第20回兵庫ゴールドトロフィー。
ラプタスは発馬直後に外によれてしまい2馬身の不利。ベストマッチョが先手を奪い,2番手にはゴールドクイーン。3番手にサロルンとツーエムマイスターとトップウイナー。6番手にナチュラリー。7番手にサクセスエナジーとナリタミニスターで,ラプタスは1周目の正面ではこの2頭の外まで追い上げました。10番手がイルティモーネで11番手にリョーノテソーロ。この11頭は一団。メイショウオオゼキだけは5馬身ほど離されました。ミドルペース。
2番手のゴールドクイーンが向正面で一杯となったため,一時的にベストマッチョが2番手との差を広げる形に。3コーナーの入口にかけてトップウイナーとラプタスが追い上げてきて,3頭の雁行になりましたが,トップウイナーはコーナーの途中で脱落。直線は逃げるベストマッチョと追うラプタスの競り合いかと思われたところ,ずっと内を回ってきたサクセスエナジーが最内からこの争いに加わりました。ベストマッチョはラプタスは振り切ったものの,内のサクセスエナジーとはほとんど並んでフィニッシュ。写真判定の結果,優勝はサクセスエナジー。ベストマッチョがハナ差の2着。ラプタスはクビ差で3着。
優勝したサクセスエナジーは前々走のオーバルスプリント以来の勝利で重賞は5勝目。ここはラプタスの力量が上位でしたが,発馬でミス。そのために力量2番手のこちらが勝つことになったといえそうです。接戦の末の優勝ですから,コース取りが大きくものをいったことになるでしょう。父はキンシャサノキセキ。母の父はジャングルポケット。母の8つ上の半姉に2002年にフィリーズレビューを勝ったサクセスビューティ。
騎乗した松山弘平騎手と管理している北出成人調教師は兵庫ゴールドトロフィー初勝利。
線の中に含まれる点が無際限indefinitumであるというのは,無限infinitumではないという意味です。すなわち無際限というのは,本来的な意味においては有限finitumです。このように解すれば,線という有限であるものの部分が無限によって構成されなければならないというパラドックスは解消されることになります。
このことは,点が面積をもたないという数学の定義Definitioから発生していることなので分かりにくいかもしれません。もう少し分かりやすい似たような例として挙げられるのは,第二部定義五です。そこでは持続Duratioが存在の無限定な継続indefinita existendi continuatioといわれていますが,この無限定というのは無際限と理解して差し支えありません。つまり実際には有限であるけれども,その限界を認識するcognoscereことができないために,有限であるということができない事柄という意味です。持続の場合でいえば,現実的に存在するものの限界,すなわちその事物がいつまで存在し続けるのかということは,その事物を十全に認識したとしても知ることができません。第三部定理四から分かるように,ある事物が現実的に存在することを停止するのは,その事物の外部を原因causaとするのであり,その事物の本性essentiaを原因とするわけではないからです。このあたりは,スピノザの哲学はある個物res singularisと別の個物が関係するということを与件として成立しているという観点から,スピノザの哲学は動哲学か静哲学かの二分法では,動哲学に該当すると僕がみなしたこととも関係しているといえるでしょう。
しかしながら,現実的に存在する個物には,必ずその存在の終焉というものがあります。このことは第四部公理から明らかですし,第四部定理三からなお一層に明らかだといえます。確かにこの定理Propositioは人間homoに限定して言及していますが,この定理でいわれている事柄は,単に人間にだけ該当するというわけではなく,自然Naturaのうちに現実的に存在するすべての個物に該当するからです。そしてこのことから,無限定な継続というのは,本来的な意味で無限を意味しているわけではなく,実際には有限であるということが分かるでしょう。
重要なのは,この無限定な継続というのが,永遠aeterunusを意味するわけではないということです。
ラプタスは発馬直後に外によれてしまい2馬身の不利。ベストマッチョが先手を奪い,2番手にはゴールドクイーン。3番手にサロルンとツーエムマイスターとトップウイナー。6番手にナチュラリー。7番手にサクセスエナジーとナリタミニスターで,ラプタスは1周目の正面ではこの2頭の外まで追い上げました。10番手がイルティモーネで11番手にリョーノテソーロ。この11頭は一団。メイショウオオゼキだけは5馬身ほど離されました。ミドルペース。
2番手のゴールドクイーンが向正面で一杯となったため,一時的にベストマッチョが2番手との差を広げる形に。3コーナーの入口にかけてトップウイナーとラプタスが追い上げてきて,3頭の雁行になりましたが,トップウイナーはコーナーの途中で脱落。直線は逃げるベストマッチョと追うラプタスの競り合いかと思われたところ,ずっと内を回ってきたサクセスエナジーが最内からこの争いに加わりました。ベストマッチョはラプタスは振り切ったものの,内のサクセスエナジーとはほとんど並んでフィニッシュ。写真判定の結果,優勝はサクセスエナジー。ベストマッチョがハナ差の2着。ラプタスはクビ差で3着。
優勝したサクセスエナジーは前々走のオーバルスプリント以来の勝利で重賞は5勝目。ここはラプタスの力量が上位でしたが,発馬でミス。そのために力量2番手のこちらが勝つことになったといえそうです。接戦の末の優勝ですから,コース取りが大きくものをいったことになるでしょう。父はキンシャサノキセキ。母の父はジャングルポケット。母の8つ上の半姉に2002年にフィリーズレビューを勝ったサクセスビューティ。
騎乗した松山弘平騎手と管理している北出成人調教師は兵庫ゴールドトロフィー初勝利。
線の中に含まれる点が無際限indefinitumであるというのは,無限infinitumではないという意味です。すなわち無際限というのは,本来的な意味においては有限finitumです。このように解すれば,線という有限であるものの部分が無限によって構成されなければならないというパラドックスは解消されることになります。
このことは,点が面積をもたないという数学の定義Definitioから発生していることなので分かりにくいかもしれません。もう少し分かりやすい似たような例として挙げられるのは,第二部定義五です。そこでは持続Duratioが存在の無限定な継続indefinita existendi continuatioといわれていますが,この無限定というのは無際限と理解して差し支えありません。つまり実際には有限であるけれども,その限界を認識するcognoscereことができないために,有限であるということができない事柄という意味です。持続の場合でいえば,現実的に存在するものの限界,すなわちその事物がいつまで存在し続けるのかということは,その事物を十全に認識したとしても知ることができません。第三部定理四から分かるように,ある事物が現実的に存在することを停止するのは,その事物の外部を原因causaとするのであり,その事物の本性essentiaを原因とするわけではないからです。このあたりは,スピノザの哲学はある個物res singularisと別の個物が関係するということを与件として成立しているという観点から,スピノザの哲学は動哲学か静哲学かの二分法では,動哲学に該当すると僕がみなしたこととも関係しているといえるでしょう。
しかしながら,現実的に存在する個物には,必ずその存在の終焉というものがあります。このことは第四部公理から明らかですし,第四部定理三からなお一層に明らかだといえます。確かにこの定理Propositioは人間homoに限定して言及していますが,この定理でいわれている事柄は,単に人間にだけ該当するというわけではなく,自然Naturaのうちに現実的に存在するすべての個物に該当するからです。そしてこのことから,無限定な継続というのは,本来的な意味で無限を意味しているわけではなく,実際には有限であるということが分かるでしょう。
重要なのは,この無限定な継続というのが,永遠aeterunusを意味するわけではないということです。