ハワイで活躍していたマスター、フーマンによれば、今まで日本の歴史上出現した中で最も偉大なマスターは、出口王仁三郎だと言います。
私はこれを知って、直接その話を聞いていたキヨタカさんと同じく「へえ…そんなものですかねえ?」と思わざるを得ませんでした。
もとより誰がどんなだったかなどということは、どっちでもよく「君がどうかい」ということの方が重要なのですが…それにしても話としては面白いです。
ただ言える事は出口聖師個人の法力というものが、果たしてどんなものなのかは知る由も無いですが、直接どこまで関わっていたかはともかく、こと聖師在世時のその周囲に巻き起こった数々の影響たるや、もうケタ違いだったと言う他ありません。
出口聖師の歩くところ、発現するところタダでは収まらない、という感じです。
例えば大正14年、大本が標榜していた万教同根を地で行くような、世界宗教連合会なるものが掛け声だけに終わらず実現してしまいました。
昭和に入ると、”世の大立て替え、立て直し”を触れ回るだけでは済まない、実行団体と思しきものが出現します。昭和神聖会です。
これに右翼の黒幕だとか、国家を動かすような有力者たちが流れ込んできます。
”アレはハッタリどころじゃ済まない!化け物に国家が乗っ取られる!”と躍起になった当時の官憲は徹底的に大本、その関連団体を潰しにかかりました。第二次大本事件です。
これは20年前のオウム真理教事件とは、全く裏返したような構造になっていることが知られます。
国家の転覆、クーデターだと確信して乗り込んでみたら、その実態は…農村自給計画のようなものだった…
オカシナことやってる新宗教を野放しにしていたら、これがまさかまさかのテロ集団だった…
警察当局がうかつにオウムに踏み込めなかった大きな理由、それはかつて大本に適用した悪名高き治安維持法の行使~国家権力による宗教弾圧~など、罷り通す訳には行かない現代の事情が有ったためです…。
では大本とは時の権力の犠牲者だったのでしょうか?
いや、この事件の裏は出口聖師自ら仕掛けたものだったことにより、複雑なものにしています。
何も知らない一般信徒こそは、そうだったかもわかりません。
では一体何のために?
日本を救うためだった…これはもう真偽のほどは分かりませんが、広島、長崎の原爆投下により、日本の降伏、軍部の国家支配の撤廃の型を大本を潰すことにより表さなければならなかった、というものです。
これが事実だとすれば…もしその型が表されていなかったなら…私はこの世に居なかったかも知れません…
何故ならば、聖師の霊眼には、二つの原爆で大戦が終結にしなかったならば、原爆はやがては東京にまで及ぶものが映じられていたというからです。
当時東京在住だった私の両親のことを考えると…
やはり聖師は救世主だったのでしょうか?
このように世間では、その超人的、カリスマ性が取り沙汰される聖師ですが、実際の人となりというのは一体どうだったのでしょうか?
私はかつて”聖師と直接会った事が有る”という人から訊いたのですが、応対に現れた大先生は何と!素っ裸、フルチンだったというではありませんか!
こんな教祖さんなんてかつて居たでしょうか?いくら超人的、アヴァターなのかは知りませんが、超然としたところなど全く無いようです。
”出口聖師を囲んでの青年との座談会”が書物になってますが、そこに見える聖師のイメージもきわめて取っ付きやすい好爺という感じです。
私はこういう側面を見ると、一個人の聖師は、きわめて人間臭い人間だったが、その周りには個人の力を超えた霊的磁場が醸し出されていたという事を感ずるのです。
思うに聖師そのものは、その見えざる霊威に全く惟神に委ねていただけであろうと思います。
これは人がそれぞれ自己の大本に任せ切れば、そのご自体がタダならぬことを現出するということではないでしょうか?
梅香る春ともなり”神が表に顕れる”その型は今実地に映って来ているのを感じています。
出口聖師に影響を受けたダンテス・ダイジさんが紹介していた聖師の歌があります。
我もなく うつしよもなく ただ独り 神のみ前に ひれ伏しおろがむ
私はこれを知って、直接その話を聞いていたキヨタカさんと同じく「へえ…そんなものですかねえ?」と思わざるを得ませんでした。
もとより誰がどんなだったかなどということは、どっちでもよく「君がどうかい」ということの方が重要なのですが…それにしても話としては面白いです。
ただ言える事は出口聖師個人の法力というものが、果たしてどんなものなのかは知る由も無いですが、直接どこまで関わっていたかはともかく、こと聖師在世時のその周囲に巻き起こった数々の影響たるや、もうケタ違いだったと言う他ありません。
出口聖師の歩くところ、発現するところタダでは収まらない、という感じです。
例えば大正14年、大本が標榜していた万教同根を地で行くような、世界宗教連合会なるものが掛け声だけに終わらず実現してしまいました。
昭和に入ると、”世の大立て替え、立て直し”を触れ回るだけでは済まない、実行団体と思しきものが出現します。昭和神聖会です。
これに右翼の黒幕だとか、国家を動かすような有力者たちが流れ込んできます。
”アレはハッタリどころじゃ済まない!化け物に国家が乗っ取られる!”と躍起になった当時の官憲は徹底的に大本、その関連団体を潰しにかかりました。第二次大本事件です。
これは20年前のオウム真理教事件とは、全く裏返したような構造になっていることが知られます。
国家の転覆、クーデターだと確信して乗り込んでみたら、その実態は…農村自給計画のようなものだった…
オカシナことやってる新宗教を野放しにしていたら、これがまさかまさかのテロ集団だった…
警察当局がうかつにオウムに踏み込めなかった大きな理由、それはかつて大本に適用した悪名高き治安維持法の行使~国家権力による宗教弾圧~など、罷り通す訳には行かない現代の事情が有ったためです…。
では大本とは時の権力の犠牲者だったのでしょうか?
いや、この事件の裏は出口聖師自ら仕掛けたものだったことにより、複雑なものにしています。
何も知らない一般信徒こそは、そうだったかもわかりません。
では一体何のために?
日本を救うためだった…これはもう真偽のほどは分かりませんが、広島、長崎の原爆投下により、日本の降伏、軍部の国家支配の撤廃の型を大本を潰すことにより表さなければならなかった、というものです。
これが事実だとすれば…もしその型が表されていなかったなら…私はこの世に居なかったかも知れません…
何故ならば、聖師の霊眼には、二つの原爆で大戦が終結にしなかったならば、原爆はやがては東京にまで及ぶものが映じられていたというからです。
当時東京在住だった私の両親のことを考えると…
やはり聖師は救世主だったのでしょうか?
このように世間では、その超人的、カリスマ性が取り沙汰される聖師ですが、実際の人となりというのは一体どうだったのでしょうか?
私はかつて”聖師と直接会った事が有る”という人から訊いたのですが、応対に現れた大先生は何と!素っ裸、フルチンだったというではありませんか!
こんな教祖さんなんてかつて居たでしょうか?いくら超人的、アヴァターなのかは知りませんが、超然としたところなど全く無いようです。
”出口聖師を囲んでの青年との座談会”が書物になってますが、そこに見える聖師のイメージもきわめて取っ付きやすい好爺という感じです。
私はこういう側面を見ると、一個人の聖師は、きわめて人間臭い人間だったが、その周りには個人の力を超えた霊的磁場が醸し出されていたという事を感ずるのです。
思うに聖師そのものは、その見えざる霊威に全く惟神に委ねていただけであろうと思います。
これは人がそれぞれ自己の大本に任せ切れば、そのご自体がタダならぬことを現出するということではないでしょうか?
梅香る春ともなり”神が表に顕れる”その型は今実地に映って来ているのを感じています。
出口聖師に影響を受けたダンテス・ダイジさんが紹介していた聖師の歌があります。
我もなく うつしよもなく ただ独り 神のみ前に ひれ伏しおろがむ