ある日、私が我を忘れたようになって何かを話していた時、ある人はそれを見てこう言いました。
「まるでヒトラーみたいですね!」
こういう時はデモーニッシュというか、何かが乗り移ったように見えるらしいですね。
だからと言って、私は勿論その時神がかりとか霊おろしとか、近年でいうチャネリングとかをやっていた訳ではありませんよ。
大体私の場合、話している時、身振り手振りジェスチャーが入り出したり、瞬きをしないでジーッと一点を見つめているようになったら、そういう兆候があるようなのですが…。
そうした世界にも、それこそピンからキリまで、受ける人に応じて色々な様相が有りますね。
時に妙な憑霊現象のようなことも起こり、私もある集まりで実際に目撃した事が有ります。
この時の私の印象として周りの人間がやたらと「サタンの試みだ!」とか言い出して、余計に騒ぎが大きくなってしまった感が有りました。
私はこういう場合、霊視者ならいざ知らず、さも見たように「サタン!、邪霊だ!」と決めつけたようなことは言わないようにしています。
そういう事を強調することにより、周りに何か魅入られたように、怪しい雰囲気が立ち込め始めてくるからです。
ただ、そこでは理由は分からないがその人の精神、感情のバランスが崩れている、というだけです…。
こういう怪しげな空気というものは、大体において人を現実遊離というか”心ここに在らず”の状態にさせてしまうものです。
何か得たいのしれないものが乗り移るような状態と”我を忘れて、自分が自分でなくなる”ような自己の本体がお目見えになってるような状態とは、どちらもデモーニッシュですが、何が違うのでしょう。
それは主体性の有る無しです。”自分がここに在る感じ”が有るかどうか…
そして自己の大本に意識が離れて、ある宗教の教祖とかグルーなどに依存してる人にはこれが持てません。
その教師にもし、スキャンダラスな事件でも立ち上がったら、さっさとその下を離れて別の教師に鞍替えするかもしれません。
また別のグルーの方がレベルが高い、実力があると感じるや、やはりそうするでしょう。
私もそのように見られていたのかもわかりませんが、遍歴の繰り返しです。
これが恋愛だったら、貞操観念も何もあったもんじゃないくらいです。
でも間違えちゃいけません。
自己の本体とつながること…それが本当の婚姻、霊的婚姻です。
本物のグルー、教師ならそれを祝福してくれる筈です。
宗教や教師の権威だとか、精神世界にとり巻いている様々なガラクタに心を奪われていては、何時まで経っても伴侶を見出せません。
”自己を明け渡す”と言いますが、チッポケな自己を自己の大本に明け渡すということの他には無いのです。
うっかり、特定のグルーに自分を明け渡して、それが”あの教祖”のような人間だったらどうするのでしょう。
自分が自分でなくなる…といってもここでは主体性の放棄です…。
何かが乗り移るようなことには、全く異なる紙一重の事がありますね…
明け渡すということにも…
私は今日程”自分を信じること”の大切さを感じずにおれません。
「まるでヒトラーみたいですね!」
こういう時はデモーニッシュというか、何かが乗り移ったように見えるらしいですね。
だからと言って、私は勿論その時神がかりとか霊おろしとか、近年でいうチャネリングとかをやっていた訳ではありませんよ。
大体私の場合、話している時、身振り手振りジェスチャーが入り出したり、瞬きをしないでジーッと一点を見つめているようになったら、そういう兆候があるようなのですが…。
そうした世界にも、それこそピンからキリまで、受ける人に応じて色々な様相が有りますね。
時に妙な憑霊現象のようなことも起こり、私もある集まりで実際に目撃した事が有ります。
この時の私の印象として周りの人間がやたらと「サタンの試みだ!」とか言い出して、余計に騒ぎが大きくなってしまった感が有りました。
私はこういう場合、霊視者ならいざ知らず、さも見たように「サタン!、邪霊だ!」と決めつけたようなことは言わないようにしています。
そういう事を強調することにより、周りに何か魅入られたように、怪しい雰囲気が立ち込め始めてくるからです。
ただ、そこでは理由は分からないがその人の精神、感情のバランスが崩れている、というだけです…。
こういう怪しげな空気というものは、大体において人を現実遊離というか”心ここに在らず”の状態にさせてしまうものです。
何か得たいのしれないものが乗り移るような状態と”我を忘れて、自分が自分でなくなる”ような自己の本体がお目見えになってるような状態とは、どちらもデモーニッシュですが、何が違うのでしょう。
それは主体性の有る無しです。”自分がここに在る感じ”が有るかどうか…
そして自己の大本に意識が離れて、ある宗教の教祖とかグルーなどに依存してる人にはこれが持てません。
その教師にもし、スキャンダラスな事件でも立ち上がったら、さっさとその下を離れて別の教師に鞍替えするかもしれません。
また別のグルーの方がレベルが高い、実力があると感じるや、やはりそうするでしょう。
私もそのように見られていたのかもわかりませんが、遍歴の繰り返しです。
これが恋愛だったら、貞操観念も何もあったもんじゃないくらいです。
でも間違えちゃいけません。
自己の本体とつながること…それが本当の婚姻、霊的婚姻です。
本物のグルー、教師ならそれを祝福してくれる筈です。
宗教や教師の権威だとか、精神世界にとり巻いている様々なガラクタに心を奪われていては、何時まで経っても伴侶を見出せません。
”自己を明け渡す”と言いますが、チッポケな自己を自己の大本に明け渡すということの他には無いのです。
うっかり、特定のグルーに自分を明け渡して、それが”あの教祖”のような人間だったらどうするのでしょう。
自分が自分でなくなる…といってもここでは主体性の放棄です…。
何かが乗り移るようなことには、全く異なる紙一重の事がありますね…
明け渡すということにも…
私は今日程”自分を信じること”の大切さを感じずにおれません。