私が意識的にジャズに関心を向け始めたのは、大学一年の昭和50年頃だったと思います。
当時の私の音楽鑑賞の主流はロックだったのですが、この頃が「脱線」のターニングポイントだったのは間違いありません。
学究派?必読の音楽雑誌「ミュージック.マガジン」では、やたらとアメリカン.ルーツ音楽が取り上げられ、"レイドバック"だの"レイジー"だのといった、もったりした感覚のロック音楽ももてはやされていました。
そんな折、ふとラジオの深夜放送(パーソナリティは糸井五郎氏)で紹介されたのが、「ジャック.ティーガーデン」という全然知らない人のジャズ音楽なのでした。
何しろ、夜中の寝ぼけた状態だったので、その名を覚えるのが精一杯だったので、曲名は覚えてません。「セントジェームス病院」か「ロッキンチェア」か、おそらく彼の十八番の曲だったのでしょうが、まず私はその唄に完全に魅了されてしまいました。
"これぞ、レイジーi ロック歌手が束になってもこれには敵うまいi"と感じたものです。
この"ジャックT"のことは、オールドジャズのファンなら知らぬ人は居ないでしょう。ジャズ史上を代表するトロンボーン奏者であり、そのユニークな歌唱、人柄共々がレイジーだったのです。
半世紀近い長いキャリアの中で、常にその実力を維持していたという稀有な存在でした。
そして、一旦火が付くと中々押さえられなくなる私は、すぐ"ジャックT"のレコードを求めて、都内の大きめのレコード屋さんへと馳せて行ったのでしたが...しかし、"な、無い..."
二軒、三軒と巡っても見つけることは出来ませんでした。デキシーとかスイングとか古めのジャズのコーナーすら無い店もあるくらいです(あってもホンの片隅程度)。
「油井正一」氏のように、ジャズの通史を語る評論家もおり、相応のレコード.ガイドも出されていましたが、その歴史的音盤は、実際には市場に出回っていなかったのです。
これはロック界に浸透していたルーツ探訪の動きと逆行していたと思います。
又、当時は都内のあちこちにジャズ喫茶というものがあり、その頃新宿のどっかだったかの店におっかなびっくり入った記憶がありますが、タバコの煙で蒸せかえる(私はずっと吸わない)のと、大音量でケタタマシくて「よお、わからんi」という印象しかありません。
多分そこで掛けられていたのは、「ハードバップ」とかだったと思われるますが、それが当時のジャズの主流だったのです。
要するに巷では、ジャズと言えばモダンジャズのことだったのですi (この頃所謂フュージョンが台頭し始め、私は正直その後も定着するとは思っていませんでしたが、今ではジャズの受け入れ方も多様化しているようですが ...)
"ジャズの歴史は戦後しかないのかi 本当のジャズの伝統は完全に"近代"の喧騒の前に追いやられ、埋もれてしまったではないかi"
こうなると、世の中の時流とはかけ離れた私にとってのジャズの指向は決まりました。
"「ダンモ」なんか誰が聴くかi"
私のジャズの主流とは、ずっとニューオーリンズ.スタイルから欧米ではメインストリーム.(ズバリ、主流)と呼ばれる、中間派までのもので、ダンモ(その又主流は、ウエスト.コーストとかあまりケタタマシくないヤツ)は傍流にすぎないのです。(いや、ほんとに世の主流とズレてるな、と改めて思います)
知人にジャズ.フリークが居ましたが、全然話が合いません。「デキシーやスイングには哀感が無い」と決めつける...それらに対する通りいっぺんのイメージしか持っていないのです。
"コイツはデューク.エリントン楽団の「黒と褐色の幻想」(27年録音)とかジミー.ヌーン楽団の「あの娘がくれたブルース」(28年録音)とかを聴いた事がないんだろう、お気の毒に..."
初めてダンモの音盤を聴いたのは、ラテン音楽の「サルサ」と同じでようやく10年前のことです。(ギター奏者「ジョニー.スミス」の「ヴァーモントの月」)
聞き慣れるとサルサもダンモも悪くないです。
私はジャズでもラテンでもロックでも幅広く聴いていますが、考えてみれば、あまりケタタマシくない、心が落ち着く音楽が主流なんでしょう。
当時の私の音楽鑑賞の主流はロックだったのですが、この頃が「脱線」のターニングポイントだったのは間違いありません。
学究派?必読の音楽雑誌「ミュージック.マガジン」では、やたらとアメリカン.ルーツ音楽が取り上げられ、"レイドバック"だの"レイジー"だのといった、もったりした感覚のロック音楽ももてはやされていました。
そんな折、ふとラジオの深夜放送(パーソナリティは糸井五郎氏)で紹介されたのが、「ジャック.ティーガーデン」という全然知らない人のジャズ音楽なのでした。
何しろ、夜中の寝ぼけた状態だったので、その名を覚えるのが精一杯だったので、曲名は覚えてません。「セントジェームス病院」か「ロッキンチェア」か、おそらく彼の十八番の曲だったのでしょうが、まず私はその唄に完全に魅了されてしまいました。
"これぞ、レイジーi ロック歌手が束になってもこれには敵うまいi"と感じたものです。
この"ジャックT"のことは、オールドジャズのファンなら知らぬ人は居ないでしょう。ジャズ史上を代表するトロンボーン奏者であり、そのユニークな歌唱、人柄共々がレイジーだったのです。
半世紀近い長いキャリアの中で、常にその実力を維持していたという稀有な存在でした。
そして、一旦火が付くと中々押さえられなくなる私は、すぐ"ジャックT"のレコードを求めて、都内の大きめのレコード屋さんへと馳せて行ったのでしたが...しかし、"な、無い..."
二軒、三軒と巡っても見つけることは出来ませんでした。デキシーとかスイングとか古めのジャズのコーナーすら無い店もあるくらいです(あってもホンの片隅程度)。
「油井正一」氏のように、ジャズの通史を語る評論家もおり、相応のレコード.ガイドも出されていましたが、その歴史的音盤は、実際には市場に出回っていなかったのです。
これはロック界に浸透していたルーツ探訪の動きと逆行していたと思います。
又、当時は都内のあちこちにジャズ喫茶というものがあり、その頃新宿のどっかだったかの店におっかなびっくり入った記憶がありますが、タバコの煙で蒸せかえる(私はずっと吸わない)のと、大音量でケタタマシくて「よお、わからんi」という印象しかありません。
多分そこで掛けられていたのは、「ハードバップ」とかだったと思われるますが、それが当時のジャズの主流だったのです。
要するに巷では、ジャズと言えばモダンジャズのことだったのですi (この頃所謂フュージョンが台頭し始め、私は正直その後も定着するとは思っていませんでしたが、今ではジャズの受け入れ方も多様化しているようですが ...)
"ジャズの歴史は戦後しかないのかi 本当のジャズの伝統は完全に"近代"の喧騒の前に追いやられ、埋もれてしまったではないかi"
こうなると、世の中の時流とはかけ離れた私にとってのジャズの指向は決まりました。
"「ダンモ」なんか誰が聴くかi"
私のジャズの主流とは、ずっとニューオーリンズ.スタイルから欧米ではメインストリーム.(ズバリ、主流)と呼ばれる、中間派までのもので、ダンモ(その又主流は、ウエスト.コーストとかあまりケタタマシくないヤツ)は傍流にすぎないのです。(いや、ほんとに世の主流とズレてるな、と改めて思います)
知人にジャズ.フリークが居ましたが、全然話が合いません。「デキシーやスイングには哀感が無い」と決めつける...それらに対する通りいっぺんのイメージしか持っていないのです。
"コイツはデューク.エリントン楽団の「黒と褐色の幻想」(27年録音)とかジミー.ヌーン楽団の「あの娘がくれたブルース」(28年録音)とかを聴いた事がないんだろう、お気の毒に..."
初めてダンモの音盤を聴いたのは、ラテン音楽の「サルサ」と同じでようやく10年前のことです。(ギター奏者「ジョニー.スミス」の「ヴァーモントの月」)
聞き慣れるとサルサもダンモも悪くないです。
私はジャズでもラテンでもロックでも幅広く聴いていますが、考えてみれば、あまりケタタマシくない、心が落ち着く音楽が主流なんでしょう。