アセンション、救世主の出現…
夢見がちの人たちは、来ない先の未来や確証の無い空想ごとに何時まで逃避しているのですか?
又、過去の輝かしい日々の想い出に浸り続けていても、非常な時報を告げるチャイムが否応なくあなたを現実に連れ戻すだろう…
どんなに現実逃避しようとしても、この現実からは誰も逃れられません!
情け容赦なく、あなたの現前に立ちはだかる…
そしていよいよ、この現実にあなたが追い詰められたなら、その無常の手に捉えられてしまったら…
あなたには最早為す術は無い!
あなたは観念して人生を終わりにしますか?、それとも…あなたの歴史に積み重ねられた苦悩を終わりにしますか?…エッ…
私はいまいささか無情な気分で心が無いようです。
そう…心に無いようなことを呟いてます。
”スピとか何とかなど卒業して、この重たい現実を受け入れて、社会人としてマットウに生きましょう…”
何て事私が言うとでも思いますか…この世捨て人みたいな身で…
そんな事言う資格も、義理もおまへんわ!
大真面目で私がそんな事言ったとしたら、あなたの人生が終わる前に、世界が終わってしまうことでしょう…
現実逃避?…観方に依れば私の人生はその繰り返しだったかもしれません!
物心ついてから私はこの無機質な、プラスチックで出来てるような現実を拒否していたところがありました。
”私以外の人間はみんな私を騙しているんだ…このハリボテのような世界をホントの世界だと思わせているんだろう…どいつもこいつもグルに違いない”
そうしたことが脳裏をよぎった時は、決まって現実感の喪失、現実に生きていることの稀薄さを感じていました。
そう、現実感を失ってたんです!…このことの裏表のことがずっと大きくなってから、電撃的に私の内面に切り込んできました。
”私はこの見える無慈悲な現実の向こうにある、もっとリアルな現実をどっかで知っているんだ!”…
私には、見える現実から逃避して、来ない先の未来や、過ぎ去った過去に夢を抱き続ける人の気持ちも分かります。
そもそも浮世の人間というのものは、絶えず何かから逃避し続け、何かに依存し続けるものです。宗教やスピばかりじゃない…
クスリはヤバイが、酒、たばこ、人間関係、娯楽、ショッピング…そして精神世界とは対極なものとしての生業、社会生活…もうあらゆるものが逃避の場…と言ってもいいくらいじゃありませんか?この浮世はつらいですもんね…。
それでも…これは一つの生き方の提示なんかじゃない、人間全ての宿命みたいなものです。
誰もこの現実からは逃がれられない、のです。
その足音は、病気、経済破綻、人間関係の縺れなどの契機を通して知らされるかもしれません。
必ずしも不幸、苦難の道を辿るものとは限らない、とは思いますが、フリーパスの利く人にしても、この世に生れ落ちたことの不幸、悲哀というものをその人生に背負わされている、と思います。
この現実は、見たままの現実、思われたままの現実の壁の向こうから開かれます。
一度開かれたら、否応なしに向き合わなければなりません。夢想に耽ったり、逃避してる余地などありません。
向き合うとは難しいことじゃありません。ただ自分で居たらいいんです。他人事、誰かさんのことじゃない…だから向き合うしかありません。
もっと言えば、自分自身であらしめてくれるもの、リアルな現実に向き合わせてくれるものがある!
それは大本の自分自身のことだからこそ、無条件に、否応なしに従うしかないのです。
そしてその裏側の現実が開かれたら、見える、見たままの現実は幻のように消えるのでしょうか?
いいや…無機質な、プラスチックの世界に、命が灯されるだろう…枯れた木にも花が咲くだろう…
人生の、人類歴史の暗く、不確かな断面にも光が当たるだろう…
見えるものも見えないものも一つになる…
だから…誰もこの現実から逃れられないのです…。
夢見がちの人たちは、来ない先の未来や確証の無い空想ごとに何時まで逃避しているのですか?
又、過去の輝かしい日々の想い出に浸り続けていても、非常な時報を告げるチャイムが否応なくあなたを現実に連れ戻すだろう…
どんなに現実逃避しようとしても、この現実からは誰も逃れられません!
情け容赦なく、あなたの現前に立ちはだかる…
そしていよいよ、この現実にあなたが追い詰められたなら、その無常の手に捉えられてしまったら…
あなたには最早為す術は無い!
あなたは観念して人生を終わりにしますか?、それとも…あなたの歴史に積み重ねられた苦悩を終わりにしますか?…エッ…
私はいまいささか無情な気分で心が無いようです。
そう…心に無いようなことを呟いてます。
”スピとか何とかなど卒業して、この重たい現実を受け入れて、社会人としてマットウに生きましょう…”
何て事私が言うとでも思いますか…この世捨て人みたいな身で…
そんな事言う資格も、義理もおまへんわ!
大真面目で私がそんな事言ったとしたら、あなたの人生が終わる前に、世界が終わってしまうことでしょう…
現実逃避?…観方に依れば私の人生はその繰り返しだったかもしれません!
物心ついてから私はこの無機質な、プラスチックで出来てるような現実を拒否していたところがありました。
”私以外の人間はみんな私を騙しているんだ…このハリボテのような世界をホントの世界だと思わせているんだろう…どいつもこいつもグルに違いない”
そうしたことが脳裏をよぎった時は、決まって現実感の喪失、現実に生きていることの稀薄さを感じていました。
そう、現実感を失ってたんです!…このことの裏表のことがずっと大きくなってから、電撃的に私の内面に切り込んできました。
”私はこの見える無慈悲な現実の向こうにある、もっとリアルな現実をどっかで知っているんだ!”…
私には、見える現実から逃避して、来ない先の未来や、過ぎ去った過去に夢を抱き続ける人の気持ちも分かります。
そもそも浮世の人間というのものは、絶えず何かから逃避し続け、何かに依存し続けるものです。宗教やスピばかりじゃない…
クスリはヤバイが、酒、たばこ、人間関係、娯楽、ショッピング…そして精神世界とは対極なものとしての生業、社会生活…もうあらゆるものが逃避の場…と言ってもいいくらいじゃありませんか?この浮世はつらいですもんね…。
それでも…これは一つの生き方の提示なんかじゃない、人間全ての宿命みたいなものです。
誰もこの現実からは逃がれられない、のです。
その足音は、病気、経済破綻、人間関係の縺れなどの契機を通して知らされるかもしれません。
必ずしも不幸、苦難の道を辿るものとは限らない、とは思いますが、フリーパスの利く人にしても、この世に生れ落ちたことの不幸、悲哀というものをその人生に背負わされている、と思います。
この現実は、見たままの現実、思われたままの現実の壁の向こうから開かれます。
一度開かれたら、否応なしに向き合わなければなりません。夢想に耽ったり、逃避してる余地などありません。
向き合うとは難しいことじゃありません。ただ自分で居たらいいんです。他人事、誰かさんのことじゃない…だから向き合うしかありません。
もっと言えば、自分自身であらしめてくれるもの、リアルな現実に向き合わせてくれるものがある!
それは大本の自分自身のことだからこそ、無条件に、否応なしに従うしかないのです。
そしてその裏側の現実が開かれたら、見える、見たままの現実は幻のように消えるのでしょうか?
いいや…無機質な、プラスチックの世界に、命が灯されるだろう…枯れた木にも花が咲くだろう…
人生の、人類歴史の暗く、不確かな断面にも光が当たるだろう…
見えるものも見えないものも一つになる…
だから…誰もこの現実から逃れられないのです…。