人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

深まり行く浮気信心

2018-07-17 17:30:37 | 回想
昭和54年夏、母が逝って数週間経ったある日、既に別に所帯を持っていて(要するに妾さんとその子と暮らしていた)、たまにしか帰らない父とわが家でしばし談笑していました。
ふと、父が自分の本棚に目をやり、その中に自分に見に覚えのない一冊が紛れ込んでいるのに気がつきました。
「おや、これは何だ? ま、まさかこれはお前の本なのか?」
それは読売新聞社から出ていた「出口王仁三郎著作集」なのでした。
(父は東京で、出口聖師を見たことがあると言ってましたが、昭和神聖会の集まりか何かだったのでしょう)
さらに...「何? 生長の家、五井...え、小池辰雄...こりゃ何だ、誰だ? 知らんぞi」
私は通り一辺に説明しました。
「ああ、その人は僕の大学の教授でね、内村鑑三の孫弟子に当たる人だよ」さすがに、先生の集会の有り様ー異言が迸り、火の出るような白熱した祈り...というような様のことは話す訳には行きませんでしたが、父の表情が段々コワバってくるのが見てとれました。
「おい、お前いつの間にこんなに宗教に懲り出したんだ...お前ってヤツは...」
父にはこの数年前、私がM教団に入信し、その後辞めた経緯は伝えていました。父は、私が一寸ほとぼりが覚めたと思ったら、思いもよらぬ方向に足を踏み入れていることに衝撃を感じているようでした。
父の心の中を察すると、おそらくこんなだったでしょう。「あの時はバカなお前のことだから、フラフラと勧誘のうまい言葉につられてヘンな宗教に入り込んだのだろう...ところが、今のお前と来たら自前で、お前にしては不相応に分厚い本を何冊も読んでいるというのか? コイツ、いつの間に...」
こんなやり取りを交わしているうち、やがて父の表情にはある種の当惑も加わるようになりました。
「だけど、お前、一体どうなってるんだ? 大本教だろ、生長の家、無教会キリスト教...何が何だか俺にはわからんi お前は一体何教なんだ、はっきりしろi」
そこで私は大本教、無教会由来のような文句で、無理矢理、整合性を持たせるように説明してみました。
「僕は万教同根主義だ。無教会主義だ...」
「ふ、ふざけたことを...そんな浮気信心みたいなもん、ちっとも深みがなく、浮草みたいに漂い続けるだけだろ...」
と、暗に私が抜き差しならぬ方向に行かないように、転向を促すようなことを一方的に諭そうとしていましたが、その後話がこじれて大ゲンカに発展してしまいました。
その為か、それ以来父にとって私と宗教について語るのは絶対タブーだったようで、深く話し合ったことはありません。多分「それから、どうなった?」何てことはウカツに訊けなかったと思います。
ただ、父はずっとそれ以来、私が大本教徒だという疑いを持っていたようでした。
そして、その夏にも、謎の秘教団体、大調和協会や、知られざる神示を発信していた教会を探訪する目的で、二度目の関西旅行を計画していたこの頃、私の心象には言いようのない高揚感とともに、このようなものが息づいていたのでした。

僕が何教徒だって?
僕にも分からない...誰か教えてほしい...
浮気信心...どこを拠り所にして、どこに導かれるかも分からない...
だけど...
今、ハッキリと感じている...
かつてある宗教の信者だった頃には、全く感じていなかったものが...
こんなのは生まれて始めてだ
僕はどうしても惹かれてやまないものに、惹かれているだけだ
そして、それは一段と深まって行く...
それはある鉱脈にぶち当たるまで、どうあってもやみそうにない
これは本当に抜き差しならぬ方向に足を踏み入れてしまったようだ...

父は8年前、上旬に逝った母と同じ7月の下旬逝ってしまいました。

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