私の生活の中で音楽鑑賞というものは、欠かせないものですが、取り分けタンゴとならんで好きなのはボレロです。
これを聴かないという日は無いくらいです。
ラヴェルの「ボレロ」を毎日聴いているのかって?
まあ、目覚め時には、それもいいかもしれませんが...ボレロというと、どうしてもそっちになってしまうようです。
ここで言ってるのは、キューバに発祥して、ラテンアメリカで広く浸透している歌謡調の音楽のことです。
この名称を知らなくても大抵の人は、その旋律に接しているはずです。
私の物心つく頃にはテレビ、ラジオ、映画...巷にフツーに受容されていたという覚えがあります。
当時のラテン音楽は大雑把に言って、ダンサブルなのが"ハーッ、ウウッ"の「マンボ」、シットリとした歌謡ものがボレロだったと言ってもいいでしょう。
Wikiで調べると、その代表的な歌手はホセ.フェリシアーノ、イーディ.ゴーメとありましたが、これはあまりにもテキトー過ぎますi
彼らはボレロばっかし、いやラテンばかしを歌っていた訳でもないのです。
フェリシアーノの代表曲「雨のささやき」もボレロじゃないですよ。ただ彼はフォークソングみたいな、創生時代の感覚でボレロをいくつか歌っていましたが...
又、幅広くポピュラー音楽を歌っていた女性歌手のゴーメは、あるメキシコのトリオと共演していた時こそ紛れもなくボレロ歌手でした。そのトリオの名はご存じ(でないかも?)トリオ.ロス.パンチョスです。
"ポロ、ポロん"とレキントと言われる共鳴板を施した小型ギターを鳴らし、ボレロを中心に歌う所謂ラテン.トリオのスタイルを築き、定着させたのが彼らです。(「東京ロマンチカ」とか「ロス.プリモス」とかの我が国に生まれたムードコーラスは、それが歌謡曲へアダプトされたものです)
このようにして、ボレロは発祥国キューバよりもメキシコで盛んになりましたが、パンチョスは、後輩格ロス.トレス.ディアマンテスとかロス.トレス.アセスなど数多登場した同国のラテン.トリオを代表する存在と見るのも間違いではないですが、実はその売り出し、受容の在り方は、他のトリオとは大きく違っていました。
それは彼らが1940年代後半、旗揚げした発信地がメキシコ本国でもメキシコ移民の多いロサンゼルスでもテキサスでもなく、ニューヨークだったところがミソなのです。
これがN.Yに多かった、プエルトリコ移民のハートに火を付けることになりましたが、これには同国人の哀愁を帯びたリリしい声の歌手エルナンド.アビレスを起用したことが大きかったと言えるでしょう。
又、この時の楽曲ときたら、もう...Nuestro Amor(永遠の愛)、Contigo、Sin Ti(あなたなしでは)、Sin Un Amor(愛もなく)...不朽の名曲揃いですi(かつて故中村とうよう氏は、これらメキシコのモダン.ボレロに関する文章で、パンチョスを「ヘタクソ」などと決めつけていましたが、一体どこをどう聴いたらそんな感想が生まれるのかと言いたくなります!)
そして、同本島でもN.Yのスパニッシュ.エリアでもメキシコと同様に数多のラテン.トリオを輩出することになったのです。例えば...
ジョニー.アルビーノ(後にパンチョスに引き抜かれる)とトリオ.サンフアン、戦前から活躍していたトリオ.ベガバヘーニョ、フェリーぺ.ロドリゲスとトリオ.ロス.アンターレス...
これらの存在は、ほとんど我が国には紹介されたことが無く、話題になることも無かったのですが、ラテン歌謡史では絶対に避けて通ることは出来ません。
こういうことをいくら書いても、長いこと他の人には伝わらなかったのですが、今は隠れていたものが表に顕になる御時世となり、容易くyoutubeで接することが出来ます。(夢のようだ)
※Johnny Albino y Trio Sanjuan/Mi suplica
パンチョスのメンバーとして何度か来日してお馴染みのアルビーノですが、彼が本当に輝いていたのはこの時代(50年代)だと信じて疑いませんi
※Trio Vegabajeno/En Mi Viejo Sanjuan
ここで取り上げたモダンなボレロ以前の貴重な録音も残していますが、戦後においてもそのフォークソング的な牧歌的味わいを残していました。
※Felipe"La Voz"Rodriguez y Trio Los Antares/La Ultima Copa
F.ロドリゲスはアルビーノなどと比べてそんなに傑出した歌手とも思えませんが、このトリオは、ラファエル.シャロン、ミゲール.アイカルデという二人のスゴテクのレキント奏者(パンチョスのアルフレード.ヒル以上i)を擁していたことで記憶されるべきです。
この曲はF.カナロ作の有名なタンゴ曲のボレロ.アレンジで、パンチョス(メインの歌手はプエルトリコ出身のフリート.ロドリゲス)と競作となりました。
これを聴かないという日は無いくらいです。
ラヴェルの「ボレロ」を毎日聴いているのかって?
まあ、目覚め時には、それもいいかもしれませんが...ボレロというと、どうしてもそっちになってしまうようです。
ここで言ってるのは、キューバに発祥して、ラテンアメリカで広く浸透している歌謡調の音楽のことです。
この名称を知らなくても大抵の人は、その旋律に接しているはずです。
私の物心つく頃にはテレビ、ラジオ、映画...巷にフツーに受容されていたという覚えがあります。
当時のラテン音楽は大雑把に言って、ダンサブルなのが"ハーッ、ウウッ"の「マンボ」、シットリとした歌謡ものがボレロだったと言ってもいいでしょう。
Wikiで調べると、その代表的な歌手はホセ.フェリシアーノ、イーディ.ゴーメとありましたが、これはあまりにもテキトー過ぎますi
彼らはボレロばっかし、いやラテンばかしを歌っていた訳でもないのです。
フェリシアーノの代表曲「雨のささやき」もボレロじゃないですよ。ただ彼はフォークソングみたいな、創生時代の感覚でボレロをいくつか歌っていましたが...
又、幅広くポピュラー音楽を歌っていた女性歌手のゴーメは、あるメキシコのトリオと共演していた時こそ紛れもなくボレロ歌手でした。そのトリオの名はご存じ(でないかも?)トリオ.ロス.パンチョスです。
"ポロ、ポロん"とレキントと言われる共鳴板を施した小型ギターを鳴らし、ボレロを中心に歌う所謂ラテン.トリオのスタイルを築き、定着させたのが彼らです。(「東京ロマンチカ」とか「ロス.プリモス」とかの我が国に生まれたムードコーラスは、それが歌謡曲へアダプトされたものです)
このようにして、ボレロは発祥国キューバよりもメキシコで盛んになりましたが、パンチョスは、後輩格ロス.トレス.ディアマンテスとかロス.トレス.アセスなど数多登場した同国のラテン.トリオを代表する存在と見るのも間違いではないですが、実はその売り出し、受容の在り方は、他のトリオとは大きく違っていました。
それは彼らが1940年代後半、旗揚げした発信地がメキシコ本国でもメキシコ移民の多いロサンゼルスでもテキサスでもなく、ニューヨークだったところがミソなのです。
これがN.Yに多かった、プエルトリコ移民のハートに火を付けることになりましたが、これには同国人の哀愁を帯びたリリしい声の歌手エルナンド.アビレスを起用したことが大きかったと言えるでしょう。
又、この時の楽曲ときたら、もう...Nuestro Amor(永遠の愛)、Contigo、Sin Ti(あなたなしでは)、Sin Un Amor(愛もなく)...不朽の名曲揃いですi(かつて故中村とうよう氏は、これらメキシコのモダン.ボレロに関する文章で、パンチョスを「ヘタクソ」などと決めつけていましたが、一体どこをどう聴いたらそんな感想が生まれるのかと言いたくなります!)
そして、同本島でもN.Yのスパニッシュ.エリアでもメキシコと同様に数多のラテン.トリオを輩出することになったのです。例えば...
ジョニー.アルビーノ(後にパンチョスに引き抜かれる)とトリオ.サンフアン、戦前から活躍していたトリオ.ベガバヘーニョ、フェリーぺ.ロドリゲスとトリオ.ロス.アンターレス...
これらの存在は、ほとんど我が国には紹介されたことが無く、話題になることも無かったのですが、ラテン歌謡史では絶対に避けて通ることは出来ません。
こういうことをいくら書いても、長いこと他の人には伝わらなかったのですが、今は隠れていたものが表に顕になる御時世となり、容易くyoutubeで接することが出来ます。(夢のようだ)
※Johnny Albino y Trio Sanjuan/Mi suplica
パンチョスのメンバーとして何度か来日してお馴染みのアルビーノですが、彼が本当に輝いていたのはこの時代(50年代)だと信じて疑いませんi
※Trio Vegabajeno/En Mi Viejo Sanjuan
ここで取り上げたモダンなボレロ以前の貴重な録音も残していますが、戦後においてもそのフォークソング的な牧歌的味わいを残していました。
※Felipe"La Voz"Rodriguez y Trio Los Antares/La Ultima Copa
F.ロドリゲスはアルビーノなどと比べてそんなに傑出した歌手とも思えませんが、このトリオは、ラファエル.シャロン、ミゲール.アイカルデという二人のスゴテクのレキント奏者(パンチョスのアルフレード.ヒル以上i)を擁していたことで記憶されるべきです。
この曲はF.カナロ作の有名なタンゴ曲のボレロ.アレンジで、パンチョス(メインの歌手はプエルトリコ出身のフリート.ロドリゲス)と競作となりました。