人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

ペロちゃん

2015-01-19 14:15:22 | 
私はこれまで超能力が欲しいと望んだことはほとんど無いのですが、一度だけ「あったらいいなあ」と思った事が有ります。
それは動物、とりわけネコと話が出来たら…というものです。
四年前の春、近くの公園のベンチで本を読んでいたら、突然何か膝の上に生暖かく、プヨプヨしたものが乗っかって来たので魂消ました!
ネコです!何という人懐こさであろう…まるでそこが自分の格好の安息所であるのが当然のように、ノドをゴロゴロさせながらリラックスしてるではありませんか!
どうやら私がこちらへ来るずっと前から、この公園に居ついてるノラのようです。
見ると、いつも愛嬌よく舌を出してペロペロやってます。よってペロちゃんと名付けました。
以来、休みの日の朝は何時もこの公園に来るようになり、ペロちゃんとの触れあいが楽しみになりました。
私が先にベンチに座っている時など、どっからか目敏く私を見つけ、ネコまっしぐらにこちらに向かってきます。
そして私の足元まで来ると、何故か八の字に周りだし、それからチョコンと私の膝に乗ってくるのです。
あれは一体何の儀式なのだろうか?…
実はそうしていながらも、心のどこかにはこの子に情が移ってしまうとヤバイかな、という懸念も有ったのですが…二か月もしないうちに陥落です!
雨の日以外で中々姿を見せない時など、二時間ぐらいも心配になって待っていた事も有りました。
それから季節はノラネコたちには過酷な冬になり、予報で1,2日したらその冬一番の寒気がやってくるという三年前のある朝、ペロちゃんは何故かしきりに私の顔をやたらと見つめていました。
どこか寂しそうに…。
その時…「この子が何を望んでいるのか、辛くないのか…もしかして暖かい部屋に行きたがっているのか…」
などと考えさせられたのです。
そして、ちょっと無謀、無責任も省みず私はあることを決心して、その日の夕方再び公園を訪れました。
ペロちゃんを家に引き取ろう、と思ったのです。
しかし…ペロちゃんは居ませんでした。
すっかり日が落ちるまで待っていても…二度と姿を見せる事はありませんでした。
近所の人は、ペロちゃんはもうかなりの婆ちゃんネコなので、きっと死に場所を探して居なくなったんだろう、と言ってました。
私は今まで何匹ものネコと付き合いが有りましたが、ペロちゃんはとりわけ忘れがたいものが有ります。
ただのネコバカのたわごとかも知れませんが、あの私を見つけるや脇目も触れず向かってくる姿…何か無条件の愛というものを感じてしまいました。
それを見るともう、ジッとしてられなくなり、何かで答えようとする私…。
そして姿が見えなくなってからのペロちゃんの居ない公園のベンチ…
数週間続いた侘しさと愛おしさが込み上げてくる気持ち…
そこに理由とか打算などは無いのです。
大いなる命、見えざる導き…それに触れるや理由なしに喜びが立ち上り、ジッとしてられなくなる…私にこの感じを思い出させてくれました。

硬骨漢で知られる哲学者のベルジャーエフは、実は愛猫家でもありましたが、ムリーという死に間際の飼いネコが、彼の机の上に全身の力を振り絞って上がり、別れの挨拶をした時「ムリーに全被造物の悲哀を見る思いがした」と言っています。
さらに私は日ごろ死後の世界の事など考えたことも無いのですが、ベルジャ―エフのこの言葉にペロちゃんを重ねて言いたいです。
「ムリーの入ることを許されない天国など、到底受け入れることが出来ない!」
コメント
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