前回の続きを書くつもりで、京都でいい気になって、白光の京都支部を後にしてからのことを書こうと思ったのですが、突然、記憶がつながりました。
後のことだとずっと思っていたのは、その前のことだった!
そうだった!...私は、夕方神戸から京都に直行したのでした。
京都へは貧乏学生の身とて、格安の宿を予約していて、京都駅から確かバスに乗り、丸太町か出町柳だかの裏通りを“上がる“とか“下がる“とか“入る“とかして、散々迷ったあげく着いたのですが、何とそこは、冷房が無かったのに気づくのは遅かった!...どおりで安いはずだ!
あんなに寝苦しい思いをしたことは生まれて初めてだったかもしれません。
寝付いたもののすぐに目が覚めてしまい、時間を持て余してしまうので、その日の収穫の書物を二冊ほど、暑さで頭がボーッとなるのにもめげず、じっくり読むことにしました。
一つは、須磨にあった「大調和協会」の神戸支部で、確かタダで頂いた、会主命御の口述による「大調和世界」というタブロイド版の書き物です。
「今、この時機、人類の上に、厳けくも その 大調和世界開顕の大聖業は、発祥されたのでございます」
こういう種類の文体の書き物は、私はこれまで読んだことがありません。
これは、宗教なのか?、哲学?...神、仏のことは全く言葉としては出て来ない...
今、何か人類レベルで、大変なことが始まったらしい?...何が?...その何が、どうなって、そういうことになったのか?、という経緯のことが何も記されていないではないか?
そもそも私がこの大調和協会に多大な関心を抱いたのは、西村忠義さんの「人類の復活」という本を通してのもので、大本教の「元の、真の神が世に顕れる」経綸との関連だったが、これはそれとどう結びつくのだろうか?...さっぱり分からない!
それなら、こっちの灘にあった「神政龍神会」で割と高価で求めた矢野裕太郎著「神霊正典」の方が、神界、霊界、幽界、現界に渡る、悪の世の起こりや、善神、邪神の戦いを経て、“みろくの世“の出現に至る、神々と人間のドラマが克明に記されている点で、見るべきものがあるのではないか?...
と、後に関西に移住することにもなるほど、多大な縁を持つことになる、大調和協会との出会いも、誰も知らない単なるマイナー団体の一つという認識でしかありませんでした。
そして、お分かりのように、神界や霊界や神々のことが分かったといっても、それは所詮知識欲を満足させるものに過ぎず、本当に自己の内奥、霊性が開かれることにつながることでは無いのです。
要するに、当時の私はまだ、思いを超えるということがどういうことなのか?、その思考との識別が分からなかったのです。
ということは、本当には愛、平安がどういうものなのかも分からなかったということになりますが...内心では分かっていたはずです。これでいいのだろうか、と。
ただ、表層で囚われている思いが強く、その本心を覆っていたのです。
京都の宿の寝苦しい夜、暑さも手伝って、どうもモヤモヤしている...自分が迷っていることくらいは、自分で分かりますよ!...そうでしょ!
そうだったんだ!...これを払拭したかったのです。
重く、どんよりした空気に、涼風が吹き込んで来る清々しさを求めて...
明日は祈ろう!...
後のことだとずっと思っていたのは、その前のことだった!
そうだった!...私は、夕方神戸から京都に直行したのでした。
京都へは貧乏学生の身とて、格安の宿を予約していて、京都駅から確かバスに乗り、丸太町か出町柳だかの裏通りを“上がる“とか“下がる“とか“入る“とかして、散々迷ったあげく着いたのですが、何とそこは、冷房が無かったのに気づくのは遅かった!...どおりで安いはずだ!
あんなに寝苦しい思いをしたことは生まれて初めてだったかもしれません。
寝付いたもののすぐに目が覚めてしまい、時間を持て余してしまうので、その日の収穫の書物を二冊ほど、暑さで頭がボーッとなるのにもめげず、じっくり読むことにしました。
一つは、須磨にあった「大調和協会」の神戸支部で、確かタダで頂いた、会主命御の口述による「大調和世界」というタブロイド版の書き物です。
「今、この時機、人類の上に、厳けくも その 大調和世界開顕の大聖業は、発祥されたのでございます」
こういう種類の文体の書き物は、私はこれまで読んだことがありません。
これは、宗教なのか?、哲学?...神、仏のことは全く言葉としては出て来ない...
今、何か人類レベルで、大変なことが始まったらしい?...何が?...その何が、どうなって、そういうことになったのか?、という経緯のことが何も記されていないではないか?
そもそも私がこの大調和協会に多大な関心を抱いたのは、西村忠義さんの「人類の復活」という本を通してのもので、大本教の「元の、真の神が世に顕れる」経綸との関連だったが、これはそれとどう結びつくのだろうか?...さっぱり分からない!
それなら、こっちの灘にあった「神政龍神会」で割と高価で求めた矢野裕太郎著「神霊正典」の方が、神界、霊界、幽界、現界に渡る、悪の世の起こりや、善神、邪神の戦いを経て、“みろくの世“の出現に至る、神々と人間のドラマが克明に記されている点で、見るべきものがあるのではないか?...
と、後に関西に移住することにもなるほど、多大な縁を持つことになる、大調和協会との出会いも、誰も知らない単なるマイナー団体の一つという認識でしかありませんでした。
そして、お分かりのように、神界や霊界や神々のことが分かったといっても、それは所詮知識欲を満足させるものに過ぎず、本当に自己の内奥、霊性が開かれることにつながることでは無いのです。
要するに、当時の私はまだ、思いを超えるということがどういうことなのか?、その思考との識別が分からなかったのです。
ということは、本当には愛、平安がどういうものなのかも分からなかったということになりますが...内心では分かっていたはずです。これでいいのだろうか、と。
ただ、表層で囚われている思いが強く、その本心を覆っていたのです。
京都の宿の寝苦しい夜、暑さも手伝って、どうもモヤモヤしている...自分が迷っていることくらいは、自分で分かりますよ!...そうでしょ!
そうだったんだ!...これを払拭したかったのです。
重く、どんよりした空気に、涼風が吹き込んで来る清々しさを求めて...
明日は祈ろう!...