スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

九十九島賞争奪戦&パラドックス

2020-12-21 19:22:23 | 競輪
 昨日の佐世保記念の決勝。並びは新山‐須永の北日本,吉田‐神山の茨城栃木,村上‐山口‐笠松の近畿中部,山崎‐小川の西国。
 やや牽制が入りましたが,笠松がスタートを取って村上の前受け。4番手に山崎,6番手に新山,8番手に吉田で周回。残り3周のバックを出てから吉田が上昇開始。新山が神山の後ろにスイッチ。前受けの村上は突っ張る構えをみせましたが,バックで吉田が叩いて前に。このラインを追っていた新山がさらに叩いて打鐘から先行。3番手に吉田,5番手に村上,8番手に山崎の一列棒状になり,この隊列のまま最終周回のバックに。村上の発進に合わせるように吉田が発進。横まできていた村上を吉田マークの神山が押し上げると,そのあおりで後方から捲り上げていた山崎が落車。さらに山口もこれに巻き込まれて落車。発進した吉田が前のふたりを飲み込んで優勝。逃げ粘った新山が4分の3車身差で2着。3着に入線した神山はふたりの落車の要因となったため失格。新山マークの須永が繰り上がって半車身差の3着。
 優勝した茨城の吉田拓矢選手はこれが記念競輪初優勝。ここは山崎と新山が有力とみていましたが,山崎は後方に置かれてしまい完全に作戦失敗。新山の逃げは予想できたところで,3番手を取った吉田にとっていい展開になりました。初手の位置取りが新山ラインの後ろで,これがよかったということでしょう。まだ25歳の若い選手でですし,記念競輪の決勝にはそこそこ進出している選手。初優勝だったのが意外だったくらいで,これからもまだチャンスが巡ってくると思います。

 ガリレイGalileo Galileiとスピノザの間に,無限量の解釈の方向性にどのような違いがあったのかは定かではありませんが,河合がいうように何らかの相違があったことはおそらく確実なことでしょう。両者の志向性の相違からは,一切の相違が生じない方が不思議に思えるからです。しかしそれでも,サルヴィヤチSalvyachiすなわちガリレイが,有限finitumであるものの性質を無限infinitumであるものに押し付けてはならないと語っていることは重要です。この考え方はスピノザと一致するであろうからです。他面からいえば,サルヴィヤチのこのことばだけを抽出すれば,それがどのような意味合いをもつかということと関係なく,スピノザはそれを肯定することになるでしょう。
                                        
 そもそも,ある線の中に無限量の点があるということのうちには,あるパラドックスが含まれています。というのは,線というのは一端から別の一端を結ぶものであり,これは有限です。この線を超越する空間というのが,二次元で解するにせよ三次元で解するにせよ,必ず存在することになるからです。あるいはそうした空間が存在すると考えるconcipereことができるからです。したがって,そうした線の中に無限の点があるというテーゼは,有限なものの部分が無限によって構成されているといっているに等しくなります。これはそれ自体で矛盾しているといえるでしょう。なぜなら,部分は全体によって限定されますから,この場合は線の中に含まれる点は線によって限定されなければなりません。しかしもしあるものが限定を受けるのであれば,それは無限ではなく有限であるといわれなければならないからです。よって有限であるものの部分は必ず有限なものによって構成されているのでなければならず,無限なものによって構成されていてはならないのです。
 数学の世界では点というのは面積をもたないものなので,どのような線の中にも無限の点があるといういい方は成立します。逆にいえば,点というのが面積をもたないものとして規定されると,有限であるものの部分が無限によって構成されるというパラドックスが生じます。実際このパラドックスは,とくに線の中にあるものだけに適用されるわけでないことは明白だからです。
コメント
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