少しく自分自身について考えたことのある人なら、自分とは何か?、何故ここに居るのか?、何のために生きているのか?、などのことを問題にするでしょう?
本当にそのことに向き合っているのなら、”ある先生は本当の自分についてこう言っている、ある本では、生きる意味についてこう書かれている”、なんていう所与の定見などで、分かったつもりになり、満足など出来ないはずです。実存的な問題とはそういうことでは無いのです。
といって、考えたからといって分かる、結論が出ることではありませんが!...
私の場合、小さい頃あまりそういうことを考えたという記憶は無いのですが、突然、それまで当たり前のように感じていた、その自分というもの、自分がどこに居るのか、ということが分からなくなってしまったことがありました。
それで、考えようとしたようなのですが、考えられないのです!
周りに居た肉親らにそのことを告げると、”いいか、俺がここに居て、お前がそこに居るんだ、考えりゃ分かるだろ!”と、笑い半分であまり親身になって答えてくれません。
”そう言っていて、そこに居るのは誰だ?”...自己も他己も分からなくなってしまったようなのです。
相手が居るから自分が居る、なんていうのは考えられた理屈に過ぎません。
考えられないんだってば!...”考えてみよう”、なんて悠長なことじゃなくて、生きる上での大問題が起こってしまったんですよ!
”そりゃあ、分離の無い非二元の悟りの境地だっせ!”、だと!、バカなこと言っちゃいけない!
もう、本当に何もかもが立ち行けなくことなんだ!...ただ、自分も他人もない、全体しかない(いや、これは何が全体かすら分からないということなんだ!)みたいな境地を求めるなんてのは余程どうかしてますよ!
おそらく、こういう状態のことは、心療医はナントカ症候群とか言って、ある種の意識障害と看做すのでしょう?...
”おっ!”...と、こう書いてみて、私は由々しき問題が”今”、発生していることに気が付きました。
それは、この今、そういう状態みたいなことになっているということに他ならないのです!
ど、どうすりゃいいんだ!...誰も助けちゃくれないぞ!
聞こえる音といったら、部屋の外で秋の虫の声がするだけ!...
そして、”私はここに居る”...
これでいい!...すべてが立ち行く...
”ただ今、戻りました!”...ご心配なく!
何だか、アッという間のハプニング的な出来事ですが、今日のことは、虫の声が”自分を取り戻す”キッカケになったのでしょう?
でも、それが無くても、そうなりますよ。
私にはね、神様や守護霊様がついているのですから!...って、ここではそういう形而上的な実体を持ち出す必要は無いのです。(私は一応救われたのだから、私が勝手にそのように思うのは自由なんですけどね)
これがつまり、私は一個なる自分だけで生きているのではなく、自分を超えたもの、在らしめるものと共にある、ということなのです。”私が居る”、ということは”私を超えたものが現存している”、ということなんだ!
ああいうハプニングはたまにあるけど、このことは、書こうとするだけでいつもそうなるのです。意識が向かったままのことになるという...
あ、そうか!...実地に分からそうとして、何かがそう書かそうとしたということなのか?(読み手には何だかよく分からないかもしれませんが)
何にしても、こうして書いていること自体、オソロシイような、有難いことなんであります!...
本当にそのことに向き合っているのなら、”ある先生は本当の自分についてこう言っている、ある本では、生きる意味についてこう書かれている”、なんていう所与の定見などで、分かったつもりになり、満足など出来ないはずです。実存的な問題とはそういうことでは無いのです。
といって、考えたからといって分かる、結論が出ることではありませんが!...
私の場合、小さい頃あまりそういうことを考えたという記憶は無いのですが、突然、それまで当たり前のように感じていた、その自分というもの、自分がどこに居るのか、ということが分からなくなってしまったことがありました。
それで、考えようとしたようなのですが、考えられないのです!
周りに居た肉親らにそのことを告げると、”いいか、俺がここに居て、お前がそこに居るんだ、考えりゃ分かるだろ!”と、笑い半分であまり親身になって答えてくれません。
”そう言っていて、そこに居るのは誰だ?”...自己も他己も分からなくなってしまったようなのです。
相手が居るから自分が居る、なんていうのは考えられた理屈に過ぎません。
考えられないんだってば!...”考えてみよう”、なんて悠長なことじゃなくて、生きる上での大問題が起こってしまったんですよ!
”そりゃあ、分離の無い非二元の悟りの境地だっせ!”、だと!、バカなこと言っちゃいけない!
もう、本当に何もかもが立ち行けなくことなんだ!...ただ、自分も他人もない、全体しかない(いや、これは何が全体かすら分からないということなんだ!)みたいな境地を求めるなんてのは余程どうかしてますよ!
おそらく、こういう状態のことは、心療医はナントカ症候群とか言って、ある種の意識障害と看做すのでしょう?...
”おっ!”...と、こう書いてみて、私は由々しき問題が”今”、発生していることに気が付きました。
それは、この今、そういう状態みたいなことになっているということに他ならないのです!
ど、どうすりゃいいんだ!...誰も助けちゃくれないぞ!
聞こえる音といったら、部屋の外で秋の虫の声がするだけ!...
そして、”私はここに居る”...
これでいい!...すべてが立ち行く...
”ただ今、戻りました!”...ご心配なく!
何だか、アッという間のハプニング的な出来事ですが、今日のことは、虫の声が”自分を取り戻す”キッカケになったのでしょう?
でも、それが無くても、そうなりますよ。
私にはね、神様や守護霊様がついているのですから!...って、ここではそういう形而上的な実体を持ち出す必要は無いのです。(私は一応救われたのだから、私が勝手にそのように思うのは自由なんですけどね)
これがつまり、私は一個なる自分だけで生きているのではなく、自分を超えたもの、在らしめるものと共にある、ということなのです。”私が居る”、ということは”私を超えたものが現存している”、ということなんだ!
ああいうハプニングはたまにあるけど、このことは、書こうとするだけでいつもそうなるのです。意識が向かったままのことになるという...
あ、そうか!...実地に分からそうとして、何かがそう書かそうとしたということなのか?(読み手には何だかよく分からないかもしれませんが)
何にしても、こうして書いていること自体、オソロシイような、有難いことなんであります!...
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます