8月下旬ともなればいい加減に酷暑もおさまっているだろうと思って計画した18切符の旅でしたが、「暑かった。」の一言です。特に会津、喜多方は盆地特有の暑さ、翌日の長岡も乾燥しているものの歩いているうちに耐えられなくなる空気になってきました。特にご同行の黄門様ならぬ酔考先輩は汗だくで、放棄試合気味でした。やはり列車の中が天国です。今回予想外だったのは信越本線などの交差する新津駅で蒸気機関車に遭遇したことです。私にとっては何よりでした。
と云う暑さの話で始まった会津18切符の旅であります。旅メモを載せておきます。
8月31日の早朝に地元を発って湘南新宿ライン・宇都宮行き一番列車に乗り込みました。一番と云っても7時24分の通勤列車で満員、次の池袋で席を確保して朝ご飯です。この先乗り継ぎを繰り返して終点の会津まで着席できました。あ、帰路もそうでしたから着席率ほぼ100%です。歳の割、荷物の割に機敏な行動も出来たと思います。(笑)
会津磐梯山が聳え、車窓には稲穂と蕎麦の花が拡がっていました。ススキも穂が出ています。
今回の会津若松は、さざえ堂見学一本に絞りました。江戸時代の木造建築の極致、さざえの殻の中のようなスロープを上り、そして最上部からも同じ作りの下り廊下ですが、通路は上り下り専用です。つまり二重構造になっていてすれ違うことはありません。お隣の飯盛山、白虎隊と云う戊辰戦役が観光のために盛り上げられていますが、保科親政の築いた江戸文化ももっと売り出して欲しいと感じます。 この地は残念ながら滞在時間1時間30分。仕事でたまに出張していた土地なのでこれで良しとしました。
14時頃のディーゼルカーで喜多方へ行き、まずは本場の喜多方ラーメンへ。食べなきゃ悪口も言えません。が、がらんとした駅前に唖然として最初に眼に入った店に入りました。 太い縮れ麺に鶏ガラベースの醤油味?、これは年寄りの口に合いますね。とにかく二人で完食。でも汁を残すのが老人の作法です。素朴な支那蕎麦の味でしたが、飽きない味が人気の秘密かも知れません。 しかしながら喜多方ラーメンが何処ででも食べられるようになると喜多方まで出かける必然性もありません。
で、もう一方の売りである蔵の町ですが、メイン通りを見ての感想では、蔵が至る所にありすぎてピントが定まりません。商品を雑然と並べているよろず屋的だと思った次第です。 沢山の蔵がアーケードor雁木で隠されている箇所も多く、川越や栃木の蔵通りを初めて見たときのような感動がありません。蔵は喜多方がずーっと多いのにちと勿体ないですね。 素人評論家には観光整備はまだまだこれからのように見えました。今の素朴さを保ちつつどう楽しませるかのシナリオ作りが必要なのでは? 広い平面に蔵が拡がっている印象だったので幾つかのゾーンとし、それぞれにテーマを持たせることを徹底すればいいように感じます。 地元住人との調整は大変だと思いますが、もう一歩抜け出すための政策が必要なようです。あの市役所は出来るのだろうか?
と、市役所すぐ側の 「あづま旅館」に素泊まりしての感想です。コンパクトな旅館、お金は落とせませんでしたが、まずまずいい感じのお宿でありました。 夕方久々の夕立、ちょっとだけ涼しくなりました。 それにしてもこの日は飲み過ぎ、「清川商店」という造り酒屋で教わった「田舎家」の郷土料理が美味しくてメニューを制覇し、宿の自動販売機を売り切れ(嘘)にするくらい飲みました。 翌日の先輩の沈没はこれに原因が??? 清川商店で手に入れた貴重な古酒はさすがに家まで持ち帰って倉庫に寝せています。町の人は、異邦人に対して親しみを込めて対応してくれます。お店だけでなく通りで会った小母さんもそうでした。
翌日は7時20分の磐越西線・新津行きでスタート、通学列車がいつの間にかがら空きとなり、阿賀野川沿いを新津へ向かいます。
先輩は列車の揺れが心地よいのか殆ど沈没、川の流れは殆ど記憶にないはずです。(苦笑)そうそう、窓の汚れがひどいです。拭いても駄目でした。汚れの少ない箇所を探して写しました。もっと綺麗に掃除してください。 > JR東日本殿。
今回はデジ一NikonD300にGPSユニットを付けて撮っておりました。このクラスになると車窓に見えた光景を瞬時に切り取るので旅に好適です。が、重い。手首の古傷がまた痛くなりました。 ところがこの痛みを忘れる光景が新津駅に待っていました。
C57がばんえつ号物語編成の客車を連結しようとしているところに到着したのです。この駅では一時間の待ち時間があったのですが、あっという間でした。列車の入れ替えをのんびりと眺めたのは何年ぶりでしょうか? 時間の流れが止まっているかのような新津駅でした。
聞けば本日は試運転だそうで発車した10時10分過ぎは、本番の会津若松行時間でした。 実にいいタイミングに着いたものです。発車までにC57だけでなく札幌からのトワイライト・エクスプレスの発着もありました。珍しい貨物電機も通過するし、ここ新津は鐵道の町と云うことを再認識しました。
新津からは上越線に乗り換えです。今では新幹線であっという間のルートですが、足元を踏み固めるような各駅停車で初めての清水トンネル9.7kmを経験しました。8分ぐらいかかったでしょうか? 越後湯沢近辺だけ大粒の雨が降っています。
各駅停車は、列車接続にスリリング感もありますが、今回は意外に順調な旅の流れでした。無理な行程を組まなかったのも良かったのでしょう。
高崎に着けばこの先は慣れたルートです。始発なので好きな席に座ることが出来ますが、帰りの通勤時間帯になっているのでグリーンを奮発しました。いつもなら宴会場となるのですが、さすがにくたびれたので駅弁夕食でささやかに旅の終わりを祝いました。 二日間お付き合いいただいた酔考さん、ありがとううございました。次回は現地事情も分かったことですし、只見線、飯山線をじっくりと狙いたいと思います。(終わり)