INSIDE SORAMAME

福岡のバスのことなど・・

スマッシュ!!11とPAO~N(4)

2009年10月16日 | マスコミ
(3)のつづき)
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(ジングル「天神ラジオパラダイス・ラジオ黄金時代」)

沢:「天神ラジオパラダイス」、ここでまた新たなゲストをお呼びしております。CROSS FMナビゲーター、TOGGYです。
T:どうもみなさんこんにちは。はーいTOGGYです。
沢:はーいTOGGYですじゃないよ君。今日朝からずっと番組やってたらしいねぇ。
T:CROSS FMも今日はですねぇ、ぼくが7年やってた「DIGITAL MORNING DRIVE」という朝の番組が、今日一日だけ復活で、5時起き、今一番眠たいときなんです。
沢:ちゃんと仕事せえよ。CROSS FMは1993年開局ですからね、もう12年ということになるんですけどね。
T:まだまだひよっ子でございます。
沢:実はですね、TOGGYと、私がやっておりました「PAO~N」という番組はですね、密接な関わりあいがあるということで。これは知らない人がほとんどだと思うんですが、どうしてですか?
T:実は栗田善太郎君のポジション狙っております。
沢:いやいやそんなことはどうでもいいよ。全然違う話じゃないか。
T:あのー実はですね、僕ハタチのときにバンドでデビューしまして。
森:えー、そうなんですか?
沢:そうなんですよ、彼、バンドやってたんですよ。
T:やってたんですよ。ドラムでリーダーだったんですけども、そのバンドで「PAO~N」の中の帯のコーナー持ってたんです。いわゆるアーティスト枠っていわれるやつを。
森:ご縁があったんですねー。
沢:何ていうタイトルだったっけ?
T:「ステップの青春恥知らず」っていう…。
森:聴いてた?聴いてた人拍手~!
松:いらっしゃいますよ、これー。
沢:ステップっていうグループだったんです。で、ドラム叩いててですねぇ、今メンバーバラバラだという。
T:今、全然音沙汰ないです。
沢:ハッハッハ。
松:誰と同期くらいですか?ほとんど。
T:えっとですねー、光GENJIとかね。
沢:光GENJIとステップ同期!
T:同期。一緒にNHKのオーディション受けに行って。それくらいのまあ、アイドル全盛の時代のね、バンドだったんですけど。
沢:もうじゃああれが20年ぐらい前。
T:20年、18年前ですねー。
沢:それからTOGGYはいろいろあってですね、今のTOGGYがあるという。
T:はい、海外行ったりなんかして、今のTOGGYがあると。これも沢田さんと奥田さんのおかけでございます。
沢:ええっちゅうに。
T:嘘です。
沢:嘘ですじゃないよ。
森:でもラジオに育てられたってことじゃないですか?ねぇ。
T:ほんとにそうですよ。
沢:もともとあなたもラジオ聴いてたんでしょ?
T:もう「PAO~N」も聴いてましたし、井上サトルさんと今日、お会いできて本当に感激しております。
沢:大先輩ですよねぇ。
森:あり得ないこの絵ヅラっていうか、絵ヅラじゃないか。
沢:ラジオなのに…。
森:ごめんなさい。皆さん、イマジネーションですよ。どんな感じで座ってらっしゃるかねー、想像しながら聴いて下さい。
沢:でもほらTOGGY、ここにまだあの、サトルさんの写真がありますけどね。
T:すごいですねぇ。
沢:若いですねぇ。
森:これ、オーバーオールじゃないですか。
沢:オーバーオールですよ、これ。いくつぐらいのときですか?これ。
井:これはいくつでしょうねぇ。30代ですね、まだね。
松:今このオーバーオール、石塚さんしか着てませんからねぇ。まいうーですよ。
森:しかもサンバイザーですよ。
井:これはねぇ、RKBの出力が50キロワットに増力になったときに、宇部から、歩いてきたんですよ、福岡まで。
沢:えー!あ、機材背負ってる!
井:そうそう。で、となりに居るのが中西一清。
沢:中西一清さんだ。若いねー、一清さんも。
T:あっ、中西一清さんですか。
沢:わぁ、痩せてるなぁ…。
井:生放送しながらずーっと、ニコニコ珍道中っていうのやったんですよ。
松:よくでも歩きながらラジオってすごいですねー。
沢:できるんですよねぇ。
森:また歩きながらやってると、いろんな方とのふれあいとかもあったりしてねー。楽しそう。
井:そうなんです。だから車がみんな乗せてくれるわけですよ。
松:ヒッチハイク。
井:放送時間に間に合わないから、次々に乗っけてくれる。
沢:思い出話は尽きませんけどね、またここで一旦、お知らせにいきましょう。

(CM)
(ジングル「天神ラジオパラダイス・ラジオ黄金時代」)

沢:お送りしてまいりました「天神ラジオパラダイス・AMラジオ今昔物語」、あっという間の30分でございましてですねぇ。
森:はやーい。
松:はやいですねー。
沢:私あのー、伝説のパーソナリティの井上サトルさんとこうやって同じステージで、お仕事できるとは、もう、まさか思いもしませんで。
井:僕もほんとに、あの、今生の…ハハ。
沢:誰が今生物語ですか。今昔物語ですよ。
井:今生の思い出にしたい。
松:言わないでください、そんなこと。
沢:サトルさん、またマイクの前に復活してほしいねぇ。
松:またいい声ですねぇ。
沢:皆さん、そう思いません?また井上サトルさんにね。
井:どうもありがとうございます。
松:両巨頭がこう、ねぇ、お会いするっていうのがすごいですね。
森:おとなり同士で座ってらっしゃるってなんかすごく素敵ですよねー。
沢:私はサトルさんに比べたらあんた、ペーペーですよ。
森:そんな。もう、まだ青いですよ。
沢:森口博子に青いって言われました。
松:今日、沢田さんものすごいテンション高いのがね、井上さん聞いてらっしゃるだろうなと思って、なんかすごいトーンで喋ってた感じがしました。
T:そんな感じでした。
松:すごいテンション高く。
沢:君に冷静に言われたくない。
松:(掛布のものまねで)素晴らしいです。
沢:ものまねは…。大沢親分、喝入れてくださいよ。
松:(大沢親分のものまねで)おー、二人ともなぁ、アッパレだよ。ただ、日本シリーズの阪神は喝だ、このやろう。
沢:あんまり全然関係ないですけどねー。ぜひサトルさん、また機会があれば。
井:どうもありがとうございます。
沢:ご一緒にね、お仕事させていただきたいと思っております。
森:素敵なお話、ありがとうございました。
松:ありがとうございました。
沢:ありがとうございました。「天神ラジオパラダイス・AMラジオ今昔物語」、この番組は福岡市中央区天神大丸パサージュ広場特設ステージからFM福岡、CROSS FM、RKBラジオ、KBCラジオ、4局同時生放送でお送りしてまいりました。この時間のお相手は、RKBラジオ、井上サトルさん、そして森口博子さん、松村邦洋さん、CROSS FMのTOGGY、司会進行は私、KBCラジオの沢田幸二でした。みなさん、ありがとうございましたー。「天神ラジオパラダイス」、まだまだこのあとも続きますよー。
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以上です、いかがでしたか?
この放送時点から現在に至る間にも、福岡の民放ラジオを取り巻く環境は大きく変化しているが、現在放送されている多くの番組の「原点」は何なのか?ということを考えさせてくれる、貴重な放送だと思ったので取り上げてみた次第である。

今後も、もし機会があれば、このような「書き起こし」を行ってみたいと思う。
次回は、「RKBベスト歌謡50」の林幹雄アナウンサー最後の出演の回を予定している(が、機会があるかどうか…)。
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素顔のままで(12)

2009年10月15日 |    ┣ 素顔のままで
(つづき)
福岡市東区の「ふ頭一丁目」バス停。

箱崎ふ頭地区には、ここ以外にも「ふ頭西」「ふ頭中央」「ふ頭五丁目」というバス停があり、いずれも「箱崎ふ頭~」ではなく「ふ頭~」という名称である(箱崎ふ頭地区には他に「リサイクルプラザ前」もあり。また、「ふ頭西」は、その他の「ふ頭~」に比べて新しくできた停留所である)。
箱崎ふ頭以外にも、福岡市には、東浜ふ頭、中央ふ頭博多ふ頭、須崎ふ頭、荒津ふ頭と、いくつかの「ふ頭(埠頭)」があり、その中で箱崎ふ頭が代表格…という訳でもなさそうだが、なぜか昔からバス路線的には「ふ頭といえば箱崎ふ頭」である(「ふ頭」が、唯一、町名の中に入っているという意味では、「格上」なのだろうか…?)。
ただ、それはあくまで「バス路線的には…」であり、一般の人(特に箱崎ふ頭地区に用がない人)にとっては知ったこっちゃないことなので、かつてはバスの方向幕でも経由地に「ふ頭」と表記されていたものが、最近では「箱崎ふ頭」と表示するようになっている。

かつては、「23番」の一部が「ふ頭経由」であり、数ある「23番」の系統の中から香椎浜地区に向かうものが「22番」として独立した際には「22番」にも「ふ頭経由」ができた。
そして、「22番」「23番」から、それぞれ「ふ頭経由」が独立して、現在ここを通る「22-1番」「23-1番」ができた、というのが大まかな流れである。

「ふ頭経由」が「22番」「23番」だった頃、箱崎ランプ経由の「22D」「23D」という路線があったのだが(バス停の行先案内の部分には未だに表示されていた)、詳細なルートを知らず、このブログでも何度かその旨を書いてきた
…と、この記事の下書きをしているときに、yakuさんが、先日愛宕浜営業所で購入された方向幕について書かれた記事を発見した。
それは、和白営業所の側面幕のようで、そこになんと「23D」のものがあるではないか!(なんという偶然)。
そこには「天神←蔵本←都市高速←箱崎ふ頭←名島[23-D]」とあり、そして、都心方面(上り)のみしかないとのこと。

以前の記事にいただいたコメントに対する返信で、「下りがもしあったとすると、都市高の出口の位置関係で、ふ頭一丁目などには非常に行きにくく、どうやって行っていたのか(もしくは行ってなかったのか)?…など、いろんな謎が残されてしまう」と書いていたのだが、「22D」「23D」には上りのみしか存在しなかったというのは、ほぼ間違いないのではないだろうか。
また、「御幸町」の香椎浜方面行き停留所に「23D」があったことを考えると、「23番」から「22番」が独立する時点を跨いで、この「D系統」が存在していたという仮説も成り立ちそうである。
右上の写真、前後のバス停を表示する部分には、都心側が「網屋立筋」、郊外側が「ふ頭西」と書かれているが、「網屋立筋」の下に不自然な空白があることから、この下にはおそらく「蔵本」が隠れているのではないかと思われる。
長い年月を経て、少しずついろんなことがわかってきた。
引き続き、情報をお待ちしております。

写真の時刻表は、対面の郊外向け(名島方面)のもの。
「23-1番」の「西鉄香椎行き」が、2列に分けて掲載されている。
左側の経由地は「名島 リサイクルプラザ」、右側の経由地は「名島」となっているが、いずれも「リサイクルプラザ前」を通り、それ以外も両者の経路は全く同じであり、違いはない。
しかしこの表示だと、右側は「リサイクルプラザ前」には行かないのか?と誤解されそうである。
おそらく左側の始発地が西公園、右側が天神ということで、何らかの会社側の都合(?)で別の列に表示されてしまったものと思われるが、バス停でバスを待っている人にとってはほとんど関係ない話である(かつて、西鉄大橋駅の「49番」(下り)の時刻表は、大橋駅始発便に印を付けていたことがあったが、これは、遅れが生じる可能性や座れる可能性について利用者に情報を提供する意味があったと思われ、「ふ頭一丁目」の例とは異なる)。
かつての記事で、通常の時刻表では「何の違いもないのに違う列に表示されているような例」があると書いたが、まさにこれがそうである。
だからといって、ここのような、どちらかといえばマイナーなバス停にまで、「オリジナル様式」の時刻表を拡大しようとすると、莫大な手間がかかり、ミス発生の可能性も高くなりそうであり、難しいところなのかもしれない。

右下の写真は、バス停のそばにある標識。
「建前」と言ってしまえばそれまでだが、以前「香椎パークポート」の記事のときに書いたが、「香椎パークポート」からアイランドシティ方面にバス路線がつながっていないのは、このあたりの影響があるのかもしれない(←あくまで想像)。

たくさん写真を使うなら、記事内に写真を複数アップすればいいじゃないかと言われそうだが、どうも「1記事1画像」でないと、うまく文章が書けないもので…すみません。
(つづく)
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スマッシュ!!11とPAO~N(3)

2009年10月14日 | マスコミ
(2)のつづき)
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沢:そうそうそう。ちなみに、ちょっと遡りますと、FM福岡が開局したのが1970年、昭和45年ということで、ここはもう森口さんも松ちゃんも生まれてる。
森:そうですね。
松:そうですね。
沢:35年前だ。そして結局、井上さん、「スマッシュ!!11」が17年、1986年ですね。最後の放送が。
井:そうですね。
沢:えー、あれからもう20年近く。
井:そう、19年になりますね。
沢:長いですねぇ。毎日夜だったでしょう。
井:うーん、そうです。月曜日から金曜日までね。
沢:これ正直な話、もう、もういいやとか途中で思われたことなかったですか?
井:うーん、だから小学校に入学して6年でしょ、中学校3年でしょ、高校3年でしょ、1年浪人して、ね、大学卒業する、それが17年なんですよ。で、それをこう、指折り数えたときに、ああ、もう私はそろそろ卒業しなくちゃ、それにKBCさんのねぇ、沢田さん、この「PAO~N」っていうねぇ、元気なねぇ、非常にテンポのいい番組が裏で始まった。
沢:うち裏番組でした。
井:これはもう、沢田さんには敵わないな。このテンポにはついていけないな、そこで卒業しましょうということでスマッシュ卒業式やったんです。
松:そうなんですかー、僕ねー、後半の頃なんですけどねー、サトルさんのラジオに、電話でよくかけさしてもらいましたよー。
沢:覚えてらっしゃいますか。
井:覚えてるような覚えてないような…。
森:え、何てかけたの?
松:僕ね、ものまねができるんですよー、井上さんちょっとラジオで聞いて下さいよー。
井:それはあります。
沢:覚えてる。
井:覚えてる。それは覚えてる。
松:当時のねー、電話のオペレーターの方とねー、女の子と喋れるって嬉しくてですね。
井:番組終わったあとお話ししたでしょう。
松:お話ししました。
井:ね、番組が終わったあと。
森:どっちが目的なの、番組でお話したいのかオペレーターと…。
松:いやいやオペレーターの方とも喋れるし、でも、ラジオに出さして下さいって何度も喋ったら、井上さんと喋らせて下さい、井上さんと喋らせて下さいって言ったんですよ。そしたらオペレーターの方がねぇ、悪いなぁと思ったんでしょう。何度も何度もよく電話するから。じゃあね、ラジオ終わったあとちょっと井上さんに話してみるって言ったんです。そしたらね、ラジオ終わったあとですよ、山口の僕の自宅ですよ、自宅に井上さんから直接電話いただいたんですよ。
沢:ありがたいですよ。
松:だってね、だから思った。テレビもラジオもそうですけどね、なんでもそうですけど、映ってるときだけ頑張ればいいってもんじゃないですよね。映ってないところでここまでしていただいてありがたかったの覚えてます。
沢:それが長く続いた要因でしょうね。やっぱりね、身近でしたもんね。
松:リスナーの方をすごく大事にされてましたね。
森:そういう経験って、松ちゃん一生忘れないですよね。井上さんにもらった優しさ。
松:忘れないですよ。だってね、僕ね、何分くらい話してましたか、20分、25分くらいものまね聞いていただいたの覚えてますよ。
沢:やりすぎたよ、それ。さて、今日ね、会場にお越しの皆さんの中にも元「スマッシュ!!11」のリスナーだったという方、たくさんいらっしゃると思うんですが、実は今からちょうど20年前、つくば博覧会というのがありまして、そのときの、ポストカプセル郵便という企画があったんです。これ、20世紀の私から21世紀のあなたにハガキを送ろうという企画があったんですが、当時スマッシュのリスナーだったある少年が、21世紀の井上サトルさんにハガキを送るという設定で送ってたんですよ。
井:そうなんですよ。
沢:そのときのハガキ、サトルさん…。
森:持ってらっしゃる!
井:2001年にですねぇ、自宅に年賀状で届いたんですよ。
森:郵便番号がまだ5桁の時代ですねー。
井:“明けましておめでとうございます。63歳のサトル様、お元気にお過ごしですか。私は16年前の「スマッシュ!!11」の常連の一人、オオモリ○○です〔下の名前も放送されましたが、一般の方なのでここでは伏せます〕。覚えていてくれていますか。僕は今は13歳ですが(このハガキを書いているとき)、本当は今29歳です。本当に月日の経つのは早いものですね。「スマッシュ!!11」はそのときまで続いているでしょうか。お元気で”という。2001年に飛び込んでまいりましてねぇ。思いました。そのときにねぇ。嬉しかったんですけど。つくば博に行って、このポストカプセルに出すのに、このハガキ1枚しか宛名がなかったんだなぁと思うと、この少年がね、寂しかったんだなぁ、もっと好きな人に出さなかったのかなぁ、「スマッシュ!!11」にしか出さなかったのかなぁ、という、そういう思いがしましたねぇ。
沢:でもオオモリ君って覚えてますか?
井:でね、僕はあわててね、これいただいたときに、この住所に手紙をすぐ出しました。そしたら返事が来ました。ちゃんとした青年になってました。そして、放送業界に入ってました。
沢:実は井上さん、オオモリ君に来てもらってます。オオモリ君どうぞ!
森:えーそうなんですか。やー。
松:あらー。
沢:今がっちりと、当時のリスナー、オオモリ君と握手です。
オ:初めまして。
井:初めまして。ほんとに初めまして。えー、ありがとうございました。失礼なこと言ってすみません。孤独だったなぁなんて話をしまして。で、賀状、私出したときにびっくりしたでしょう?
オ:ああもうびっくりしました。サトルさんから年賀状来るとは思わなくて、はい。
井:で、そのあとできるだけ会うまいと思ってたんです。これはやっぱり思い出の中のページだから。で、関連の仕事に就いてます、というおハガキをいただいたけれども、一度も敢えてお目にかかりませんで、今日はじめてお目にかかりました。
沢:もうね、こうやって立派な大人になってる訳です。今33歳。
オ:今34歳です。
沢:なんとですね、井上さん、先週、子供さんが生まれたという。
森:おめでとうございます。
井:おめでとうございます。それはよかった。
森:すごいですね。なんかラジオを通じて、一人の方の人生をみんなでこうやって祝福できたり、お互いこう祝福したり、すごいことですよねー。
松:この月日ってすごいですよねー。
沢:長いですよねぇ。でも立派な大人になってね。
井:本当に安心しました。
松:お子さんの名前はもちろんサトルにしてるんでしょうねぇ?
沢:嫌な質問しますね。
森:今こう、咳ばらいしちゃってるじゃないですか。
沢:オオモリ十一(じゅういち)とかね、名前だったらよかったんじゃないかということでね。オオモリさん、今日はどうも、本当にありがとうございました。
井:頑張ってくださいね。
森:放送業界にお勤めということでね、また、井上さんのお仕事もね、すごく影響を与えたんでしょうねー。私たち今度使ってくださいね。
沢:なんでここでお願いせないかん。
松:森口さんとパッケージでお願いします。
沢:実は井上サトルさんには内緒で、ちょっとオオモリさんをね、呼んでましてですね。
井:びっくりしました。
沢:まあ、感激の対面と。AMラジオの良さっていうのはこういうところにもあるなと、皆さまわかっていただけたんじゃないかなと思います。「天神ラジオパラダイス・AMラジオ今昔物語」、この番組は、福岡市中央区天神大丸パサージュ広場特設ステージから、FM福岡、CROSS FM、RKBラジオ、KBCラジオ、4局同時生放送でお送りしておりまーす。

(CM)
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(つづく)
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スマッシュ!!11とPAO~N(2)

2009年10月13日 | マスコミ
(1)のつづき)
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(「スマッシュ!!11」タイトルコールとテーマ曲が流れる)
沢:あらためてご紹介しましょう。RKBラジオ、井上サトルさんです。
森:ようこそー。
松:ようこそー。
井:井上でございます。えー、まだちゃんと足は付いております。
沢:いやいや。
井:もう三十何年前ですか。36~7年前の番組ですからねぇ。
森:ちょうど生まれたときです、私が。
松:そうですよねー。
井:17年間番組やりまして、もう19年前に番組終わりまして、ちゃんと玉手箱の中にしまって、私も引退いたしました。
沢:いえいえいえとんでも。まだサトルさんお若いですよねー。昔ヒゲがあったのに今。
松:ないですね、ヒゲが。
井:そうなんです。
沢:また一段と若くなって。
井:ヒゲがありますとどうしてもおじいちゃんみたいになってしまいますからね。どうしてもやっぱり若くしようと思って。
沢:逆に若くなって。
森:でも番組17年ってすごいことですよねー、担当されるのねぇ。
松:そのあともずいぶんお昼やってらっしゃいましたもんね?
井:え?
松:お昼とか、RKB。
井:ああ、その番組終わってお昼出てました。
沢:松ちゃん詳しいです。ちょっとあの椅子に座ってですね、ちょっとサトルさんと一緒に、振り返っていこうかなというふうに思っております。実はですね、このステージにパネルを用意しておりまして、まあ年表ですね。えー、RKBラジオ「スマッシュ!!11」、そして私がまあ当時担当しておりました「PAO~N」、そして森口博子さんと松村邦洋さんの年表、パネルにしております。
森:ハハハ。
松:いいですねぇ。
沢:まずですねぇ、井上サトルさん、何年入社になりますか。
井:えー何年ですかね…とにかくオリンピックの前年ですね、1963年。
沢:昭和38年、ケネディ暗殺の年ですよ。
松:ケネディ暗殺!阪神タイガースがねぇ、藤本監督で2回目の優勝する前の年ですね。
沢:知らないって。
松:東京オリンピックの前の年ですよねー。
沢:その年優勝してないじゃない、それ。
森:ここにお写真あるけど、すごい渋いですねー。
松:渋いすねー。
井:昔から変わらないでしょう?
森:いや素敵です、素敵です。
沢:サトルさん、昔のほうが老けてませんか?
井:ハハハ…。
森:かっこいいー。
沢:森口さんも松ちゃんもまだ生まれてません。
森:生まれてないです。
沢:松ちゃんはですね、1967年、昭和42年山口生まれ。
松:そうですよ。松岡修造とか貴闘力とかねぇ、みんな多いんですよ、清原・桑田、その昭和42年に生まれましたよ。
沢:松ちゃん世代。森口さんが昭和43年、1968年。
森:そうです。
沢:森口さんが生まれた次の年です、サトルさん「スマッシュ!!11」。
井:そうなりますかね、1969年。
沢:昭和44年4月1日、すごいですねぇ、あのアポロ11号月面着陸の年です。
井:昔々のことですねぇ。ほんと、我ながら懐かしい思いがしますけど。
沢:で、井上さんにですねぇ、直接お伺いしようと思ってたんですけど、実はその年に、井上陽水さんが、自作の音楽テープを井上さんの番組に持ち込んだという。
井:そうですね。それ前段があってね。ちょうどその頃ですねぇ、あの「スマッシュ!!11」1969年ですけど、始まる前に、サテライトスタジオっていうのがあったんですよね。あのKBCさんの近く、西鉄のコンコースの中に。で、そこでビートルズ全盛時代で、そういうポップスをずーっとかけてたんです、夕方4時くらいから。その中に学生服でいっぱい人が集まったんだけど、そういう中に鉄矢さんが居たりだとか。
沢:武田鉄矢さん。
井:そうそうそう。陽水さんはちょうどその頃、あのー予備校生でしたけども、そのときに来たりしてたんです。それで顔を知ってたという。そして「スマッシュ!!11」が始まった年にテープを持ってきたんです。
沢:聞かれたときはどんな印象でしたか。
井:うーん、なかなかおとなしいぼそっとした寡黙な方でしたね。
沢:そうですか。
森:テープって、歌ってるテープを送られたんですか?
井:持ってきたんです。
森:その中にはどんなことが入ってたんですか?
井:それはもう、2曲しか入ってなかったですけどね。「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」とかね。
沢:のちにデビュー曲になる。
井:そうそうそうそう。
沢:で、「アンドレ・カンドレ」っていう芸名っていうんですかね、でデビューするんですよね。最初、井上陽水じゃなかったんです。
森:そうなんですかー。
松:すごいですよねー。あの井上陽水さんが井上サトルさんのラジオがきっかけだったっていうのが。
井:いやー、そういう大きなものじゃないですけどね。たまたま。たまたま、そうでしょ。
松:ぼくね、苗字の井上はね、井上陽水さんに井上という苗字をプレゼントしたのかと思ってました。
沢:それくらいにね。
森:でもそうですよね。同じ井上さんだから。
井:まあ、九州には井上姓が多いですからね。
沢:で、井上陽水さんと当時の井上サトルさんがなんか電車でツーショットで写ってる写真がここにありますけども。
森:いやー、なんかかっこいいー。
沢:陽水さん若いですね。タバコ吸ってますねぇ。
森:サングラスして。
沢:これ、どこに行ってるときですか?
井:これはねぇ、うーん、八女かどっかにですねぇ。
沢:公録か何かですか?
井:コンサートツアーに行く途中ですよ。博多駅で落ち合って話をしながら行ったんです。
沢:やっぱり電車の中でもボソボソボソボソ言ってたんですか?
井:えー、お互いボソボソボソボソ言って。
松:この写真だけ見るとなんかさとう宗幸さんと宇崎竜童さんかと思いますねぇ。
森:ほんとだ!
沢:似てる!
松:なんで二人が八女に来てるんだろうと。
沢:他にも「スマッシュ!!11」はいろんな伝説のイベント、ね、100回記念イベントとかですね、いろいろやりまして、また年表のほうに戻るとですね、私がですね、ちなみに1980年に、昭和55年に入社しております。で、井上さん、この年、実はあの、音楽界で悲劇が起こりまして、ジョン・レノンが暗殺された。
井:そうですね。1980年12月ですよ。
沢:日本時間が12月9日だったんですよ。で、僕はうちに夜勤明けで居まして、あのー「スマッシュ!!11」を聴くまでジョン・レノンが死んだって信じられなくて。井上サトルさんが番組の冒頭で、ジョン・レノンの「Mother」を、かけたんですよね。で、あ、ほんとに死んだんだ、井上サトルさんが言ったから間違いない…そのときは…えぇ。
井:もう僕も言葉をなくしてしまって…。陽水に電話をしたんですね。
沢:陽水さんに。
井:うん。で、陽水知ってるか?って言ったら、うん知ってる、陽水も声詰まらせちゃってね。えー、もうビートルズなんかに一番影響受けた人ですからね。もうこれから先、音楽どうなるんだっていうね、言葉もありませんっていうね、もうほんとに嗚咽しましたね。
沢:ほんとあれは、生放送ならではっていうかねぇ。いきなりいつものテーマ曲じゃなくて、鐘から始まったからすごく覚えてるんです。
森:でも衝撃的な放送ですねー。だって今音楽業界で頑張ってる若者も大先輩も、ジョン・レノン、そのビートルズを通ってきて音楽をみんな作ってる方多いじゃないですか。
松:そうですよねー、だからほんときっかけの人ですからねー。
森:だから今、普通に音楽聴いてるのも、やっぱりジョン・レノンがどっかに根付いてたりするんですよね。
松:当時まだ小学5年生の森口博子さんも、ね、6年の僕もそうですけどねー。
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(つづく)
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スマッシュ!!11とPAO~N(1)

2009年10月12日 | マスコミ
復活しました。
復活第一弾は「バス以外の話題」という、ある意味「奇襲」です…。

このブログ、最近はほぼ100%がバスの話題になってしまっているが、初めの1~2年間は、バスの話題と並んで地元マスコミ(テレビ・ラジオ)関係の話題も大きな柱になっていた。
最近これらの話題を扱わなくなった理由としては、生活のスタイルも変わり、以前に比べてテレビ、ラジオを視聴する時間がかなり減ったことが第一である。
バスの話題もそうなのだが、過去のことを書くときにも、なるべく現在と対比しながら書きたいという思いがあるため、現在のことをあまり知らないまま過去のことをあれこれと書くというのが、どうもできないのである。

そんな中、ブログ4周年の記事のときにチラッと書いた、「天神ラジオパラダイス・ラジオ黄金時代」における井上サトル・沢田幸二両氏の対談の書き起こしに関して、途中まで作っていたものをようやく仕上げてみたので、4回シリーズで公開する。
「天神ラジオパラダイス・ラジオ黄金時代」は、今から約4年前の2005年11月3日、RKB、KBC、FM福岡、CROSS FMの、福岡の民放ラジオ4局が共同製作した番組で、各局30分ずつ持ち回りで担当し、それを4局同時に生放送した。
今回書き起こしたのは、このうち、KBCラジオ担当の「AMラジオ今昔物語」である。

登場人物は以下の通り。
 沢…沢田幸二    井…井上サトル
 森…森口博子    松…松村邦洋
 ト…TOGGY      オ…オオモリ君
各登場人物の経歴などをここで書くよりは、中身を読んでいただいたほうが早いと思う。
なお、この書き起こしは、読みやすいように発言に修正を加えたりはなるべくせず、ほぼ発言の通りを文章にしている(クロストークや相鎚など、一部拾ってない部分もあります)。
では、スタートです。
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沢:(タイトルコール)「天神ラジオパラダイス・AMラジオ今昔物語」

沢:(KBCラジオ「PAO~N」のオープニングテーマに乗せて)DA PUMPのISSAが女性にもてるのは足裏マッサージが得意なのが原因であることが明らかになる今日この頃、僕のうちでマッサージでもしていかない?とマンションに誘い、得意の足裏マッサージを施して、女性の警戒心を解くのが秘訣だと聞いた日にゃ、伊藤美咲の足はデカそうだから大変だったろうなあと同情する中、やってまいりました「天神ラジオパラダイス・AMラジオ今昔物語」、早速今回のメニューのご紹介。一世を風靡したRKBラジオ「スマッシュ!!11」のあの伝説のDJが久々に登場し当時の懐かしい話で大いに盛り上がる「スマッシュPAO~N」、CROSS FMのナビゲーターTOGGYがAMラジオとの意外な接点を赤裸々に語る「私は昔ステップだった」、などなど、小泉チルドレンとちやほやされますます態度がデカくなっている片山さつき議員と、昔はたかがテレビキャスターだったのに、今はすっかり大物ぶっている小池百合子環境大臣のような、もう一度原点に返ったほうがいいんじゃないかというコーナーが目白押し。「AMラジオ今昔物語」、今回は1時30分までひとつ、よろしくね。

(ジングル「天神ラジオパラダイス・ラジオ黄金時代」)

沢:どうも~、FM福岡、CROSS FM、RKBラジオ、そしてKBCラジオをお聴きの皆さん、そしてパサージュ広場にお越しのみなさん、こんにちは、KBCの沢田幸二です。
森:こんにちはー、森口博子です。すごいですねみなさん、朝からずーっと盛り上がって下さってますね。
沢:ほんとにいかに皆さんが暇かというのがね、よくわかりますけれども。
森:いやいやわざわざ足を運んで下さってありがとうございます。
沢:ありがとうございます。さあ、今日はですね、全国初の試み、福岡の民放ラジオ、FM福岡、CROSS FM、RKBラジオ、KBCラジオが、ここ福岡市中央区天神大丸パサージュ広場特設ステージから4局同時生放送を行っております。
森:すごーい。
沢:この番組はイベントを通してですね、ラジオの魅力を再発見しようという一日でありますが、森口さんねえ。
森:はい。
沢:これはもう福岡ならではのノリでね。
森:すごいことです、これ。東京でもね、ありえませんし。
沢:そうです。東京でもやりたいなあってね、さっき森口さんおっしゃってましたもんね。
森:そうなんですよ。で、福岡の人はなんてったってパワーがあるじゃないですか。
沢:そうなんです。
森:私ももちろん福岡出身なんですけど、久々にこう帰ってきてみますと、ほんとに皆さん明るくて、なんかこう仲間意識が強いっていうのが他の地方にはない魅力だと思います。
沢:今日のねえ、お客さんねえ、ほんとにあの皆さん顔見たらですね、ほんとにのほほんとしたねえ…。
森:いやいや。
沢:みんないい感じの方ばっかりでございまして。
森:いやいやのほほんって。
沢:いやいや。
森:あったかいなあ…フフフ。
沢:でも森口さんラジオといいますと、いろんな番組ね、もうご自身で担当してらっしゃいまして。
森:はい。
沢:文化放送「ナンバショット!」覚えてますよ、私。
森:あ、そうですか。聞いて下さってましたか。
沢:タイトルがだっていいタイトルですもん。
森:ちょっとこれ嬉しかーって感じで。
沢:博多弁でなんばしょっと。
森:森口博子のナンバショット!
沢:懐かしいじゃないですか。
森:でもほんとこれ、ナンバショットって音的にはそういうふうにいくんですけど、私の心の中では、なんばしょっと?なんですよね。
沢:ニュアンスが微妙にね。
森:微妙に違ったんですけど、はい。
沢:他にもTFMの「ヒッツ・イン・モーション」とか「アフタヌーンブリーズ」ですか、それから現在某公共放送で「土曜音楽パラダイス」。
森:はい、私ですね、生放送が多いんですよ。で、「アフタヌーンブリーズ」はえっと一人で4時間生放送担当させていただいて。
沢:4時間、よくまたしゃべることが。
森:曲をかけたりFAX、メールのやりとり、番組の最後には私のアコースティックライブとかお届けしてて。
沢:充実してますね。
森:もうすごいあのー、皆さんとのコミュニケーションの時間として幸せですね。
沢:やっぱラジオは面白いですもんね。
森:いいですよねー。
沢:さあこれからの時間は「AMラジオ今昔物語」と題しまして、AMラジオにスポットをあてて、AMラジオの過去、そして現在、未来を語っていこうと思っております。さあここでスペシャルゲストをご紹介いたしましょう。松ちゃんこと松村邦洋さんです。
松:はい、どうもこんにちはー。はい、お願いします。ありがとうございます。すごいですねー今日は、ほんと「チャリティーミュージックソン」!
沢:違う違う。
松:違いますか。
沢:あれは12月24日やない。
松:12月でしたね。ちょっと早いなあと思ってたんですよ。
沢:早すぎ早すぎ。
松:やっとね、あのホークスの気持ちがわかりましたよ、日本シリーズで。
沢:ああそうですか。でもどうですか、掛布さん、タイガース4連敗。
松:(掛布のものまねで)あのねえ、オープニングの第一戦に10点とられたでしょう。初戦が10点。10点、10点、10点、ものまね王座かと思いましたよ。
沢:意味が…そんなアドリブはいいから。
松:(掛布のものまねで)最後の3点は淡谷のり子さんかなと思いましたよ。
沢:いや関係ない関係ない。ねえほんと、いやいや松ちゃん今日はね、この時間、AMラジオのね、いろんな話をしようと思って。
松:僕はねーよく聴いてましたねぇ。
沢:もう福岡のラジオを山口なのに。
松:はい、山口ですけどね。林幹雄さんの「ベスト歌謡50」を聴いてましたね。
沢:午前中出てらっしゃいましたね。
森:先ほどいらっしゃいましたよ。
松:日曜日のお昼は必ず聴いてましたね。
森:あの素敵な曲紹介でね。
松:あと山崎銀之丞一座という一座にいて、RKBラジオの「HiHiHi」を聴かなきゃいけないのに、「PAO~N」にチューニングを合わせてましたけどねぇ。
沢:嘘つけ、さっきと話全然違うじゃないか。
松:すいません。よろしくお願いします。
沢:というわけで、いろんな思い出話を絡ませながらということで、「天神ラジオパラダイス・AMラジオ今昔物語」、この番組は福岡市中央区天神大丸パサージュ広場特設ステージからFM福岡、CROSS FM、RKBラジオ、KBCラジオ、4局同時生放送でお送りしています。お知らせの後はあの方の登場です。

(CM)
(ジングル「天神ラジオパラダイス・ラジオ黄金時代」)

沢:「天神ラジオパラダイス」、この時間は、福岡のAMラジオの過去、現在、未来を語っていこうと思っております。ゲストは森口博子さん、そして松村邦洋さん、司会進行は私KBCの沢田幸二でお送りしております。さて1970年代から80年代にかけて、福岡のラジオの黄金時代を創り上げた偉大な番組がありまして。
松:もうラジオの経済成長時代ですよね、これは。
沢:そうですよね。はい。RKBラジオの、あの番組です!
---------------------------------------------------
(つづく)
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調整中…

2009年10月09日 | 日記など
以前取り上げた画像だが、現在は私自身がこんな状態です…。
復活までしばらくお待ちください。
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シューテングスター(35)

2009年10月07日 |    ┣ シューテングスター
(つづき)
都市部にある「狭義の終点」、福岡市博多区の雨の「中央ふ頭」バス停。
この先には海があるので、「東若久」のときに書いた「仮定の2」が成り立たない場所ということができる。

バスの行先表示では、天神・博多駅よりも手前では「中央ふ頭」、天神・博多駅から先では「中央ふ頭」を経由地の欄に表示して行先部分に「博多港国際ターミナル」(下段にアラビア文字ではなくハングル)と表示される場合が多い。
西鉄のサイト上ではこのバス停は「博多港国際ターミナル中央ふ頭」という名称になっている。

以前は写真のバス停の手前側にバスが停車していたが、付近の道路工事に伴い、現在は歩道の向こう側に停車するようになっている。
仮設の標柱に「中央ふ頭」の文字はなく、単に「博多港国際ターミナル」と表示されていた。

「中央ふ頭博多港国際ターミナル」(←個人的にはこっちの名称のほうがしっくりくる)にバスが乗り入れたのは「博多ふ頭」や「箱崎ふ頭」より後であり、初めに乗り入れたのは「84番」だと思う。
「じゃあいつか?」と聞かれたら答えに困るのだが、ビートル就航以後と考えれば1991年よりも後だろうか。
ただし、それまでも先代の「80番」や「93番」が「港湾局前」(現在のマリンメッセ南口)を通っていたので「中央ふ頭地区」にはバスは乗り入れていた。
なお、福岡市港湾局は現在、博多港国際ターミナルの向かいのビルに移転している。
ちなみに、車内のデジタル運賃表で「マリンメッセ南口」は、スクロールして「マリンメッセ南口」と表示するものと、スクロールせずに「メッセ南口」と表示するものがある。

現在は、ここから「55番」「151番」「152番」が天神方面へ、「11番」「19番」「50番」が博多駅から薬院駅方面へ運行されている(都心から中央ふ頭に向かう路線については番号が統一され、天神方面から来るものが「80番」、博多駅方面から来るものが「88番」となっている)。
また、「80番」は、「天神→中央ふ頭」の路線だけでなく、「中央ふ頭~天神~キャナルシティ~博多駅」を走る路線の番号としても使われている。
こちらのほうの「80番」は、博多港国際ターミナルからキャナルシティ博多への利便性を高めるために運行されていると思うのだが、天神を通るため時間がかかってしょうがない。
「祗園町で降りて徒歩数分」ということをアピールして、「11番」「19番」「50番」への乗車を勧めたほうが合理的な気もするのだが、観光客にとっては合理性が全てではないので別にいいということなのかな?
なお、今年の6月までは、ここから築港口を経由して千鳥橋に向かう路線が土曜日に一本だけ存在した。

バス停の路線図(運賃表)をよく見てみると、終点や主要経由地でもない「雙葉学園入口」と「田村七丁目」の2つだけが、なぜか赤い四角で囲まれていた(凡例なども特にない)。
韓国からの観光客の人たちが向かう何らかの施設があるのか?とも考えたが、そういう訳でもなさそうだ。
何かのメッセージだろうか…??(なんとなく答えはわかる気もしますが、あえて書きません)。

なお今回の記事の多くの部分は、前々回の「シューテングスター」である「博多ふ頭」の文章をベースにしている。
過去作った文章をベースにすると、「手間」は省けるのだが、(この車内路線図のような)思わぬ間違いが生まれる可能性も高まるため、皆さん注意しましょう(?)。
(つづく)
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Day Tripper(1)

2009年10月06日 |   ┣ Day Tripper
思いつきで新シリーズである。

一回目は、北九州市小倉北区にあるカナダ。
ただし、「CANADA」ではなく「KANADA」である。

なお、バス停に掲示されている「お知らせ」は、「1番特快」が、「金田経由」から「金田二丁目経由」となったことを案内するものである。
西鉄のサイトで北九州の「1番特快」を検索すると、行先番号が「TKI」と表示されるのだが、今はそんな表示になってるんですか??
(つづく)
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く・ふ・う(16)

2009年10月04日 |   ┣ 工夫とSWEET NAIL
(つづき)
中央区の「平和台通り」バス停。

行先案内の部分が新しくなり、夜、あかりが灯ったときもちゃんと読み取ることができる。
「/(スラッシュ)」を使ったり、「※一部便は天神北終点」「※一部便は流通C経由」といった注意書きを入れるなど、なかなかの「意欲作」である。

でも、数ケ月経つと、またテープベタベタになる可能性も高い。
左右に余白を設けているのは、そのときのことまで想定しているのたろうか??
(つづく)
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チラシのオモテ(53)

2009年10月03日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
今はなき「8番 荒江循環線」の時刻表の一部である。

ただ、日付の記載がなく、いつの時点のものなのかがわからない。

「8番」は、
【早良営業所~飯倉営業所~荒江四角西新~明治通~天神~国体道路~六本松~荒江四角~飯倉営業所~早良営業所/さわら台団地
というルートであり、「7番 鳥飼循環線」とともに誕生した。
画像の時刻表は、天神岩田屋前(現在の新天町入口)のものだが、岩田屋前から早良方面は「3番」とルートが重複している訳で、「8番」単独の時刻表を掲載しても誰も得しないと思われ、掲載の意図がいまいちわからない。

「8番」は晩年(たしか平成元年頃?)、内廻り(→荒江四角→六本松→天神→西新方面)を「8-1番」に変更した(一方、鳥飼循環線には「7-1番」はできなかった)。
ただ、この改番だと、早良~西新~天神を利用する人にとっては、上りが「8番」で下りが「8-1番」ということになってしまい(早良~六本松~天神を利用する人にとってはその逆)、かなりわかりづらかったようであまり定着しなかった。
“早良から西新に行くのも六本松に行くのもどっちも「8番」でわかりにくい!”という状況を改善したかったのは理解できるのだが、一般の利用者は循環運行していることをそこまで意識している訳ではないので、内廻りと外廻りで番号を分ける方法は成功とはいかなかったようだ。
行先表示がLED化された現在であれば、もう少しうまい方法を考えられたのかもしれない。
でも、考えてみれば「60番 桧原循環線」は、荒江循環線よりもずいぶん前にできて、かつ、荒江循環線よりも永く生き延びており、その間、内廻りと外廻りで番号を変えるなどということもなく安定していた訳で、このへんは「格」の違いなのかもしれない。
あり得ない話ではあるが、現在の「204番←→504番」「49番←→630番」などに、内廻りと外廻りで番号を分ける方法を導入したら「8番」の比ではない大混乱が起きそうである…。

「8番」のバス会社側にとっての意義は、都心部での折り返しスペースや折り返し時間を節約して、効率的な運用を行うことだったのだろう。
一方、利用者側にとっては、都心部から郊外に向かうバスに遅れが生じる可能性・確率が高くなる訳で、あまりメリットはなさそうだ。  
ただ、意義を見出すとすれば、「赤坂門~天神~警固神社前(現在の天神警固神社三越前)」のような、「天神をまたぐカタチでの都心部内の移動(以下、TMIと呼ぶことにする)」が可能だったことではないだろうか。
現在、天神地区にこれだけ大量のバスが乗り入れているにもかかわらず、「TMI」が可能な方向は限られており、天神で一回降りて、乗り換えのために乗り場の間をかなり歩くということも多い。
「60番」が健在の頃(厳密には、その後を受けた「61番西公園行きの廃止まで)は、「赤坂門~天神~渡辺通一丁目」という移動が可能であったし(←今も、片道だけなら一応「ぐりーん」はありますけどね)、「72番」の渡辺通一丁目行き、「34番」の福岡競艇場行きなどがあった頃は、天神より東側の昭和通り(蔵本方面)から天神の南北地区への移動ができた訳で、今と比較すれば「TMI」の選択肢がかなり多様だったといえる。
「TMI」の選択肢が増えることは、すなわち、天神地区の交差点でいろんな方向に曲がるバスが出てくることを意味するため、そのことが「さらなる渋滞の原因になる」という懸念や批判もあるだろう。
ただ、何事も「バランス」なので、現時点で過剰と思われるものを調整するなどして「TMI」を高めて、バスを都心部内の移動手段としてもっと有用なものとすることを検討する余地はあるのではないだろうか。
…と、ここまで書いてみたものの、やっぱり実際の渋滞の状況を鑑みると、かなり難しそうですかね…?

そういえば、「8番」の側面方向幕には、“一番左に「番号」があり、その横に縦書きの停留所名を「←」でつないだ通常のもの”でなく、“中央下部に「番号」があり、その周りを取り囲むように「↓」「←」「↑」で地名をつないだイレギュラーなもの”が一時期あったと思うのだが、覚えている方はいらっしゃいますか?
(つづく)
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素顔のままで(11)

2009年10月02日 |    ┣ 素顔のままで
(つづき)
福岡県筑紫野市の「学校前」。
今年8月末までは、「17番」の三国が丘系統もここに停車していたが、現在は、「17番」の筑紫駅原田駅美しが丘・光が丘を結ぶ系統のみとなっている。

原田小学校と筑紫野南中学校、道路を挟んで両側に「学校」があるため、バス停名に両校の名前を入れると長くなるし、どちらか一方では角がたつし…ということで「学校前」なのだろうか。
でも、このバス停ができた時点では、中学校のほうはまだなかったような気もする。

このバス停は、「ニュータウン第一」と「ニュータウン第二」の間に位置する。
「ニュータウン第一」と「ニュータウン第二」が既にあって、その後に両者の間に新設された停留所ということであれば、この名称でも仕方なさそうだが、実際は「ニュータウン第一」「学校前」「ニュータウン第二」は同時にできたと思う。
ということは、「学校前」は「ニュータウン」ではないのか?とか、当初の時点で「ニュータウン第一」「ニュータウン第二」「ニュータウン第三」でも別によかったのでは?などという気もしてくる(「ニュータウン第○」という名称が適切かは別として)。

ここ以外にも、「美しが丘・美しが丘南・美しが丘南四丁目」「公園前」に「老人ホーム前」など、この地区のバス停の名前の付け方は、いろんな意味で全体的に「ゆるい」感じがする。
そのことに対して、以前の記事ではどちらかといえばやや批判的な視点で書いたのだが、特にバス停名が原因で問題が生じているという訳でもなさそうなので、「ゆるい」名前のバス停たちが一体となってこの地区の路線の「味」を醸し出しているともいえそうである。
 
なお、「ニュータウン第一~ニュータウン第二」間は、フリー乗降区間になっているようなのだが、実際にその制度を活用している人はいるのだろうか…。

ちなみに、久山町の「学校前」は「趣に赴く」で取り上げたが、今回は「素顔のままで」である。
このへんの微妙なニュアンスの差は、私の心の中にしまっておきます(笑)。
(つづく)
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近い遺産(28 )

2009年10月01日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
福岡市博多区の「住吉四丁目」バス停。

博多駅が現在の位置に移転する前は、ここに鹿児島本線が通っていた(その当時のことはリアルタイムでは知りませんが)。

バス停の行先案内の部分が2箇所隠されている。
そのうち、左側の大きいほうにはうっすらと「和田四丁目」の文字が見える。
このバス停の行先案内が、「47番」の東若久系統(10月1日改正で「7番」に変更となる)が和田四丁目までの運行に短縮されていた時期、かつ、東若久系統が都心まで直通していた時期に作られたものだということがわかる。

また、隠されている部分の小さいほうは、おそらく「47-1」ではないかと思われる(「47-1番」は「清水二丁目経由福商高校行き」と勘違いして記憶していたが、以前の記事のコメントで、ひろしさんから「がんセンター経由那珂川行き」だと訂正していただいた)。
なお、その下には「那珂営業所」というSWEET NAILがある。

現在ここには、案内に表示されている「47番」「48番」の他に「63番」も停車するが、「63番」がここを通るようになったのは、渡辺通一丁目・那の川経由が、キャナルシティ・博多駅経由に変更になった時なので、この行先案内が作られた時期は「63番」がまだ那の川経由だったということがわかる(「63番」はさらにその後、キャナルシティ・博多駅経由から、渡辺通一丁目・住吉経由に変更されている)。

「48番」のところには「塩原橋」同様、「福商・野多目」とあることから、この行先案内が作られた時期は、レークヒルズ野多目延長後、かつ、福商高校から福翔高校への改名前だということもわかる。

このように、具体的な年月日までは特定できないものの、ひとつのバス停から、いろんな過去のことが推測できておもしろい(←私だけでしょうか…)。

バス停の路線図や、バスの車内に掲示されている路線図が遠めからしか見えず、字が読み取れないとき、位置関係や線の色のつながり方、文字数の長短などから、停留所や行先番号を推測することを無意識のうちにやってしまう(←これも私だけでしょうか)。
塩原橋」の記事のときに、「47番」と「48番」の違いについて書いたが、このバス停の路線図を見ると、字は読み取れなくとも、その違いがなんとなくわかっていただけるのではないだろうか。
(つづく)
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