神秘体験。それが何を表しているかにもよりますが、ただ何か見えないものが見えたとか、聞こえないものが聞こえたということでしたら、どっちでもいいです。
スピリチュアルな目覚め体験、生きることの神秘に触れ、意識の変容に伴い人生も劇的にかわる体験…それは勿論有ったに越したことはありません。
私はここでその事をおススメしたい…
という訳ではなく、「神秘体験」(ティモシー・フリーク著、ナチュラルスピリット刊)という本の一読をおススメしたいのです!
この本は、1年半程前に出されたのですが、あまりにもタイトルがシンプルかつストレート過ぎてうかつにもスルーしていました。
もっと早く読んでいたら、このブログを始めてなかったかも分かりません。
何故って…私がホントに書きたかったことが、すでに書かれているから!
「どっちも本当」「個我と真我」「2イン1」…自分の過去記事と照らして読んでると…まるでコピーを書いているようで、かなりヤバイ!です。
でもティムはティムだし、私は私ということは如何ともならないということで…
この本の中で私が最も関心を寄せたのは、架空のアドバイタ(非二元の道)のマスター、スワミ・ブランダナンダとの対話です。
みんな最初から悟っている
個我は幻想である
時間も空間も無い…
これら非二元的な理解が最近花盛りのようです。
私はこういう観方を否定しませんが、いつもそんな心境で居られる訳では勿論ありません。
本当にこういう気付きが腑に落ちて、生きていけるのなら何もいう事ありません。
ただ、ティムがスワミに語らせているように「二元性、分離意識があるうちは本当に目覚めたとは言えない」(私は実在の教師が実際にそう述べているのを読んだ事が有ります。)などと言われたらもう興ざめです。
これはもう相対的非二元論と言うべきで、相対的二元論と気が済むまで、この世の終わりまで論争に明け暮れていたらいいでしょう。
これに反して相対的でない?アドバイタ(と言われる)人たちの美徳は無駄な議論などしないところに有ると思います。
(彼らの出現の意義は、この相克に満ちた現状に風穴を開けたところにありましょう。)
さらに「完全に個我性が無くなるまで修練しなくてはならない」といった言葉に至るやもうゾッとします。
まるで究極の悟りというものの行き着く先は「植物人間」かと思えてきます…
輪廻転生というものが有るとして、人がどうしてこのロクでもないこの世に転生してくるのか分かる気もします。
当たり前すぎて見落としがちなことは、ラマナ・マハルシもニサルガナッダ・マハラジといったアドバイタのマスター(と言われる)たちは、いずれも彼らに訪れた体験を通じて前述の気づきを得たということです。
ティムも述べているように、覚醒にしろワンネス体験にしろ、体験そのものは自分と自分を超えたあるもの(表現は様々)との出会いが前提であり、それを認識している自分が無ければ…例えば大海の中に自分が溶け去ってしまったら、そのような認識自体生まれようはずも無いのです。
この出会いというものがあるからこそ、驚嘆すべき「わお!」の体験が生まれるのです。
そしてそれは、一元だとか二元だとかの思議にあらず、(どちらか/もしくは)の視点にあらず、(どちらも/そして)すなわち(どっちも本当)の
視点に導かれるのです。
以上の問題以外でも
スピリチュアリティと科学の接点(これはかなりスペースを割いています)
思考、自我との向き合い方
いわゆる信じやすい人たちの危うさ、自分で考えることの重要さ
など、啓発されるところ満載です。
これはそのタイトルが示すように、神秘体験の教科書みたいです。
これからお目覚めの方にも、目覚めちゃった方にも、お休みになる?方にも広くおススメします。
(某局の朝の情報番組の顔だった杉O美Oさんが結婚された! オジサンキラーがまた一人…)
スピリチュアルな目覚め体験、生きることの神秘に触れ、意識の変容に伴い人生も劇的にかわる体験…それは勿論有ったに越したことはありません。
私はここでその事をおススメしたい…
という訳ではなく、「神秘体験」(ティモシー・フリーク著、ナチュラルスピリット刊)という本の一読をおススメしたいのです!
この本は、1年半程前に出されたのですが、あまりにもタイトルがシンプルかつストレート過ぎてうかつにもスルーしていました。
もっと早く読んでいたら、このブログを始めてなかったかも分かりません。
何故って…私がホントに書きたかったことが、すでに書かれているから!
「どっちも本当」「個我と真我」「2イン1」…自分の過去記事と照らして読んでると…まるでコピーを書いているようで、かなりヤバイ!です。
でもティムはティムだし、私は私ということは如何ともならないということで…
この本の中で私が最も関心を寄せたのは、架空のアドバイタ(非二元の道)のマスター、スワミ・ブランダナンダとの対話です。
みんな最初から悟っている
個我は幻想である
時間も空間も無い…
これら非二元的な理解が最近花盛りのようです。
私はこういう観方を否定しませんが、いつもそんな心境で居られる訳では勿論ありません。
本当にこういう気付きが腑に落ちて、生きていけるのなら何もいう事ありません。
ただ、ティムがスワミに語らせているように「二元性、分離意識があるうちは本当に目覚めたとは言えない」(私は実在の教師が実際にそう述べているのを読んだ事が有ります。)などと言われたらもう興ざめです。
これはもう相対的非二元論と言うべきで、相対的二元論と気が済むまで、この世の終わりまで論争に明け暮れていたらいいでしょう。
これに反して相対的でない?アドバイタ(と言われる)人たちの美徳は無駄な議論などしないところに有ると思います。
(彼らの出現の意義は、この相克に満ちた現状に風穴を開けたところにありましょう。)
さらに「完全に個我性が無くなるまで修練しなくてはならない」といった言葉に至るやもうゾッとします。
まるで究極の悟りというものの行き着く先は「植物人間」かと思えてきます…
輪廻転生というものが有るとして、人がどうしてこのロクでもないこの世に転生してくるのか分かる気もします。
当たり前すぎて見落としがちなことは、ラマナ・マハルシもニサルガナッダ・マハラジといったアドバイタのマスター(と言われる)たちは、いずれも彼らに訪れた体験を通じて前述の気づきを得たということです。
ティムも述べているように、覚醒にしろワンネス体験にしろ、体験そのものは自分と自分を超えたあるもの(表現は様々)との出会いが前提であり、それを認識している自分が無ければ…例えば大海の中に自分が溶け去ってしまったら、そのような認識自体生まれようはずも無いのです。
この出会いというものがあるからこそ、驚嘆すべき「わお!」の体験が生まれるのです。
そしてそれは、一元だとか二元だとかの思議にあらず、(どちらか/もしくは)の視点にあらず、(どちらも/そして)すなわち(どっちも本当)の
視点に導かれるのです。
以上の問題以外でも
スピリチュアリティと科学の接点(これはかなりスペースを割いています)
思考、自我との向き合い方
いわゆる信じやすい人たちの危うさ、自分で考えることの重要さ
など、啓発されるところ満載です。
これはそのタイトルが示すように、神秘体験の教科書みたいです。
これからお目覚めの方にも、目覚めちゃった方にも、お休みになる?方にも広くおススメします。
(某局の朝の情報番組の顔だった杉O美Oさんが結婚された! オジサンキラーがまた一人…)