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