人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

世界は私と共にある

2015-04-08 09:10:43 | スピリチュアル
現代はネットを通じて、居ながらにして世界中のことを知ることが出来るという、大変驚くべくも有難い時代ですね。
ただそれは反面、世界というものがより一層バーチャルなものとして捉えられてしまうという、傾向を示していると思われます。
つまり、世界というものも人類というものも、パネルにタッチすることは出来ても直接触れることは出来ないのです。
言い換えれば具体的に関われることは出来ないという訳です。
そうしたものは元々からして、抽象的にしか捉えられないものなのですが…
世界とは…今私の部屋しか見えてません! 世界人類? 私は未だかつてそういう人の顔を見た事が有りません!
こういったところから来るのか、どうも昔から私には世界人類の未来は…地上天国が約束されているのか、はたまた滅亡してしまうのか…といったことについてイマイチ、ピンとこないものを感じてしまうのです…。
何十年か前、東宝の特撮映画「世界大戦争」という世界が核兵器で滅亡してしまうという、悪夢を見ているような映画を観たことがあります。
(そこで中村伸郎さん演じる大臣の名演説が聞けます。これは同じく黒澤映画「生きる」での市長さんのゴタクと双璧を成す演技だと思います。以上全くマイナーな話で済みません)
この中で作品に強いリアリティをもたらしているのは、主人公フランキー堺(知ってる?)を中心とした極く日常の生活が生き生きと描かれているというところでした。
そこで、私はこういう人と人とのぬくもり、絆が無残に火の海に消えてしまってなど、絶対有っちゃならない…と感じられるのです。
で、最後の核兵器で東京が滅んでしまうところたるや…”おお、何とすごいスペクタルであろう! さすがは円谷英二だ!”…(笑)
米国の9・11の時、テレビをつけたらいきなり、あの旅客機の超高層ビル突入の場面が飛び込んできたのですが、マジで”こりゃあ、何とリアルな特撮映画の宣伝なのだろうか!”と思ったことでした…。
又、以前知人と猫にエサをやることの是非について議論をしたことがあるのですが、知人曰く「猫にエサをやると猫が繁殖してしまう…
そうすると殺処分される機会が増えて結果猫のためにならない」と…
理屈は分からないでもないですが、例えば私の掛け替えのない相棒だったノラのペロちゃんと直に触れあっている時、そんな一般論みたいな話のことなど全く構っちゃいられません!もう ”ペロちゃんと一緒だったら世界が滅亡したって知ったこっちゃない!”…
でも私はそういう気分でいる時、一匹のペロちゃんのうちに、全猫?いやありとし、あるもの全てを見ているような感覚をどっかで覚えていました。
私は知ってます!垣間見ています!普遍調和の世界を…
それはどんな抽象的、バーチャルな世界とも無縁なものです。
そこにはすべての生の営み…呼べば答えてくれる、手を伸ばせば暖かいぬくもりが感じられます…いやそれ以前にその真っただ中に私が居たのです。
それは数が支配している世界ではありません。
全世界、全人類、ありとしあるもの全て…それとたったひとつの個体とは全く等価値である。
ほんの2,3人による有機的触れあい…それが世界人類の全てと等しい…否それは抽象的世界人類といったものと引き換えることが出来ません!
それは画面を通じて眺めるような世界ではありません…私と共にあるのです。
今世界は、人類は如何?…状況はかなり悲観的です。滅び去ってしまうかも知れません。
もし、それが眺めているだけの世界なら、画面を見ているように過ぎ去ってしまうのでしょう。
でも私と共にある具体的な有機的な世界、それは人生の裏側から今表に顕れ出ようとしていているのです…。
我々の永遠の本体が開かれんことを…





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