人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

貴方はどっちだ!

2015-01-24 20:31:27 | スピリチュアル
今回はいつも言ってることと、視点の一寸違うことを書いてみたいと思います。
前にも触れたように、相対世界に生きている我々は、自由か平等か、右か左か、あれかこれか…と、(どちらか/もしくは)一方に偏した見解に捉われて、あるがままの世界を受け入れられず、生きにくくしています。
でも、勿論人生はどちらかを選択しなければならない事も多々あると言うのも事実…一面では選択肢の連続である、とも言えますね。
だから迷い、遠回りと思えるようなことも有る訳ですが…。
我々は歩こうとしたら、一歩踏み出そうとしたら、右足か左足かどちらかから踏み出さねばなりません。
又道路の真ん中で歩いたり、止まったりして、迷ってたら大変な事になりますし、起きているのか、寝ているのかハッキリしないと夢遊病のようになってしまいます。
実は話を強引に誘導するようですが、我々のほとんどは夢遊病、白昼夢の世界で生きているようなものです…。
この事は突然意識が目覚めてしまったらハッキリ分かることです。
目覚めた瞬間「ああ、今まで私は寝ていたんだ!」と実感されます。
つまり目覚めているか、眠りこけているか(白昼夢状態)どっちかなのです!
所謂悟りというものに至るプロセスには何段階も有るという教説が有ります。
曰く、アストラル次元、エーテル次元、幽界あるいは霊界の階層云々…
そのような段階、レベルといったものが有るのかどうか…
ある意味この世以上に上下の階層というものを浮き彫りにしているようで、この観方自体、極めて相対的なものに映りますが…
どっからどこまでが六道輪廻の世界で、相対次元は超えられるのか、あるいは留まり続けるのか…
私にはサッパリ分かりません。
実は悟りなんていう世界も有るのかどうかも…
眠りから覚めたか、覚めないのか…それっきゃ分かりません!どっちかしか無い!のです。
段階、レベルなんぞが有ったとして、目覚めた世界ではより上の段階を目差そうにも、意志的な力は全く働かないので、アキラメるしかありません。
ただ自己を超えた導きに委ねれば、委ねるほど自然(じねん)に意識が深まり、広がっていくというところはあります。
この寝起きの違い、境い目は思考の次元を超えたかどうかと言う観方も出来ます。
ですから、「ハハーン!みんな最初から悟っているんだ!」「運命は決められているんだ!」と、ああだこうだと考えて、分かったつもりになっててもしょうがないのです。
普通に考えてみても、そう言う類の話は、実際目覚めに預かった人が言ってこそ意味が有る訳で、観念の世界で宙ぶらりんになってしまって、白昼夢の中で覚醒する?ということにもなりかねません。
だから「体験すりゃいいってもんじゃない」のです。
本当に「わお!」にコミットできるか…そこに人生の決定的な選択肢があります。
「わお!」をもたらす当体への意思表示、一歩踏み出すという事です。
それは祈りや瞑想を通じてなされるかも知れません。
自分がホントにそれを望み、歩み出すか、どうかそれだけです。
お義理や付き合い…そんなもの見気分じゃどうともなりません!
外野でヤジ飛ばしてないで、プレーヤーにならねば…
もし、そして見えざる神の導き、神の手が触れたら、もう選択の余地は無い!
全託です。全部は危険なので半分だけ…
それが一番危険だというのに…
オール・オア・ナッシング、全部か無かどっちかです。
行き着く先は…全無
どっちも本当だった…。









コメント
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