「私は燃えている宇宙の中心に神性が透けて見えるということを、地球の研究に携わりながら体験した。…キリスト、その聖なる心、炎、それはあらゆるものに浸透して行くことが出来る。事実それはいたるところへ次第に広がって行った」(ティヤール・ド・シャルダン)
ティヤール・ド・シャルダンは20世紀フランスの古生物学者にしてカソリックの司祭。生前は教会側からそのユニークな言説が異端視され、著書も発禁されたのですが、死後”開かれたカソリック教会”をもたらした60年代の第二バチカン会議を契機として、掌を返したように注目されるようになりました。大評判となった「現象としての人間」や「神の国・宇宙賛歌」(みすず書房)は容易に入手出来るはずです。
手島郁郎先生は、ティヤールの思想に共感して聖書講話でしばしばそれを敷衍して、”この原始福音こそは、未来において出現するであろうキリスト族なる新人類の先触れとなろう…”などと語っていました。
今では、スピ界でも人間の進化、世界の未来に関する言説も珍しくなくなってきましたが、彼は上述のように自由な表現が困難な環境の中で、ある時は純然たる客観科学の領域で、ある時はキリスト教的神秘思想の中でそれらを展開してきました。
(正直、科学に疎い私には、前者の方は理解がお及ばないところが有ります)
彼は子供の頃を回想して、近くに落ちていた石ころや鉄の破片の内に、永遠なるもの、神聖な何かを感じ取ったそうです。
彼が従来の進化論の定説には満足出来ず、キリスト信仰の影響から既存の科学的見地からはみ出た、独自の思想に終生精神を傾注させたのは、”事物は見たままが全てでは無く、そこには見えない摂理、神の創造的意志が隠されており、今もなお新たな進化に向けて生成してやまないものだ…”という信念に違いないでしょう。
ティヤールはまず、その主著「創造的進化」により、大きな反響を呼んだフランスの哲学者ベルグソンの影響を受けますが、私にはティヤールにあって「創造的進化」なる言葉は別の光を帯びて輝いているのを感じます。
それによると、進化は宇宙進化、生物進化と続き、人間進化に至ってターニング・ポイントを迎え、そこからある終局的一点~オメガ・ポイントと言う~に向かって収束されるといいます。(どうして終局なのかは私には分からないが…)
彼はこの一点こそをキリストに見立てているのです。「キリストは世界は物質と精神の全体系を調和あるものにする。」
短絡的に読むと、あらゆる多様した要素を持った人類が、一なるキリストに吸収されてしまうかのように思えますが、「人類の構成分子としての各人格は、精神的機能を有する統一体もしくは、より高度な魂と接近することによって自己を確立し得る…」と述べています。
ここへくると、もはや現象科学の域を完全に超えて、人類の内奥に隠された普遍的有機体が顕現する…というロシアの思想家ソロヴィヨフやベルジャーエフなどのヴィジョンと重なってきます。
人間存在が進化するというよりも、その原初的な創造的活動の発露として、人間に内在する共同体的なものを顕わにする、ということです。
ティヤールとベルジャーエフは同時代人であり、伝記では実際に交流が有った旨のことを伝えていますが、私の知る限りベルジャーエフの自伝的著作「わが生涯」にも、如何なる著作にもティヤールへの言及はなされていないようです。
親交のあったロシアの思想家で言うならば、特異な宇宙論者、生物学者ヴェルナッツキーが挙げられます。ことに人間進化と関わるものとして精神圏なる圏層領域を仮定したところに強い影響がみられます。
この精神圏から発せられる愛のエネルギーに触れることにより、魂は変容、昇華される…と言う…何かフォトン・ベルトのようなものを想起させます。精神圏は思考圏とも訳されていますが、これはもっと本源的な意識圏、超意識的なものとみるべきでしょう。
少なくとも、それを含めたものでなければ、動的な”創造的進化を促すものとはならない、と思われるのですが…
いずれにしても、彼の生き方、思想を概観すると、統合という言葉が過ってきます。
彼において物質科学とキリスト神秘思想が統合されていたように、見えるものと見えないもの、そして又個的なものと普遍的なものも統合されていたのです。
ティヤール・ド・シャルダンは20世紀フランスの古生物学者にしてカソリックの司祭。生前は教会側からそのユニークな言説が異端視され、著書も発禁されたのですが、死後”開かれたカソリック教会”をもたらした60年代の第二バチカン会議を契機として、掌を返したように注目されるようになりました。大評判となった「現象としての人間」や「神の国・宇宙賛歌」(みすず書房)は容易に入手出来るはずです。
手島郁郎先生は、ティヤールの思想に共感して聖書講話でしばしばそれを敷衍して、”この原始福音こそは、未来において出現するであろうキリスト族なる新人類の先触れとなろう…”などと語っていました。
今では、スピ界でも人間の進化、世界の未来に関する言説も珍しくなくなってきましたが、彼は上述のように自由な表現が困難な環境の中で、ある時は純然たる客観科学の領域で、ある時はキリスト教的神秘思想の中でそれらを展開してきました。
(正直、科学に疎い私には、前者の方は理解がお及ばないところが有ります)
彼は子供の頃を回想して、近くに落ちていた石ころや鉄の破片の内に、永遠なるもの、神聖な何かを感じ取ったそうです。
彼が従来の進化論の定説には満足出来ず、キリスト信仰の影響から既存の科学的見地からはみ出た、独自の思想に終生精神を傾注させたのは、”事物は見たままが全てでは無く、そこには見えない摂理、神の創造的意志が隠されており、今もなお新たな進化に向けて生成してやまないものだ…”という信念に違いないでしょう。
ティヤールはまず、その主著「創造的進化」により、大きな反響を呼んだフランスの哲学者ベルグソンの影響を受けますが、私にはティヤールにあって「創造的進化」なる言葉は別の光を帯びて輝いているのを感じます。
それによると、進化は宇宙進化、生物進化と続き、人間進化に至ってターニング・ポイントを迎え、そこからある終局的一点~オメガ・ポイントと言う~に向かって収束されるといいます。(どうして終局なのかは私には分からないが…)
彼はこの一点こそをキリストに見立てているのです。「キリストは世界は物質と精神の全体系を調和あるものにする。」
短絡的に読むと、あらゆる多様した要素を持った人類が、一なるキリストに吸収されてしまうかのように思えますが、「人類の構成分子としての各人格は、精神的機能を有する統一体もしくは、より高度な魂と接近することによって自己を確立し得る…」と述べています。
ここへくると、もはや現象科学の域を完全に超えて、人類の内奥に隠された普遍的有機体が顕現する…というロシアの思想家ソロヴィヨフやベルジャーエフなどのヴィジョンと重なってきます。
人間存在が進化するというよりも、その原初的な創造的活動の発露として、人間に内在する共同体的なものを顕わにする、ということです。
ティヤールとベルジャーエフは同時代人であり、伝記では実際に交流が有った旨のことを伝えていますが、私の知る限りベルジャーエフの自伝的著作「わが生涯」にも、如何なる著作にもティヤールへの言及はなされていないようです。
親交のあったロシアの思想家で言うならば、特異な宇宙論者、生物学者ヴェルナッツキーが挙げられます。ことに人間進化と関わるものとして精神圏なる圏層領域を仮定したところに強い影響がみられます。
この精神圏から発せられる愛のエネルギーに触れることにより、魂は変容、昇華される…と言う…何かフォトン・ベルトのようなものを想起させます。精神圏は思考圏とも訳されていますが、これはもっと本源的な意識圏、超意識的なものとみるべきでしょう。
少なくとも、それを含めたものでなければ、動的な”創造的進化を促すものとはならない、と思われるのですが…
いずれにしても、彼の生き方、思想を概観すると、統合という言葉が過ってきます。
彼において物質科学とキリスト神秘思想が統合されていたように、見えるものと見えないもの、そして又個的なものと普遍的なものも統合されていたのです。
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