人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

神との密

2022-02-02 11:49:27 | 
神はますます私に近しく、密になるのを感じています。
コロナへの3密対策の影で、どんどん神との関わりは密になってきたという訳です。これ、私だけでしょうか?
いつも言ってることですが、この神というのは、私が感じている神のことを言っているのであって、他にむけてどういう神を求め、拝まなければならない、ということはいささかもないのです。
又神というものに囚われる必要もありません。あなたはあなたの神、最愛のもの、何て言っていいか分からないものを求めたらいいのです。
この意味で、一つ言えることは、ここで言ってる神的なものは実存的なものだということです。
実存という言葉を難しく語る気など更々ないのですが、これはどこまでも他ならぬ、あなたと私自身の問題と切り離されてないということです(実存...いわく言い難いことを二文字で表せる、とても便利な言葉です)。
神でも何でもいいですが、それがどんなに高遠な、例えば宇宙最高神だろうと、宇宙の法則だろうとあなたが直接触れ、関わるもの、あなたの実存に即したものでなければ何にもならない...そういうものは、あなたの内的実存の外に置かれざるを得ず、ただそういうものを概念として思い描くだけに過ぎません。
いくら科学的アプローチかなんかで、その存在が立証されようと同じことです。
この意味で、あなたや私にとっての最高神とは、実存的な神を置いてはあり得ないでしょう。それが第一義の神であるはずなのです。
何故、こういうことを言うのか?...実存的な神との交わりには、えも言われぬ幸福感があるからに他なりません。
こんな分かりきったことはありませんi..."幸福なんかより真理を追求せねば..."、何ていうのは、この至福に与ったことのない人の話です。
これに与ったならば、その真理と幸福は切り離されていないことが分かるはずです。
悟り、救い、真理の獲得...何を求めようと、その根底には幸福に与ることに意識が向けられているはずです。そうでなくして何故求めてやまない、ということがあるだろうか?
そしてその真理と幸福も神的なものと切り離されていない...神そのものを求めるに如かずi
こう書いてみると...神との関わりが密になって来るのは、けだし自然なことと言わねばなりません。
元々が私の実存と切り離されないものなのだから...
然るに、何故神をいつまでも遥か遠い彼方に見据え、それに至るのに、何故いくつもの越えなければならない関所のようなものを設え、その条件のようなものを課さねばならないのでしょうか?
そういう神は、すべて観念の中で祭られているに過ぎません。
あなたは、そういう神に最愛なるものを感じるでしょうか? むしろ怖れているから、そうなってしまう?
あなたの実存の光に照らして、このことを意識してみて下さい(このことは、もう神と共にあるようなことを言っているのです)。
あなたが神に最愛のものを見い出した時、神は直ちに、あなたと密接なものとなり、あなたの中に入り、宿りたもうでしょう。
コメント
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