人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

努力は報われないか?

2022-02-17 11:41:17 | 雑感
色々なことがあって、ほとんど見てないのですが、北京オリンピック冬季大会、男子フィギュア羽生選手、惜しかったですね。
「努力は報われない」とか洩らしていたそうな...
ああいう頂点に立ってる(何回も報われてない?)人の気持ちなど知る由もないですが、私は基本的に報われない努力というものは無い、と思っているのです。(丹念にこのブログを読んでおられる方は、"ええっi"と思われるかもしれませんが...)
これは"報い"というものの取り方にもよります。
金メダルを獲得する(銀や銅じゃダメなのか?)、いやメダルを獲得する(入賞じゃダメなのか?)、いやいや五輪に参加する...と、目指す目標に到達する、要するに成功することが報いと結び付くのであれば、それはごく少数の人間以外は報われない、と言わねばなりません。
だけど、何で多くの努力を払ってまでその道を目指そうとするのでしょう?...言うまでもなく、それに惹かれるから、そうしたい、好きだからでしょう?...それに熱心に打ち込むことで幸せに感じるんじゃないでしょうか?
でなきゃアタシャ、アホらしくてやってらんないですよ!..."やりますよi...だったらカネをくれi"、ですよi...あったり前でしょうi...いや、いくら金をつまれてもやりたくないものはやらんi、でしょう。
これ、イヤでもガマンして日夜励まなければならない、労働者渡世のことを言っているのですが(ボランティアの場合は、勿論その気があればやります、ってことです)、この場合はモロ、報酬が報いということになります。
しかし、幸福は金では買えないですね。それに与るのに私は努力を惜しみませんi...私がそうしたいから努力をするのです。そうでないものは努力ではない、使役というものではないでしょうか?...だから労働者渡世の努力とその報いというものには微妙なものがあります。
そのように、自分がやりたいことに打ち込むことは幸せなことです。努力はもう報われているではありませんか?
イヤイヤながらやる努力なら、後々に何かの肥やしにはなるかもしれませんが、多く報われないでしょう。そういうことに"もっと努力しろi"、と向けるのは筋が違うんじゃないですか?
努力は主体的に関わるものと言えるでしょう。それには、寝食を忘れても厭わない...ただ、そういうのを努力とは感じないだけです。
それが例えば、"パッと意識を向ければ、パッと何かが開かれる"、なーんてことにでもなれば...
"そんなことに努力なんてもん、ある訳ないだろーっi"
って、出たよi...だけど、ここでは多く触れていないだけで、一朝一夕でそんなことになった訳でもないのも事実なのです。"あったりめーだろi"
血の滲むようなものとは程遠いにせよ、それ相応の努力というものはして来たようではあるのです。(しかし、やっぱり修行というものには縁がなかったですねえ...でも、これだけは言えるし、分かってもらえると思う...沢山、本を読んで来ましたi...色々異なる宗教、精神的グループに関わって来ましたi...これが相応の...?)
何で他人行儀なのかというと、努力をして来た、という自覚が無いからでしょう?
私には、与えられた、与った、と感じていることの方がずっと大きいのです。
好きなことに打ち込むって、楽しい、幸せi...私の努力ならぬ努力は、既に報われているものとと共にあったのです。
これ、ほとんど成功欲、出世欲の無い、私だから感じていることなのでしょうか?
しかし、努力の先にあるものばかりに囚われていたら、今していることの幸せを見失ってしまうかもしれません。
今?...何もしていなくても、いやブログ書いているだけで幸せですとも...。
コメント (1)
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