人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

自然に、いつの間にか、思いがけなく...

2022-09-15 09:43:38 | 祈りと瞑想
先日、知人で(神道関係では割と有名人)古神道に伝わる鎮魂法(ある種の神人合一の法)を教えている方から電話がありまして、中々その神的な力を実習者に感応させる方法が分からない、というようなことを言われていました。
そこで、彼と私で意見が一致したのは、特別なやり方というのは無くて、全く自然に、いつの間にか、思いがけなくそうしたものが発現するということなのでした。
これはある筋で、鎮魂法と類似したものとして比較される、”スブド”という団体の”ラティハン”と呼ばれる修練、”金井メソッド”と言われる元波動との感応による瞑想、”野口整体”の”活元”という自然運動?などでも同じことが言えるのです。(活元には、みぞおちの辺りをどうとかする、といった秘訣のようなものもありますが、根本は自然と誘起してくるものであるはずです)
これは、又キリスト教で聖霊の臨在を感じるということと同じであり、要するに現臨に与ることと言っていいのです。
鎮魂法は、ごく触りの部分しか体験したことはありませんが、つまり神的な力が感応する場合には多少なりとも現臨感が伴っているものなのです。
私はよく祈ること(如何なる道にあっても祈りの精神、心持ちというものは必要だと思います)や意識を向けることがその”ツテ”であるかのように言ったりしますが、それは言葉として、一応の形として、そういう風に言っているまでで、現実には自然に、いつの間にか、思いがけなくそうなってしまうのです。
無為的なものにゆだねるしかない!...といって、何もしなくて棚からボタモチ式に落ちてくるものでもありません。う~ん...やっばり力まずに自然と、ゆったり祈り心(ゆだね心?)でいたらそうなり安いですかねねえ...何せ、思いを超えたことというのはわっからないもので...
とにかくそれは、こちらの思い、方法を超えて、あるいはそれらに先だってハタラくものなので、思おう、為そう、捉えよう、といった人為的なものから離れるということが”コツ”とは言えるでしょう。
ていっても、それが起こる時には、自然と起こるのでしょうが...
起こる時には起こる、起こらない時には起こらない?、起こるかどうかは分からない?
いや、そんな訳は無い!...起こらない訳が無い!...すべてはあちらが為されること!
自然に、いつの間にか、思いがけなく...眠るのか、起きるかどうかは分からない、などと言えようか?!
毎日、寝て、起きているではないか!...
コメント
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