人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

語るも聞くも同じこと

2015-04-12 13:31:38 | 人生の教師
私はこれまで直接、間接問わず幾多もの方々との出会いにより、多大な啓発を受けてきました。
勿論この場で語ってきた方たち以外からも…ただ近年ではかつての出会いのような特別な思い入れを受けるような存在とは巡り合っていません。
いや巡り合ってはいるのですが、そのように感じられなくなった、と言うべきでしょう。
このことは特に新たな気付きを受けた平成8年以降、顕著になったという印象があります。
以前と同じように、啓発を受けているのは間違いないのですが「この人こそわが人生の教師だ!」なんていう感慨は起きて来なくなってしまったのです。
だからと言って、それは別に私が偉くなった訳でも、悟ったという訳でもありません!教えを必要としなくなったという訳でも…
一つには私に求道心とか探究心というものが薄れてきたから…という事も言えます。
”イッパシになったものだなあ…”なんてとんでもない! ただ齢を食ったというだけのことじゃないですか? 毎日くたびれるのなんの…
もう一つ重要なことは、あのジンジンしてくる波動?といったものが顕著に感じられるようになった…言い換えると見えざる導きというものが、自己により浸透してきた、ということなのでしょうか?
これはいつの間にか、自分自身は相も変わらず無為徒食に明け暮れているだけなのに、周りの世界、土壌が勝手に変わってきている…という印象です。
小池先生はよく「語るも聞くも同じこと」と言っておりましたが、私はこの間その事を実感させられたことが何度かありました。
例えば、ファミレスである人の質問に答えていると、一体誰に答えているのか分からなくなってくる…まるで自問自答のようになったり…いつの間にか立場が入れ替わって私が相手からの答えに”ウン、ウン”と頷いて聞き入ったり…
そして、そうなってる場はもう無条件に楽しいことなのです。
そこにはもう教える人も教わる人も居ない…自ずからそこに気付きが生まれる、あるいは又元々一人一人の内に有ったものが顕わになる、といった感じです。
もう、人にものを教えることを生業にしている宗教も、教師も転職を余儀なくされるでしょう!
この教えも、あの修行法も一人一人に還元されていくでしょう…これがホントのあなたと私の唯一無二なる非二元の道です。
そうです!これが今我々が目にしている現実世界の様態なのです!
我々の内に秘められていたものが顕わになって来ているのです!

「取りて、後得るという世界は終わりを告げて、自ずから成るという世界が開かれる」(M師)

今はその真っ最中ではありませんか?
毎日毎日、新たな気付きがどっかで生まれてる…そして複雑な手順など無しで、容易にそれにアクセス出来るのです。
こう考えると”昔の教師たちより、現代の教師たちの方がより進化している、優れているんだ”と捉えがちになるものですが、私はそうは思いません。
どっちが苦労が多かったか、と言ったらもう分かり切った話です。困難な時代、制限の多かった時代にあって道を切り開いてきた人たちのほうです。
この意味ではこう言った方々のほうがずっと偉かったと言わずにおれません。
今日のこの恵まれた(反面は恵まれていません!私は近年”これで私の人生は一変するであろう!”という出会いに巡り合っていませんから…)状況には古来からの幾多もの有名、無名の賢者たちの苦闘の歴史が有ったという事は忘れてはならないと思います。
さらには…このプロセスの真の動かし手、主体者は”見えざる救世主”である、という事も…
彼が”目にものを見せてやろう!”と告げた、その約束の日は近い!
誰に告げたかって?あなたと私と言う人類に…です!




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