人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

とんだ正月の思い出2

2022-01-07 10:25:47 | 回想
昭和54年1月7日は、朝から冷たい雨が降っていました。
例の不安と恐怖は、いくらかマシになってきたもののどうも憂鬱な状態でした。
ところが、夕方から日が差して来て、気温が急上昇したかと思ったら、にわかに意識が高揚してきました。
こりゃあ、天候の変化のためだけじゃないi...幸福感が込み上げて来る感じです。
その時、幸福とは何かを得ることや、何かになったことで与るものじゃなく、幸福感そのものに依る、それ無しに幸福なんてものは、そもあり得ない、ということを実感しました。
"もう、じっとして居られないi"...私は日が落ちて薄暗くなった中、夕飯をどっかで食べようという目的はありましたが、"どこでもいいi"...あてどもなく歩いて行きました。まるで、その幸福感に引っ張られるように、嬉々として...
30分くらい歩いて気が着いたら、どこをどう行ってそこにたどり着いたのか、中野新橋の辺りでした。"ここはサイコーじゃないかi"
この時は多分、どこへ行こうとそう感じていただろうと思います。(ちなみにここは、神田川にかかる橋の名に由来するのですが、そこからの夕日の眺めはサイコーですi)
その商店街にあった中華飯店で、本格的中華焼きそば(硬めの麺の上に、トロミを効かせた具が乗っかっているようなもので、特に麺の焦げ目"~それが無いと食った気がしないi~がサイコーなヤツi)を食べました。これはその前日、紅卍字会の集まりの二次会(?)で、有楽町辺りの店で、"うまっi"、と病みつきになってしまったことに由るもので、今度も"うまっi"...でした。
1月7日という日を何で覚えているかというと、ボクシングの具志堅用高の防衛戦が行われたからです。(だけど、その前後の日までつなげて覚えてないのがフツーですよi)早足で帰った覚えがありますが、又30分かけたんだろうか?...そうだろうと思いますよ。
そしてその明くる日...まだ幸福感が覚めやまないようでした。気温は前日よりはるかに上がって、梅を通り越して、桜が咲く頃のようなバカ陽気です。
そして又私は、昼前頃30分か、いやもっとかけて、前日と同じような地域を目指して歩いて行ったのです。今の私にゃ一寸考えられません。よほどヒマなのか?
いや、幸福に引っ張られ、抗し難いものを感じて...どこでもいい聖地(?)、中野新橋目指して...
ところが、どう行ったか忘れたので、迷ってしまい、その日はたどり着けませんでした。で、気が着いたら京王線の幡ヶ谷駅前でした。
中野新橋からほぼまっすぐ南に行けばいいだけなのに、どうしたら迷うのかが分からないのですが...それはともかく..."幡ヶ谷サイコーじゃんi"
要するにどこでもいい...歩いていても、立っていても幸福が込み上げて来るんだからしょうがありません。
そして、昼過ぎになってお腹が減ったので、探すことにしました。中華飯店をi
今もそうですが、この時分は、結構ビンボー生活を余儀なくされていたはずです。本格焼きそばを3日連続で食べたことなど人生で記憶にありません。(最初は誰かの驕りだったにせよ、その品自体今じゃやってない店も多く、そう簡単にありつけるもんじゃないですよi)
この時の私は、とにかく"とんでいた"、ということです。何がどうなってもいいという感じです。
あの不安と恐怖からは解放され、実際、魔の手はそれから来なくなりました。でもそれだけじゃありません。
陽気に誘われたか、一寸躁の気味はありましたが、こういう意識状態こそ現臨感覚の芽生えと言ってもいいでしょう。
それがもっと内部へと浸透するのは、もっと後のことですが、これは今、感じているものを通してリアルによみがえって来る...ただの頭の記憶で無しに、身に覚えられているのです。
愛、平安、何かに守られ、導かれているような感じ...それは失われたように感じた時期もありましたが、43年もの月日を超えて、ずっとここに息づいていることを改めて感じざるを得ません。

コメント
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