人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

正直な人

2016-03-22 12:37:57 | 雑感
スプリング・ハズ・カム…
心ときめく春ですね…
しかし、メディア、芸能関係の皆さん! 気を付けてください!…
”センテンス・スプリング”がすぐそこに!…

コメンテーターのKさんが経歴詐称を公表して、活動自粛を決意したとか…
(ところで、最近までKというのは、”草刈”のことかと思っていたのは私だけですか?…親子?親戚?似てない?)
ついぞ一度も聴く機会も無く、私にとり幻に終わった、ご自分がパーソナリティのラジオ放送はさぞかし、生きがいだったのでしょうね。その謝罪コメントからすごーく伝わってきました。
偽りの経歴をビジネスに利用したことの是非(これは多くは本業に関するものだろう)はともかく、視聴者に何か伝えられるもの、共感できるもの、楽しませるものがあれば、何でもいいじゃん…と私は思いますが…テレビの世界なんて特に虚構の上でなり立っているんだし…
”如何にもハーバード大みたいなこと言ってるけど、実はボク、高卒なのでした…”とか開き直って出てきたら、それはそれで、すごく面白いんじゃないですか? 例えば”ボクは悟った!”とか言う人が…”しかし実はホームレスなんです!…人を殺してきました!”(居てもおかしくありません!)とか言い出すみたいに…
次は俳優か、バラエティか、サンジャポ(壇三つさん以外は黙っていて欲しい…)か…ほとぼりが冷めたころお目にかかるのでしょう。(本人もそう仄めかしてました)

私は常々、正直な人というのは、けっしてウソをつかない人の事じゃない、と思っています。
逆にそういう人こそがウソツキなんじゃないですか?(昔、”私は決してウソは申しません!”と言っていた総理大臣が居ましたが…)
全くウソつかない人間なんているんですかね?このウソッパチだらけの世の中で…
人間誰しも、何かヘマとかヤバイことしちゃった時、つい保身に走るものです。防衛本能みたいなものです。(正直に自分自身に聞いてみなされ!)
また特に劣等感の無い人でも、つい”エヘン!”と自分を通常より大きく人に見せたく、人に認められようと自分を飾ったりするものです。
(女性の化粧にゃ何度、騙されたことか!)
宗教、スピ界なんか見てごらんなさい! 人間を超えた究極のマスター、生き神様だらけじゃありませんか?(誰にも確かめられないような権威、これぞ究極のウソ!)
それが公的場で明らかに偽りとみなされた時、詐称とかって問題になるのです。でも詐欺よりずっとマシですね。
私が本当に感じる正直な人というのは、ウソが発覚し、それを突っ込まれた時”ハイ…ウソをついてました!”とハッキリ言える人です。
それだけで実に勇気のある、尊敬に値する人だと分かります。
正直な人というのは二度目はウソはつかないのです。
こういう人というのは、このウソばかりの世の中に有って、ウソの無い現実に立ち返ることが出来ます。
それを良心深いという言い方もできるかもしれませんが、自分自身を誤魔化せなくなるんじゃないでしょうか?
自分を誤魔化す、自分にウソをつくこと、それが他人を欺くことよりも耐え難いことなんです!
あの全てを見通す観照する目にあっては…でも、それに自分をすべてさらけ出した時の、喩えようのない、この世の終わりとパラダイス、裁きと愛が一緒にくるような現臨感は身に覚えています。
とは言っても…こういうことは何でもかんでも隠さないで全部ぶちまけちゃう、という事を言っている訳じゃないですよ…
あくまで、のっぴきならない事態に陥った時です。アレがめっかっちゃったとか…
私は勿論、正直者…じゃないです!
何にも、問題が無い時は、ウマく、ソツなくやるだけです…。ネコのように狡猾にね…ニャハハッ…
それがウソ渡世の生き方ってもんでしょう…

”もうすぐエイプリル・フールかあ…”


コメント
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