これまで、幾度か書いてきた、私が現臨に初めて触れた時のことなのですが、改めても少し掘り下げて、"リアル"に書いてみたいと思います。
昭和54年の正月は、とんだことになっていて、全くめでたく迎えることなど出来ませんでした。
年末にうっかり近づいてしまった、邪教集団に対する恐怖にとりつかれてしまったからです。
"連中、再三家に電話をかけてくる、直接やって来たこともある...居留守ばかり使ってもいられない...変な黒装束して夢にまで出て来たi"
不安、恐怖が頭から離れないので、三が日のどっかだったか、夜気晴らしに上野方面に行ってみました。
しかし、御徒町辺りだと思いましたが、正月のこと店は閉まっているし、人気もまばらで、寂閑としていて、余計にそうした思いが重ーくもたげてきたのでした。
そして思いが乗っ取られるような気がしたので、我慢が出来なくなって、とにかくなりふり構わず祈り始めたのです。
神、守護霊、五井先生...何でもいい...もう、必死ですi
すると...飛んだi...意識は辛うじて保たれていましたが、思考は一瞬飛んでしまいました。何か上から思いを超えた力が全身を貫いたようでした。
私はもう立っていることが困難になり、路上にへたり込んでしまいました。
何が起きたかサッパリ分かりません。神の加護か、気がヘンになったのか、何かに心を乗っ取られたのか?
分からない...実はよく思い出せないのです。その後何とか平常に戻ることが出来たのですが、あの不安と恐怖の思いから解放された訳では無かったのです。
だが、今朝突如思い出しました。リアルにi...その瞬間、私は愛、平安に与っていたのですi..."私はここに在る"...だから、平常に戻ることが出来たのですi(それで意識の変容に与ったのは数年後のことで、この時のことはすぐ消えてしまいました)
その前後の日々、思いが不安と恐怖に支配されていたから、多分その記憶が飛んでしまっていたのでしょう。
思いが何かに苛れている時の記憶はどうも不鮮明なのです。リアルに思い出せません。
ただ、新年明けて数日間は、めでたくない日々が続いたということは分かるのですが、それが具体的にどんなだったかは身に覚えてません。
ようやく、そこに日が差し始めたのは、正月6日の土曜日からだったと思います。(何で覚えているんだi)
その日の夕方は東京銀座にあった、道院紅卍字会の新年の典礼だったかに参加しました。
この時の私はまだ見習い期間中で、正式なメンバーになったのは、翌月のことでしたが、約30分間の静坐実修が効を奏したのか、大分精神的な落ち着きを取り戻すことが出来ました。
同時にこの頃から、その実修中、ポカポカと単なる身体感覚とは言えない、暖かみを身に覚えるようになりました。
まず、手の辺りから始まり、だんだん全身へと拡がってゆく感じです。
これは私が内的感覚と言っているもので、どうもこの頃が顕著だったようです。
こういうことは、リアルに思い出せるんです。リアリティというものは、愛、平安と共にあるものだから...
その翌日、その又次の日のことも覚えてますよi...それは次回で...
昭和54年の正月は、とんだことになっていて、全くめでたく迎えることなど出来ませんでした。
年末にうっかり近づいてしまった、邪教集団に対する恐怖にとりつかれてしまったからです。
"連中、再三家に電話をかけてくる、直接やって来たこともある...居留守ばかり使ってもいられない...変な黒装束して夢にまで出て来たi"
不安、恐怖が頭から離れないので、三が日のどっかだったか、夜気晴らしに上野方面に行ってみました。
しかし、御徒町辺りだと思いましたが、正月のこと店は閉まっているし、人気もまばらで、寂閑としていて、余計にそうした思いが重ーくもたげてきたのでした。
そして思いが乗っ取られるような気がしたので、我慢が出来なくなって、とにかくなりふり構わず祈り始めたのです。
神、守護霊、五井先生...何でもいい...もう、必死ですi
すると...飛んだi...意識は辛うじて保たれていましたが、思考は一瞬飛んでしまいました。何か上から思いを超えた力が全身を貫いたようでした。
私はもう立っていることが困難になり、路上にへたり込んでしまいました。
何が起きたかサッパリ分かりません。神の加護か、気がヘンになったのか、何かに心を乗っ取られたのか?
分からない...実はよく思い出せないのです。その後何とか平常に戻ることが出来たのですが、あの不安と恐怖の思いから解放された訳では無かったのです。
だが、今朝突如思い出しました。リアルにi...その瞬間、私は愛、平安に与っていたのですi..."私はここに在る"...だから、平常に戻ることが出来たのですi(それで意識の変容に与ったのは数年後のことで、この時のことはすぐ消えてしまいました)
その前後の日々、思いが不安と恐怖に支配されていたから、多分その記憶が飛んでしまっていたのでしょう。
思いが何かに苛れている時の記憶はどうも不鮮明なのです。リアルに思い出せません。
ただ、新年明けて数日間は、めでたくない日々が続いたということは分かるのですが、それが具体的にどんなだったかは身に覚えてません。
ようやく、そこに日が差し始めたのは、正月6日の土曜日からだったと思います。(何で覚えているんだi)
その日の夕方は東京銀座にあった、道院紅卍字会の新年の典礼だったかに参加しました。
この時の私はまだ見習い期間中で、正式なメンバーになったのは、翌月のことでしたが、約30分間の静坐実修が効を奏したのか、大分精神的な落ち着きを取り戻すことが出来ました。
同時にこの頃から、その実修中、ポカポカと単なる身体感覚とは言えない、暖かみを身に覚えるようになりました。
まず、手の辺りから始まり、だんだん全身へと拡がってゆく感じです。
これは私が内的感覚と言っているもので、どうもこの頃が顕著だったようです。
こういうことは、リアルに思い出せるんです。リアリティというものは、愛、平安と共にあるものだから...
その翌日、その又次の日のことも覚えてますよi...それは次回で...