人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

コダワリとトラワレ

2022-01-02 10:45:25 | 雑感
新年、初っぱなに聴いた音楽は、「マランド」楽団の定番曲ばっかり収められている、コンチネンタル.タンゴの2枚組CD。
昨年暮れにそれを買った時からそう決めてました。何故って、これほど新年に合う音楽は無いと思っているからです。耳に優しいi
一頃は、"ああいうのは、そんじゃそこらで聴けらあ"、なんて思っていたものですが...今じゃその時代も、ジェットストリームの彼方から聞こえるように懐かしい...
新年お初に、くらーいのとかノイジーな音楽は聴かないです。私のコダワリです。
コダワってること、これが結構ありますねえ...ワンカラとか毎月のように行きますが、誰かに聴かせる訳でも無いのに、2時間で30曲ばかし歌うのに、曲順とか配列にコダワってます。
ロックポップスだと60年代、70年代とか年代順、カンツォーネとかスタンダードとかジャンル別は絶対i、あとアーティスト別は勿論、絶対i...何かの様式にコダワってるのか?
前半15曲ぐらいまでと、後半の選曲がガラッと変わるのが特色と言えます。若い人にはピンと来ないでしょうけど、A面とB面に別れているみたいです。言い方を変えると歌ってる人が別人みたい(こういう二面性が私という人間の特色なんだi?)...あ、そうそうその間、トイレ休憩を挟むってのもお約束みたいなもので、これもコダワリ...前半が終わるまではガマンi(人格を入れ換えなならないi?)...と、こういう風に書くと、普段は全く意識しておらず、それが当たり前のように感じているのですが、こうして他人ごとのように書いてみると、なんかトラワレているみたいに感じちゃうのは何故でしょう?
何も、ワンカラの趣味の皆さんにこういう風にやれi、なんて言ってませんよi...そういうのがトラワレでしょう。そんなこた、アタシャ絶対にしませんi...そうコダワってんだから...え?
コダワリとトラワレ。コダワるのは一緒だけど、トラワレることとは全然違うように感じています。
年末に月一回は行くある"歌う会"で、あるセミプロのように定期的にリサイタルをしている人が、私がそれまで思っていたより、幅広いレパートリーを持っていたので、そのことを訊いたら「いやあ、好きな曲を歌っているだけなんだよおi」とのことでした。
全くおんなじことをその人から訊かれて、おんなじことを答えました。ただその人と一寸違うのは、私には曲順とかには一定のコダワリがあるところです。
同じ会である人は「私は、歌詞の意味が聴いている人に分からないと意味無いと思っているので、外国語の原曲では歌いませんi」と、自分のコダワリを述べておられました。これは私へのアテツケかあ?、とも一瞬思いましたが、元来平和主義者の私は、口論になりそうなことは引っ込めて、それ以上そのことには触れません。
人が何をコダワってようと、一向に構わないでしょう。人の好き好きですから...
単なるコダワリは、自分が好きでしている、自分が自分しているだけで完結してしまうものでしょう。
しかし、トラワレという風に感じてしまうものにはどこか、他者へおもねるような、他者の目を意識したものが、特にそこに自分の正しさに固執した思いというものが感じられます。
それは、正に相手からそういう感情を向けられた時に感じるのです。
それが正しいか、間違っているか、ヘンだとか、誰にも決められやしないのに...こと音楽のことだったら、"音を楽しまなきゃ"意味無いのに...
しかし...自分のコダワリのことは、全く自然に感じているのか、ヘンだとか何とも感じてないのですが、こうして客観的に書いてみると、ちとヘンかも?...
いや、そう思うのがトラワレの始まりなんだって...トイレから帰って、人間が入れ換わってるとこなんか誰も見ちゃいないんだから...
だから...今年も自分のコダワリで好きなことしようi
コメント
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