人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

自分の人生の一大事

2024-02-18 09:45:18 | 求道、探究
「どうか私の言うことを盲信せず、英知を傾けて批判的に聞いて下さるようにお願いします。私が話すどんなことも鵜呑みにしないで下さい。何故なら真の理解なしに受け入れれば、人生を正しく理解し損なう可能性があるからです」
(クリシュナムルティ「白い炎」/コスモス.ライブラリー刊)

いつも触れていることで、精神的な道において極めて根本的に重要なことを改めて書いてみようと思うのですが、それは“自由と反逆の教師“、クリシュナムルティのこの言葉に集約されていると言えるでしょう。(注目すべきことは、この講話は、彼がまだ東方の星教団にあって“世界教師“の役割を担わされていた時ー1928年だったということで、翌年に有名な教団の解散宣言をして、死ぬまで孤高の教師として活動し始めるのですが、既にそういう精神的な基調は備わっていたのですね)
私はこれまで、ウンザリするほど特にその道の集まりの場などで、“教師の言葉を信じなければならない!“、という同調圧力のようなものを受けて来ました。
求道の初期の頃は、例えば、“この見える物質世界の他に見えない世界があり、それには上から神界、霊界、幽界とさらに細かい階層があり...“、といった、霊能者でない私には確かめようのない教えにその圧に屈していたような時もありましたが、やがてそういう心の在り方に疑問を抱くようになりました。
ただ、教師に権威を与えて、信従するだけのことなど、いたずらに先入観、固定観念、予断を心根に植え付けてしまうだけであり、本当の自分の内的な世界を開く上において、全く大した問題ではありません。
その疑問というのは、私に神的な現臨感が芽生えて、信じ従うという表層的思いを超えてその神的、霊なるもののが感じられるようになったからに他なりません。
神や霊なるものがあったとして、それがどう本心を開くことに関わるのか、それが他人事でない、自分の人生の一大事であるはずなのです!
このことは、その時の主たるその霊能的教師、五井先生も弁えておられたでしょう。
そうです、そういう囚われた思いは消えてゆく姿なのですよ。私には一つも身に付いていません。
いつまでも、囚われ、迷い続けているのなら、消えてゆく姿は“空“ということでしょう?
要するに、本当に自己を明らかにして、本心を開くのなら集団的思念から自由にならなければならないということなのです。
神や霊のことをいくら説かれていても、それが自己と切り離されて、思い描かれ、空想するだけだったら何にもなりません。
それが実存に切り込んできたなら、頭だけの沙汰でなく、全身全心全霊が揺さぶられ頷かざるを得なくなるでしょう。
それはどこまでも、あなたが直接確かめなければならないことであるのは言うまでもありません!


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