神を信じている人には何故、自分が信じている神以外は認めようとしない人が多いのか?
何故その神を説いている人ばかり信じている人が多いのか?
私には、昔からこのようなことが不思議に思えてならないのでした。
私も大学生の頃入っていた宗教の影響で、そのような思いに囚われていたこともありました。
半分くらい洗脳されていたのでしょう。
しかし、半分は、そのことがどっかオカシイと思っていたのです。葛藤があった...つまり心からそう思っていた訳じゃ無かった...だからそこを辞めることが出来たのです。
"神は決して独善的なものじゃない、そういうものは神じゃないi...本当に神を信じるということは、そういう狭い心では居られないはず、もっと広い心にならなければオカシイ...
本当に神のことを知りたければ、神を教える人だとか団体のことでなく、神そのものに向かわなければ...中途半端なところで留まっていてはならないi"
その宗教で説かれていたことに上部で迎合していただけで、本心ではそう思っていたのです。本心というものは、昔も今も変わる訳がありません。
私は私の神だけを信じてきた、そしてそれに導かれてきた、と言っていいでしょう。これは、独善的なことでしょうか?
私の神を信じ、それにゆだねる、ということは、実にあなたの神、宗教がなんであれ、あなたがあなたの神に信じ、つながることにゆだねられる、ということでもあるのです。
言い換えれば私が全き自由のうちに我が道を歩むということは、他の道もそう在ることを認め合うということに他ならないのです。
私やあなたの神とは、人がそう信じているからだの、お付き合いだの、長年信じてるから仕方がないだの、イイカゲンなものであっていい訳がないi...本当に神にぶつかってゆくことは、どこまでも自分を超え、自分自身にならざるを得なくならなきゃおかしいですよi
"神の道は険しい、修行の道だ"、なんて私の知らない、心に無いようなことは言うまい...しかし、神に思いを向けているのに、一向に心が休まってこない、幸福になる感じがしない、なんて言うのは全くおかしいi...何かが開かれてゆくはず...神そのものでなしに一体、何に向けているのだろう...自分の境遇は変わらないかもしれないが、それに左右されず、心の底にそういうものが感じられて来る...それがどんどんあなたを神の方に向けさせてゆく...そしてあなたは神と一つにされてゆくでしょう...
それが私とあなたの最善の道であるはずなのです。そこから普遍的な道が開かれるのではないでしょうか?
今日の私はいつになく、口はばったく断言口調になってしまいました。
我が信念みたいなものです。信念なんてのは、神の前ではこっぱみじんなんですけどね。
でも言わされちゃったんだからしょうがないi...これは神念みたいなものかもしれない...。
何故その神を説いている人ばかり信じている人が多いのか?
私には、昔からこのようなことが不思議に思えてならないのでした。
私も大学生の頃入っていた宗教の影響で、そのような思いに囚われていたこともありました。
半分くらい洗脳されていたのでしょう。
しかし、半分は、そのことがどっかオカシイと思っていたのです。葛藤があった...つまり心からそう思っていた訳じゃ無かった...だからそこを辞めることが出来たのです。
"神は決して独善的なものじゃない、そういうものは神じゃないi...本当に神を信じるということは、そういう狭い心では居られないはず、もっと広い心にならなければオカシイ...
本当に神のことを知りたければ、神を教える人だとか団体のことでなく、神そのものに向かわなければ...中途半端なところで留まっていてはならないi"
その宗教で説かれていたことに上部で迎合していただけで、本心ではそう思っていたのです。本心というものは、昔も今も変わる訳がありません。
私は私の神だけを信じてきた、そしてそれに導かれてきた、と言っていいでしょう。これは、独善的なことでしょうか?
私の神を信じ、それにゆだねる、ということは、実にあなたの神、宗教がなんであれ、あなたがあなたの神に信じ、つながることにゆだねられる、ということでもあるのです。
言い換えれば私が全き自由のうちに我が道を歩むということは、他の道もそう在ることを認め合うということに他ならないのです。
私やあなたの神とは、人がそう信じているからだの、お付き合いだの、長年信じてるから仕方がないだの、イイカゲンなものであっていい訳がないi...本当に神にぶつかってゆくことは、どこまでも自分を超え、自分自身にならざるを得なくならなきゃおかしいですよi
"神の道は険しい、修行の道だ"、なんて私の知らない、心に無いようなことは言うまい...しかし、神に思いを向けているのに、一向に心が休まってこない、幸福になる感じがしない、なんて言うのは全くおかしいi...何かが開かれてゆくはず...神そのものでなしに一体、何に向けているのだろう...自分の境遇は変わらないかもしれないが、それに左右されず、心の底にそういうものが感じられて来る...それがどんどんあなたを神の方に向けさせてゆく...そしてあなたは神と一つにされてゆくでしょう...
それが私とあなたの最善の道であるはずなのです。そこから普遍的な道が開かれるのではないでしょうか?
今日の私はいつになく、口はばったく断言口調になってしまいました。
我が信念みたいなものです。信念なんてのは、神の前ではこっぱみじんなんですけどね。
でも言わされちゃったんだからしょうがないi...これは神念みたいなものかもしれない...。