人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

”みんな起きたか!”

2015-04-19 22:18:54 | スピリチュアル?
「人は皆最初から悟っているんです。」こういった言葉が今巷を賑わせていますね。
これはある面真実だと思います。ただこのシャバでアクセクと”毎日ご苦労さん”なことに明け暮れている我々にとって何が重要かといったら、このなんてこたアない日常の意識=顕在意識にそれが示されない、という事だと思います。
要するに意識にフタ閉めがされていて通じが悪いのですね。
ただ、それだけのことだったら他人事みたいですけど、別にどうってことないことだと思います。
特にいつも神とかサムシングに意識を向けていて有難く生活している人などは…別に悟りだの覚醒だのってことに触れなくても、神、サムシングと一つになるという事がどういう事かどっかでわかっている筈なのです。
それに明日にでもゲリラ豪雨かなんかで地下にドッと水があふれて、マンホールのフタを押し上げてしまう事だって在り得ることです。
でもどんな神様でも、禁断のクンダリーニ・ヨガ指南書をもってしてもどうにもならない事が有ります。
それは…ハナっからそれを求めてない、発心とか、菩提心いうものが無いという事です。
全く当たり前すぎてアホらしい問題ですが…
私は何かの宗教的、精神的集まりなどで、”アッ、この人はある確信的な体験に預かっているな”と思われる人を目敏く見つけたりするのですが、又そうでなくても意識がそっちに向いている人というのは大体わかります。
そういう事に関した話をしたら、まず話をそらそうとせず、なにより目つきがヘンです(笑)お互い様ですけど…
一方、全くそちらに関心が無い、いや抵抗しようとしている人も…これはすぐわかります。
そういう話をしてみると、なんとか違う話にそらそうとし、段々顔が青ざめだし、ホホの辺りが引きつってくる(笑)
そのうち、”アッ、急用を思い出した!失礼します!”(笑)…
しかし、これはそういう人でも表面意識の底に何があるのか、本能的(と言っていいのでしょうか?)わかっているという事を物語っているのではないでしょうか。
ただ、それがまだ意識の表面と内奥とにギャップがあって、上ってこないというだけのことです。
又それとは別に今、抱えている問題から逃れたいからという切実なもの…これは…純粋な発心じゃないようだけど、アリなんじゃないですか?
「悟りを求めているのは自我です!」ハイ、そうですね…苦難にある人はこの終わりなき日常でその自我に埋没して苦しんでいるのです。
実際にそういう苦しみの渦中にある人に対し、私は到底そんな悟ったようなことは言えません。
人が苦しんでいるのは、ある意味機能不全に陥っているわけで、そこから回復しようというのはごく自然な事だと思います。
この世の生あるものには、すべて還元作用というものが有ります。
命の根源へと帰ろう、という根源的意志です。
もう”ああ言ったり、こう言ったりするのはみんな自我なんだ”という当たり前のことに気付くべきなんじゃないですかね。
どうしたって、この世というものは自我の王国なのです。
それが良いも悪いも無い…何が悪いかって一面的な観方しか出来ない、と言うのが悪い…これが自我性のサガなんでしょうけど…
”私は悟っているから達観してるんだ”なんて”自分は違うんだ”と思おうとしたってそうはいかない…
このシャバに厄介になってるものはみんな同じ穴のムジナです。
「皆悟っている、現実に起きているのは皆幻想です、時間なんて無いのです。元々ワンネスしか無いんですから…」普段、そう言っている人でも「世界は徐々に調和に向かっているのです。」などと、時間のプロセスとか、あるべきでない世界があるべきものに変容することについて、語っていたりするのがその証拠です。地球卒業志願者でない限り…
もう、目覚めちゃった人、これから目覚めようという人、そんな気などハナっから無いフリの人…みんな同じ土俵にいるのです。
より高いレベルとか、深いとか浅いとかいう、さも”これは違うんですよ”というエゴをくすぐる言葉に騙されちゃいけません!
目覚めとかいうのは、そんなケチな人間の分際のことじゃないのです!
朝になり、太陽が昇れば、どこで何をしていようと同じ光に預かるのです。
アセンションだとか、色んな尾ひれがまとわりついた言葉は使いたくないのですが…
みんな出そろったところで、誰にも等しく夜明けは来ちゃいます!

”みんな起きたか!”という合図とともに…。



コメント
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