人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

人生最大のプレゼント

2021-09-01 11:50:49 | 現臨、ハタラキ
"意識を向ければ、パッと何かが臨み、何かが開ける"、なんてこといつも書いていますが、これはこのブログをしていなかったら、誰にも言ってなかったことなのです。
もっとも言ったって誰も相手にしてくれないでしょうけど...
これはね...改まって言うのもなんなんですけど、本当にホントーに驚くべきことなんですよi...ホントーに有難いことなんですよi
何が有難いって、有難いと思おうとしなくたって、有り難くなっちゃうってことです。
...って、有難いってどういうことなんだ?...そう与り難いものが有るってことなんでしょうか?
そう、有るんだi...それを信じようとしなくたって現存している、現臨するものなのですi
こういうことを強調するようになった切っ掛けは(ブログを始めた当初、私もそういうことに手を染めようとしていたキライがあったのですが)、悟り系スピでは当たり前のように説かれていた、例えば、"あなたという個人は居ない、それは幻想です。あなたは最初から悟っているのです"、と言葉だけで、催眠誘導のように、観念的に説き伏せてしまう傾向に違和感を覚えたからです。
とにかく、具体的にそう感じさせる、そう赴かせる何かが欠落していたら、そういうものは所詮ただの理屈にすぎず、信じ、従うことによってしか捉えることは出来なくなります。
それでは一元と言おうが二元と言おうが、観念的宗教と同じでしょう。
そう仕向ける誰かが居て、信じ、従う誰かが居るのであれば、まるっきし二元的構図そのものではないかi...もし、そこに愛、平安、幸福といったものが共有されるのであれば、それはそれで構わないのでしょうが...使役、追従を伴う二元的関係性からそういうものは真実に生まれるでしょうか?
愛、平安、幸福をもたらすもの、それ自体の臨在i...これを驚くべき事態と言わずして何であろうi
これはね...私の卓見に他ならないのですよi..."違うってi"
古今東西のあらゆる精神的道において、真摯にそれに関わっている人なら誰だって知らされていることでしょう?...その何がしかを感じ取っているはず...でなきゃそういう道を求め、歩んでないでしょう?
私もこういうことを書く以前から知らされていた端くれです。
ただ、あまり意識はしていなかったのです。
だから、チョイと意識してみた...すると..."パッi"...となった次第でして、"意識を向ければ..."なんてテキトーに書いていたものが、現実にそうなってしまったのでしたi
意識するということは、思おうとしたり、信じようとしたり、観念ごとにしないで、感じる、感じられるものを意識する...自分が考え、信じる以前に、それを超えて有るものを意識する、つまり向けることです。
これは、形を超えた祈りと言ってもいいでしょう。"私は元々悟っているんだ、神と一つなんだi"、と自己暗示みたいに念じたりしないで、祈ったらいいのです。
そうすれば、この驚くべき、"presense"、誰もが、この人生最大のプレゼントに与れる...かもしれない...。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« PRESENSE OF THE LORD | トップ | 不可解な世界戦 »

コメントを投稿

現臨、ハタラキ」カテゴリの最新記事