私は祈りによって導かれた、といつも言っています。
祈りによって神的な現臨感を覚えることになったのです。
それは、求道の初期、昭和53年のこのお盆の頃、その萌芽のようなものが既にあった、ということも書いているのですが、もっと具体的に言いますと...“ああ、あれかなあ?“と突然、脳裏に浮かんで来たことがあるのです。
その頃は、大学四年、東京在住で関西に旅行に来ていました。いや、それはただの旅行である訳がなく、とにかくその頃は、宗教的、スピ的なことへの関心が大勢で、関西にある、誰も知らないマイナーなその関係の秘教団体(?)をいくつか訪ねるということが目的だったのです。
しかし、予約していた宿が近いという理由でか、ついでだからってんで、京都の五井先生の白光会の支部へ行きました。
そこで、どういう訳だか、それまで何度も行っている市川の本部道場では、一度も試みたことの無い人生(求道)相談を受けてみることにしたのです。
何を伺おうとしたのか?...関西くんだりまで来て、こういうことをしてて良いのか?、ということでも良かったのですが、要するに、当時のありのままの私の意識の向き様、有り様と言える、“五井先生に帰依する気持ちもあるが、他に大本の出口王仁三郎師匠(だけでない!)などにも惹かれるのですが、こういうことで良いのか?“、という旨のことだったと思います。
すると、名前は忘れましたが、その講師の先生、そういう私の一寸浮ついた心持ちを見抜いたか、そういうことをたしなめるように、“君は今大学生なのでしょ?、だったら学業に精を出さないと...それに就職のこともあるんだろうから、そういうことは程々にしないと...“と全く見下すような態度で言い放ったのです。
私は“そんな世間的なお説教じみたこと聞きに来たんじゃねーわ!、ああこのヒト全然、親身になってくれないし、その講師の資格?ともなるであろう、霊感らしきものも大したことあるまい!“と不満な気持ちにさせられたのでした。
それから、形式どおり、向き合って世界平和の祈りをすること数分間...私はそういう型通りの祈りに囚われることなく、私の見えない導師(守護霊?)に、この道中のことも含め、道の歩みについての導きを祈ったのでした。
それが終わると、その講師の先生、それまでの態度が一変して、興奮交じりで、“いや、あなたはいつも本当に祈ってらしているのですね...大変な導きを受けておられる!...あなたの求道は、どうあったらいいか、ですって?...そのまんまでいいのですよ!“、と口調からして、まるで印籠を見せられた黄門様のように別人扱いです。
私はそんなに熱心に件の祈りをしていた訳でもないし、ただその頃は、自由な心持ちで、“御心のままに導き下さい“、とそれもそんなに熱心だった訳でもないので、一寸呆気にとられたようになりました。
そこで、私は祈りというものも含め、守護の導きというものは、教団主導となるものではない、少なくともこの五井先生の会ではそうなのだな、ということを認識したのです。
しかし、考えてみれば、五井先生の教えというのは、“守護霊、守護神教“と言われるように各人、一人一人が守護の神霊につながることを主軸にしていたはずなのだから、それも当たり前のことのようにも思えるのです。
そのことを通して、私の内に何か自信のようなものが生まれたのは確かなことでした。
私の求道には、まだ上っ調子なところもあるけれど、そうでない、それに流されない本筋のようなものもあることを強く思えて来るのでした。
“おお、君、よく感じなさった!、それは漠然と君が思っていることじゃない!、それが、そのものが君を変わらずに導いているんだ!、それは後々なって、いよいよリアルに、細胞レベルにも身に覚えずにおれなくなるだろう!“
その時には、まだ意識的になっていなかったので、朧気に感じていたものですが、そこにあるのは、確かに愛、平安!...それこそが神的な現臨でなくて何であろう!
京都の北山の向こうからか、何か私の内なるものを呼び覚ます声が聞こえて来るよう...
その時は、その後それを目の当たりにすることなど、知る由も無かったのでした...。
祈りによって神的な現臨感を覚えることになったのです。
それは、求道の初期、昭和53年のこのお盆の頃、その萌芽のようなものが既にあった、ということも書いているのですが、もっと具体的に言いますと...“ああ、あれかなあ?“と突然、脳裏に浮かんで来たことがあるのです。
その頃は、大学四年、東京在住で関西に旅行に来ていました。いや、それはただの旅行である訳がなく、とにかくその頃は、宗教的、スピ的なことへの関心が大勢で、関西にある、誰も知らないマイナーなその関係の秘教団体(?)をいくつか訪ねるということが目的だったのです。
しかし、予約していた宿が近いという理由でか、ついでだからってんで、京都の五井先生の白光会の支部へ行きました。
そこで、どういう訳だか、それまで何度も行っている市川の本部道場では、一度も試みたことの無い人生(求道)相談を受けてみることにしたのです。
何を伺おうとしたのか?...関西くんだりまで来て、こういうことをしてて良いのか?、ということでも良かったのですが、要するに、当時のありのままの私の意識の向き様、有り様と言える、“五井先生に帰依する気持ちもあるが、他に大本の出口王仁三郎師匠(だけでない!)などにも惹かれるのですが、こういうことで良いのか?“、という旨のことだったと思います。
すると、名前は忘れましたが、その講師の先生、そういう私の一寸浮ついた心持ちを見抜いたか、そういうことをたしなめるように、“君は今大学生なのでしょ?、だったら学業に精を出さないと...それに就職のこともあるんだろうから、そういうことは程々にしないと...“と全く見下すような態度で言い放ったのです。
私は“そんな世間的なお説教じみたこと聞きに来たんじゃねーわ!、ああこのヒト全然、親身になってくれないし、その講師の資格?ともなるであろう、霊感らしきものも大したことあるまい!“と不満な気持ちにさせられたのでした。
それから、形式どおり、向き合って世界平和の祈りをすること数分間...私はそういう型通りの祈りに囚われることなく、私の見えない導師(守護霊?)に、この道中のことも含め、道の歩みについての導きを祈ったのでした。
それが終わると、その講師の先生、それまでの態度が一変して、興奮交じりで、“いや、あなたはいつも本当に祈ってらしているのですね...大変な導きを受けておられる!...あなたの求道は、どうあったらいいか、ですって?...そのまんまでいいのですよ!“、と口調からして、まるで印籠を見せられた黄門様のように別人扱いです。
私はそんなに熱心に件の祈りをしていた訳でもないし、ただその頃は、自由な心持ちで、“御心のままに導き下さい“、とそれもそんなに熱心だった訳でもないので、一寸呆気にとられたようになりました。
そこで、私は祈りというものも含め、守護の導きというものは、教団主導となるものではない、少なくともこの五井先生の会ではそうなのだな、ということを認識したのです。
しかし、考えてみれば、五井先生の教えというのは、“守護霊、守護神教“と言われるように各人、一人一人が守護の神霊につながることを主軸にしていたはずなのだから、それも当たり前のことのようにも思えるのです。
そのことを通して、私の内に何か自信のようなものが生まれたのは確かなことでした。
私の求道には、まだ上っ調子なところもあるけれど、そうでない、それに流されない本筋のようなものもあることを強く思えて来るのでした。
“おお、君、よく感じなさった!、それは漠然と君が思っていることじゃない!、それが、そのものが君を変わらずに導いているんだ!、それは後々なって、いよいよリアルに、細胞レベルにも身に覚えずにおれなくなるだろう!“
その時には、まだ意識的になっていなかったので、朧気に感じていたものですが、そこにあるのは、確かに愛、平安!...それこそが神的な現臨でなくて何であろう!
京都の北山の向こうからか、何か私の内なるものを呼び覚ます声が聞こえて来るよう...
その時は、その後それを目の当たりにすることなど、知る由も無かったのでした...。