人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

真の幸福

2015-01-29 20:32:44 | スピリチュアル
私は最近つくづく「人間は普通に生きていて、幸福に生きられない訳がない!」と感じています。
何故ならば、生かされているという事は幸福な事でしょ?
何かをやらないと幸福になれない、何かを得ないと幸福になれない…。
こういったことが叶わなかったら、それでは不幸なんでしょうか?
いいや、むしろ何かをやろうとして、挫折したり、なかなか何かを得られなかったりすると不十全感に苛まれて、幸せになれません。
はたまた折角求めていたものを得たとして、それを失う事になった途端、幸福から急転直下…不幸を背負いこんでしまいます。
幸福になる筈だったものが不幸の種になってしまうとは¡…

もう一つ…当たり前のようなことですが、幸福とは他の誰でも無い自分自身が幸福と感じなければ、幸福でも何でもないですね。
世間で言われている幸福、他人が「これが幸福なんだ」と言ってる幸福…それが一体何だというのでしょう!
自分の幸福は結局自分にしか分からないものでしょう?
だから他人の幸福を羨んでもしょうがないのです。
世の人が勝手に決めている幸福の尺度など、何もあてになりません。
幸福とは畢竟自分自身の幸福感のことではないでしょうか?
つまり幸福な意識の状態と言うべきか…
このような時というのは、何をやっていても…突っ立ってるだけでも楽しいし、幸せなものです。
逆の場合を考えれば、より分かりやすいかも分かりません。
何をやっても面白くない時…分かりますよね?

「幸福は失われたり、減るんじゃなないだろうかと考えるとコワイ…」と言っていた方も居りますが、絶対に無くなりも、減りもしません!
それは無尽蔵の幸福の源泉から来るものだからです。
その恩恵は自分自身にそれに預かれる特権が与えられています。
でも、それは他の人を差し置いて、自分だけの独占、独善と言う意味とは全く違います。
人それぞれに与えられた特権なのです。
それは一人一人性質が違うものです。
だから他から奪ったり、よそから獲得したりする必要も無く、自分だけ享受する事で後ろめたく思う必要も有りません。
それは元々与えられているのです。
そして自分がその与えられた幸福を享受することで、全体の幸福、調和にも響きわたる…
個的なものと全的なものはつながっているからです。

故あって、今不幸な境遇に置かれている方も多いだろうと思います。
私にも勿論辛い時もあります。
そんな時は表面的な気分や状況と関係無く、地下水脈のように心の底で生き続けている幸福感そのもの~サムシングと共にある感覚~にアクセスするようにしてます。
それは、この世の諸々の重圧に有っては、淡いものかも知れない…でも私は知っています。
それは、時に大噴泉のようにほとばしり出る事が有るのを…
それは、彼の世界とこの世を結ぶパイプなのです…。

















コメント
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