スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京シンデレラマイル&連続体の部分

2020-12-30 18:58:26 | 地方競馬
 第14回東京シンデレラマイル。サラーブは右の前脚の蹄の底の内出血により競走除外となって15頭。
 ルイドフィーネは少し立ち上がって1馬身の不利。カラースキームが2馬身くらいのリードで逃げる形。2番手にレイチェルウーズ。3番手にラインカリーナとアクアリーブル。5番手にダノンレジーナ。6番手にポッドギルとルイドフィーネ。8番手にマルカンセンサー。9番手にペタルーダ。10番手にロイヤルビクトリーとナンヨーオボロヅキとサルサレイア。13番手にエースウィズ。14番手にゼットパッション。最後尾にサンルイビルという隊列。前半の800mは51秒0のスローペース。
 3コーナーからカラースキーム,レイチェルウーズ,ラインカリーナの3頭が雁行に。ダノンレジーナとアクアリーブルがその後ろ。直線に入る前にレイチェルウーズは脱落。カラースキームが少し外に出したので,ダノンレジーナはその内に進路を取り,アクアリーブルはラインカリーナの外へ。ダノンレジーナは直線の入口のところでは手応え十分で進路を探している感じでしたので,それが確保されて抜け出すことに成功し優勝。最内を回って追い上げてきたマルカンセンサーが,外で競り合うラインカリーナとアクアリーブルを内から差して2馬身差で2着。2頭の競り合いを制したアクアリーブルが半馬身差の3着でラインカリーナは半馬身差の4着。
 優勝したダノンレジーナは前走のこのレースのトライアルから連勝。南関東重賞は初勝利。この馬はJRAで1戦だけして佐賀に移籍。佐賀では5連勝して南関東へ。転入後も6連勝しました。2着を挟んで南関東重賞で3着。そこからまた連勝。2着の後に大レースが4着。前走を勝ってここに出走ということで,実績は下でしたが能力は上位。ですから順当な勝利といえるでしょう。現状は南関東の牝馬ではトップだと思います。父は2010年にラジオNIKKEI杯2歳ステークス,2013年にアメリカジョッキークラブカップを勝ったダノンバラードでその父はディープインパクト。祖母の3つ上の半姉がドバイソプラノ。Reginaはイタリア語で女王。
 騎乗した船橋の本橋孝太騎手は京浜盃以来の南関東重賞18勝目。第2回以来12年ぶりの東京シンデレラマイル2勝目。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞43勝目。第10回以来4年ぶりの東京シンデレラマイル2勝目。

 有限finitumであるものの性質を無限infinitumであるものに押し付けてはならないというテーゼは,人間の性質を神Deusの性質に押し付けてはならないというテーゼに直結します。よってガリレイGalileo Galileiが数学について考えていることは,スピノザが哲学としてあるいは形而上学として考えていることに直結するのです。そしてスピノザは,哲学あるいは形而上学がその他のあらゆる学知scientiaを下支えすると考えているのですから,数学においても,有限であるものの性質を無限であるものに押し付けてはならない,いい換えるなら,無限であるものの本性naturaは有限であるものの本性によって説明されることはできないということを肯定するでしょう。したがって,河合はガリレイもスピノザも無限のパラドックスに気付いていたということに両者の一致をみているのですが,僕は両者の一致はおそらくそこだけでないだろうと推測します。
                                        
 さらにこれと関連した言及が『新科学対話Discorsi e dimostrazioni matematiche, intorno a due nuove scienze attenenti alla mecanica ed i movimenti locali』にあると河合のコラムに指摘されています。弟子がサルヴィヤチSalvyachiに対して,連続体の部分は有限個であるのか無限個であるのかを問うている部分です。
 この質問に対してサルヴィヤチは,それは有限個でもあるし無限個でもあると解答しています。それは可能性においては有限であり,現実的には無限であるとサルヴィヤチすなわちガリレイは考えているからです。連続体の部分というのは分割される前は可能性として無限なのであり,分割されれば現実的に有限であるというのがこのことの具体的な意味です。
 ここでは数学において連続体というのが何を意味するのかは考察の対象から外します。これは僕には荷が重いですし,僕の関心もそこにあるわけではないからです。ここで着目したいのは,ガリレイがある同じものについて,それは無限でもあるし有限でもあるといっている点です。本来はあるものが無限でもあるし有限でもあるということはあり得ません。そんなことはガリレイだってよく分かっていた筈です。しかしあえてそのようにサルヴィヤチに言わせているのは,あるものが有限であるか無限であるかということが,人間がそれをどう認識するcognoscereかによって変わり得るとガリレイは考えていたからだと思うのです。
コメント
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