人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

玉城先生

2015-04-03 09:57:59 | 人生の教師
玉城康四郎先生について書くのは今の私には一寸荷が重い気がします。
先生の行学両面にわたる、その行程についてどれだけ理解しているのか、覚束ないものがあるからです。
私にとり、他の人生の教師たちと違って、探究心旺盛の頃に巡り合ったのではなく、その出会いは新たな気付きを受ける契機となったのです。
お名前は大分前から聞いていたのですが、数多の仏教、比較宗教などの学者の一人という認識しかありませんでした。
平成8年の春、書店で先生の書き物に触れた時、私の内面で小爆発が起きました。
そこには先生の生涯最初の大爆発~覚醒体験の模様が描かれていたのでした。
そしてこの経験は長いこと”フタが閉まってしまった”と感じていたものが再び表に顕わになり始めたきっかけとなりました。
(”フタが閉まる”とか”復活した”と感じているのはもとより顕在意識の領域のことであり、事実はより根底的なところでずっと息づいているものです)
重要なことは、多くの人はこうした覚醒体験で留まってしまう(これはどっちがどうというものでなく、そうなる、ならないは縁によるものだと思います)と言いますが、先生にとってそれは突破口に過ぎなかったのです。
それ以降の先生の行程は苦闘の連続だったと言っていいでしょう。
特に老年にさしかかってから、業熟体というものに目覚められてからは…これは原始経典にブッダの目覚めについて形なき命~ダンマが業熟体に顕わになるという事態が先生自身に体験的に開示されたものです。
何度か触れているように、目覚めの内実とはこのダンマが顕わになるという事であり、自分が目覚めるとか、悟るという事ではありません。
先生は、自分が…という線が出るやダンマの外に置かれてしまう、と述べております。
(新たに気付かされたのはこういうことだったのです)
で、その業熟体とは宇宙共同体であると同時に個の極まりの結び目であるという…普遍調和世界であり、至(私)聖所というべきか…
ところが、こうも付け加えられます”その根底は限りなく無明であり、暗黒であり、芥もくた、へどろもどろである”と…
これはまさしく底なしの業という感じです。私に爆発が起きた時、そこに広がっていたのはどこまでも調和に満ちた、浄化されたそれでした。生き通しの個的な至聖所には確かに暗黒部分は認められましたが、”へどろもどろ”というのは…地獄の様相なんでしょうか?
先生の初発の爆発においても、おそらくこのような受け取り方は無かったものと思われます。
こういう描写というものに私はあまり接したことが無く、勿論こうした先生の表された行程の後を継いでいるという方の存在も聞きません。
これはもう先生の縁が為さしめているものと言う他無いようです。
それはどういうものだったのか?業というものは取りも直さず、このろくでもない現世そのものと言ってもいいですね。
それはこの矛盾多き現世に、彼の普遍調和世界が応現するプロセスに横たわっているものではないか…
そしてそれは、玉城先生の存在を通して開示させようとしたのではなかったか…
ダンマが意識の領域から、存在の領域に移行していった…大地に根を下ろした、と言ってもいいでしょうか?
注目すべきは、先生の苦闘の中でその存在に連なる業熟体にダンマが浸透し、やがてそこから解き放されていくのだと言います。
私はここに先の”爆発”において往相していたものが、還相という方に移行しているのを感じます。
それを動かしているのは一個人ではなく、ダンマ、如来でしょう。
こういう道は誰でもが歩まされるものでない、一種の菩薩行と言っていいかも知れません。
このような道を歩まされる存在にとっては、この芥まみれの現実世界、そこで生きている個々の存在も幻想だなどと、片付けられてしまうものでは有りません。
”ここに生まれ落ちた”という宿命に意味を持っている筈です。
この世に生きている人だったら、”現世卒業志願者”でない限り誰でもそういうものを背負っているのではないでしょうか?

玉城先生のことを書きだしたら、とても書き切れなくなります。かなり多岐にわたって業績を残されているからです。
一度お目にかかりたかったのですが、先生の最晩年のことで相当体力も衰えておられたようです。残念なことでした…
私の手紙に対しての先生の返信は家宝にしてます…。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする