精神的どん底状態になってしまったら…何度か書いたように、とにかく自分のネガティブな思いの密閉空間を作らないで、僅かなりとも通気口を開けておくことが肝要かと思います。
一度そこから光が差し込んだら、もうアレヨアレヨと本当にあらゆるものが生き返ったようになってしまうものです。
30年前の今頃、関西に居た私は東京にあった会員限定のある秘密クラブ?に連絡をとり、幻の円盤を取り寄せる工作?をしていました。
あの苦境から抜け出る道はこれだろうと思い立って…
その秘密集会では、会員たちの日ごろの秘密探究の成果として、その今生では二度と拝めないというお宝を、物体を音に変換させる秘密工具により再生させ、そこから奏でられる、いと甘美なる調べに恍惚状態となって聴き入り、時には踊り出す人も現れるという…
そのお宝はSP盤と呼ばれ、秘密工具は蓄音機と呼ばれてます。
実はそのクラブとはアルゼンチン・タンゴの愛好会だったのです。
私はそれ以前から、この古色豊かな音楽を少しずつ聴いていたのですが、本格的にのめり込んでしまったのはその時からで、これにより以降私の音楽ライブラリーは中南米関連が大半以上占められることになるのです。
ロックとかポップスとかは?…ええ、好きですよ…あくまでそれは表側のことですけど…
裏側では秘密工作?に熱中していたという次第です…。
うかつにそこに入ってはなりません。出れなくなりますから…
人生の裏側と同じく、入り口は有っても、出口は無いのです…。
その時分の数年前から、いくつかのタンゴ愛好会からそれまで全く日の目を見る事の無かった、幻のSP盤をLPに復刻し、私家版にして出し始めていました。本場アルゼンチンでなく、日本人コレクター(私はタンキチと呼んでいます)の手によって。
これは世界の音盤復刻史上に残る快挙と言わざるを得ません!
私はその幻のレコードを取り寄せて聴いていたのです。
タンキチの皆さんはこぞって1920年代後半から30年くらいまでがタンゴの黄金時代だと言います。
分かる!そのLPを何枚か聴いて私は虜になってしまいましたから…これはそうなってしまった人にしか分かるまい…
時節至らずしてその音盤に接することなく、冥界へ行ってしまったかつての愛好家も「私にも聴かせてくれ!」と化けて出て来ざるを得ない程です。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの場末のボカと呼ばれる、いかがわしい色街で生まれたというタンゴもその頃には高級サロンで聴かれるようになりました。
私は聴いているうち、これは「どん底」とか古い映画のサントラにバッチシだ!と思ったのですが、この見立てに間違いは無く、当時のタンゴ楽団の働き場所の多くは夢声映画館だったそうです。
それにしても、戦後生まれの私の耳に、この何とも言えない郷愁を呼び覚ますものは一体何なのでしょう?
初めて聴いた気が全くしないのです。冥界に居た記憶が呼び覚まされたかのようです…。
それが又簡単に誰でも聴けるというなんとまあ、冥界蓄音機がお出ましになったような、驚くべき時節を迎えているのですね!(秘密の入り口の数例は下から…これらは実際に当時私が聴いていたものです)
これは、もう埋もれていたものはどうしたって世に出ざるを得ない!人生のどん底にも”夜明け”が”花火”の如く、”急行列車”の如くやってくるに違いない…もう”笑い”ですよ…(””はいずれもタンゴのサロン化に貢献が大きかったというロベルト・フィルポという楽団マスターの代表曲です)
Roberto Firpo ”Un Tropezon”,Juan Maglio Pacho ”sonia”,Osvaldo Fresedo ”La cachila”,Francisco Lomuto ”Te aconsejo Que Me Olvides”
一度そこから光が差し込んだら、もうアレヨアレヨと本当にあらゆるものが生き返ったようになってしまうものです。
30年前の今頃、関西に居た私は東京にあった会員限定のある秘密クラブ?に連絡をとり、幻の円盤を取り寄せる工作?をしていました。
あの苦境から抜け出る道はこれだろうと思い立って…
その秘密集会では、会員たちの日ごろの秘密探究の成果として、その今生では二度と拝めないというお宝を、物体を音に変換させる秘密工具により再生させ、そこから奏でられる、いと甘美なる調べに恍惚状態となって聴き入り、時には踊り出す人も現れるという…
そのお宝はSP盤と呼ばれ、秘密工具は蓄音機と呼ばれてます。
実はそのクラブとはアルゼンチン・タンゴの愛好会だったのです。
私はそれ以前から、この古色豊かな音楽を少しずつ聴いていたのですが、本格的にのめり込んでしまったのはその時からで、これにより以降私の音楽ライブラリーは中南米関連が大半以上占められることになるのです。
ロックとかポップスとかは?…ええ、好きですよ…あくまでそれは表側のことですけど…
裏側では秘密工作?に熱中していたという次第です…。
うかつにそこに入ってはなりません。出れなくなりますから…
人生の裏側と同じく、入り口は有っても、出口は無いのです…。
その時分の数年前から、いくつかのタンゴ愛好会からそれまで全く日の目を見る事の無かった、幻のSP盤をLPに復刻し、私家版にして出し始めていました。本場アルゼンチンでなく、日本人コレクター(私はタンキチと呼んでいます)の手によって。
これは世界の音盤復刻史上に残る快挙と言わざるを得ません!
私はその幻のレコードを取り寄せて聴いていたのです。
タンキチの皆さんはこぞって1920年代後半から30年くらいまでがタンゴの黄金時代だと言います。
分かる!そのLPを何枚か聴いて私は虜になってしまいましたから…これはそうなってしまった人にしか分かるまい…
時節至らずしてその音盤に接することなく、冥界へ行ってしまったかつての愛好家も「私にも聴かせてくれ!」と化けて出て来ざるを得ない程です。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの場末のボカと呼ばれる、いかがわしい色街で生まれたというタンゴもその頃には高級サロンで聴かれるようになりました。
私は聴いているうち、これは「どん底」とか古い映画のサントラにバッチシだ!と思ったのですが、この見立てに間違いは無く、当時のタンゴ楽団の働き場所の多くは夢声映画館だったそうです。
それにしても、戦後生まれの私の耳に、この何とも言えない郷愁を呼び覚ますものは一体何なのでしょう?
初めて聴いた気が全くしないのです。冥界に居た記憶が呼び覚まされたかのようです…。
それが又簡単に誰でも聴けるというなんとまあ、冥界蓄音機がお出ましになったような、驚くべき時節を迎えているのですね!(秘密の入り口の数例は下から…これらは実際に当時私が聴いていたものです)
これは、もう埋もれていたものはどうしたって世に出ざるを得ない!人生のどん底にも”夜明け”が”花火”の如く、”急行列車”の如くやってくるに違いない…もう”笑い”ですよ…(””はいずれもタンゴのサロン化に貢献が大きかったというロベルト・フィルポという楽団マスターの代表曲です)
Roberto Firpo ”Un Tropezon”,Juan Maglio Pacho ”sonia”,Osvaldo Fresedo ”La cachila”,Francisco Lomuto ”Te aconsejo Que Me Olvides”