人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

真夏のあつい日

2021-08-19 10:31:26 | 回想
昭和58年8月下旬、私が初めて神の手に捉えられて、人生の裏側へと踏み込んでしまったことは、あまりにも唐突なことでした。
その頃、何か精神的に進境があったのかというと...相も変わらず、そうは見えない、冴えない営業マンをしていたのです。
その後、数度その時の爆発的なものではないにせよ、同様なことがありましたが、"今日は何だか特別な日になりそうだなあ"、とその訪れを予感させることもあるのです。
とにかく、その日は、"特別"体調が不調で、そんな予感に浸っている余裕など無かったのかもしれません。
そうなる思い当たるフシというのは、全然無い訳ではなく、その頃小池先生のキリスト召団の大阪集会に行っていたのですが、確かその前日の集会で(ということは、その日は月曜日で間違いないi)、そこのボス(i?)である、U先生から按手(キリスト教に伝わる手をかざして、ある種の霊的エネルギー交換の媒体をすること)を受けたことがあり、あるいは、それが霊なる力を呼び起こしたのか、とも考えられるのですが、それは何度となく受けており、その時も、いずれの時も特に感応したということは無かったのです。
いや、その集会で、ある種の覚醒体験とも考えられる、"聖霊のバプテスマ"に与ったということも無かったのです。
(ただ、ああいうことがあって、"これが聖霊のバプテスマというものなのかあi"、とは、どっかで思いましたけど、主イエスに会うとか、特にキリスト教に結びつけられるものはありませんでした)
いや、もうとにかく、朝から熱っぽく、頭痛がしてシンドかったのです。
午前中はまだマシで、大阪、此花区で、私の一番のお客さんのところで仕事を終えて、次は大淀区の方を目指す予定が、先方の都合で午後に延びてしまったのです。
"ああ、シンドい...早く仕事終えて帰りたいよおi"...昼頃は、急につらくなり、阪神電車の千鳥橋駅前のファミレスで休もうとしたが、あいにく満席i...もう、立っているのも我慢出来ず、花壇のある休憩所に座ることにしました。
すると、しばらくして..."幸福になるお祈りをさせてもらってもいいですか?"、と新興宗教関係らしきお姉チャン(オバン?)が寄って来たので、私はうっとおしかったのですが、断る元気もなく、黙ってうなだれていたら、勝手に手かざしを始めたのです。
"それ、浄霊って言うんでしょ?...聖霊がどうとかじゃないよね?"...まさか、これがあの霊的覚醒を引き起こしたのか?
そんなことは多分無いでしょう。私はつらくなって、すぐうとうと寝てしまいました。
起きてから、多少元気になったので、次の訪問先を目指しました。
しかし、大淀区のそこは、陸の孤島みたいなとこにある...電車は近くを通ってない、バスは一時間に数本...よって歩いてゆくことにしました。
真夏の炎天下...暑いi...熱中症で倒れてもおかしくない上に、熱い、頭が痛いi...
やっとこさ、仕事を終えた時は、夕方近くになっていました。その日、その二ヶ所以外にどこか行ったのかもしれませんが、記憶にありません。
時間の経過が遅すぎる...何してたんだろ?...何にせよ、ながーく、つらい1日だったのは確かなことです。
そして...「遅いi、どこほっつき歩いてたんやi」会社の事務所に戻るなり、親会社の専務から怒鳴られる...
しかし、私にはそんなことに構っていられることなど到底出来ませんi
経験したことの無い事態に見舞われていたのですから..."何も考えられない、何も為すことが出来ないi"...
と、こういう事情だっただけに、あれは原因不明の高熱、頭痛によって引き起こされた、一種の幻覚症状だったとみることも可能なのです。
実際、私がそのことを封印しようとした時は、そういうことにしようと、敢えて思おうとしたのです。
だけど、私がその時に目の当たりにした、愛、平安、そしてリアリティというものは、それまでの人生こそが夢、幻覚に等しいということを感じさせるのに十分だったのです。
高熱、頭痛に見舞われたことは、この日以外にも何度もありますが、そういうものに与ったことは一度もありません。
あの暑い、熱い1日のことは、つらかった、シンドかった、という記憶はあっても、今具体的にそのことは感じられません。
しかし、あのじんじんと神の手が迫る感じこそは、今もアリアリと身に覚え、私の中に息づいているのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする