改めてということなりますが、このブログの基調となっているものについて書いてみます。
(一般的)には、人生というものは、この思い、為している自分が居て、見たまんま、思っているまんまの世界や歴史の中で生きている、とそう普通に思っているもので、私はこれを仮に“人生の表側“と呼んでいるのです。
一方、又“人生の裏側“と呼んでいるものは、一般的なことは何も言えません。“これが一般的なんだ!“、なんて考えられている世界では無いのですから!...思考が超えられないと開けてこない世界なのです。
表側はそのように自分が居て、世界が在る、相手が居るという相対的世界であり、裏側は自分と世界が分離しているように感じない世界...って、何だか相対的に説明してるやん!...ごもっともです。
すべての説明的な表現というのは、表側に譲歩しているものなんだから仕方無いでしょ!...表側のこと(言葉がそう)を借りなければ、絶対に裏側のことは説明出来ないのです!
裏側のことは、表側のようにどうしても表すことが出来ない。隠されているのです。これも相対的な言い方してますけど、“表があるから裏もある“...相対のままのことは言ってません。
つまり表裏は相対に見えて一体なんだ!
私はこういう関係性のことをここで強く言いたいのです。
よく、悟り系のスピなどで語られる、“あなたという個人も世界も幻想なのです!“、何てこと言うつもりはありません。
“有る“とどうしても感じ、思ってしまうことを、“無いんだ、ナイんだ“、なんて思おうとする必要も無いし、現実に無いようなものを“有るんだ“、なんて思う必要も無いのです(これは妄想に通じる)。
それでも私が裏側のことを強調するのは、世の人はあまりにも思われた表側のことに意識が傾き過ぎているように感じているからに他なりません。
なるほど、思われた人生というものは、苦しいことばかり、苦難の連続のように思えます。
だけど、本当に苦しみを作り出しているのは、そういう思われた世界がすべてだという思い込みではありませんか?
そういう人でも、風向きが変わったら、小鳥がさえずったら、一晩寝たら、そういう思いから離れるかもしれません。
何度も言いますが、裏側の世界は隠れ、見えないと言っても、それは霊界のことではありません。
思いの世界に隠れている、それを超えた世界のことなのです。霊界でもあの世でもなく、この世界には我々が気付いていないだけで、見えてないものがいっぱいあるのです。
苦しみから解放されようと、何かを為そう、変えようとしなくても、成っている、成って来るのです。
といって、何も表側には苦難や不調和ばかりがあり、裏側にしか幸福、調和は無いと言っているのではありません。
この現実世界にはここでしか味わえない幸福というものはあるでしょう。(例えば動画や画像でない、現物のナニに触れるとか?!)
だけどだけど、この世(これは表も裏もひっくるめてということ)で生きている上での本当の幸福とは、表と裏が相俟ってのものでしか無いのではないですか?
私は確かに人生の裏側に踏み入れて、至福に与ったことがありましたよ!
だけど、それはまだ私の目が黒い、この現実世界、雑踏のど真ん中で起きたことだったのですよ!
そう、本当は表も裏も無い現実世界をあなたも私も生きているのでしょう!...
(一般的)には、人生というものは、この思い、為している自分が居て、見たまんま、思っているまんまの世界や歴史の中で生きている、とそう普通に思っているもので、私はこれを仮に“人生の表側“と呼んでいるのです。
一方、又“人生の裏側“と呼んでいるものは、一般的なことは何も言えません。“これが一般的なんだ!“、なんて考えられている世界では無いのですから!...思考が超えられないと開けてこない世界なのです。
表側はそのように自分が居て、世界が在る、相手が居るという相対的世界であり、裏側は自分と世界が分離しているように感じない世界...って、何だか相対的に説明してるやん!...ごもっともです。
すべての説明的な表現というのは、表側に譲歩しているものなんだから仕方無いでしょ!...表側のこと(言葉がそう)を借りなければ、絶対に裏側のことは説明出来ないのです!
裏側のことは、表側のようにどうしても表すことが出来ない。隠されているのです。これも相対的な言い方してますけど、“表があるから裏もある“...相対のままのことは言ってません。
つまり表裏は相対に見えて一体なんだ!
私はこういう関係性のことをここで強く言いたいのです。
よく、悟り系のスピなどで語られる、“あなたという個人も世界も幻想なのです!“、何てこと言うつもりはありません。
“有る“とどうしても感じ、思ってしまうことを、“無いんだ、ナイんだ“、なんて思おうとする必要も無いし、現実に無いようなものを“有るんだ“、なんて思う必要も無いのです(これは妄想に通じる)。
それでも私が裏側のことを強調するのは、世の人はあまりにも思われた表側のことに意識が傾き過ぎているように感じているからに他なりません。
なるほど、思われた人生というものは、苦しいことばかり、苦難の連続のように思えます。
だけど、本当に苦しみを作り出しているのは、そういう思われた世界がすべてだという思い込みではありませんか?
そういう人でも、風向きが変わったら、小鳥がさえずったら、一晩寝たら、そういう思いから離れるかもしれません。
何度も言いますが、裏側の世界は隠れ、見えないと言っても、それは霊界のことではありません。
思いの世界に隠れている、それを超えた世界のことなのです。霊界でもあの世でもなく、この世界には我々が気付いていないだけで、見えてないものがいっぱいあるのです。
苦しみから解放されようと、何かを為そう、変えようとしなくても、成っている、成って来るのです。
といって、何も表側には苦難や不調和ばかりがあり、裏側にしか幸福、調和は無いと言っているのではありません。
この現実世界にはここでしか味わえない幸福というものはあるでしょう。(例えば動画や画像でない、現物のナニに触れるとか?!)
だけどだけど、この世(これは表も裏もひっくるめてということ)で生きている上での本当の幸福とは、表と裏が相俟ってのものでしか無いのではないですか?
私は確かに人生の裏側に踏み入れて、至福に与ったことがありましたよ!
だけど、それはまだ私の目が黒い、この現実世界、雑踏のど真ん中で起きたことだったのですよ!
そう、本当は表も裏も無い現実世界をあなたも私も生きているのでしょう!...