スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

香港国際競走&分類の規準

2020-12-14 19:04:05 | 海外競馬
 香港のシャティン競馬場で行われた昨日の国際競走。
 香港スプリントGⅠ芝1200m。ダノンスマッシュは少し押しながら7番手の外。タワーオブロンドンは9番手の外。コーナーでダノンスマッシュの外まで上がって直線に。ダノンスマッシュは内から6頭目でタワーオブロンドンはその外。タワーオブロンドンはまったく伸びを欠き,勝ち馬から10馬身4分の3差で13着。ダノンスマッシュはよく伸び,内の馬をすべて差し切ると後ろからの追い上げも凌いで優勝しました。タワーオブロンドンは速力に翳りが見えていましたので,苦戦すると思っていましたが,これほど負けるのは,能力以外の要因もあったと推定されます。ダノンスマッシュは大レースは勝てていませんでしたが,勝っていた馬に匹敵する能力があることは明白だったので,チャンスはあると思っていました。スプリント路線では強い香港の馬を相手に外を回ってのもので,強い内容だったと思います。
 優勝したダノンスマッシュはセントウルステークス以来の勝利。重賞7勝目で大レース初制覇。父は2012年2013年に連覇を達成したロードカナロアで父仔制覇。騎乗したイギリスのライアン・ムーア騎手は昨年の朝日杯フューチュリティステークス以来の日本馬に騎乗しての大レース11勝目。管理している安田隆行調教師はJBCレディスクラシック以来の大レース16勝目。2012年,2013年に続く香港スプリント3勝目で海外重賞も3勝目。日本馬による海外重賞の勝利は昨年の香港国際競走の3勝以来。香港スプリントは7年ぶり3回目。
 香港マイルGⅠ芝1600m。アドマイヤマーズは押して2番手。内の逃げ馬より前に出るかの勢い。コーナーで並び直線に。残り400mから追われると,突き抜けた勝ち馬には楽に差されましたが,3頭による2着争いには最後まで加わり,勝ち馬から2馬身4分の1馬身差,2着馬からは4分の1馬身差の3着でした。この馬に適したレースをしての結果で,勝った馬が強かったというほかありません。ペースがもう少し早い方が,持ち味はより生かせた可能性はあるでしょう。
 香港カップGⅠ芝2000m。ダノンプレミアムは逃げ馬の外から最初のコーナーで下げて2番手。やや行きたがっていました。ウインブライトが4番手でノームコアが5番手。ダノンプレミアムは楽な手応えで直線に入りましたが,行きたがっていたのが響いたのか伸びを欠き,勝ち馬から2馬身差の4着。出走した日本馬の中では最も能力が高いと思っていましたが,この馬は相変わらず相手関係よりも自身との闘いが必要なようです。ウインブライトは3番手で直線に入り外へ。さらに外を回ったノームコアに差されて4分の3馬身差の2着。この馬はシャティン競馬場への適性が高いのですが,今年の日本でのレースの内容からは能力がやや衰えていると感じていましたので苦戦と思っていました。ですのでこの結果は僕にとっては好走だと思います。ノームコアは5番手で直線に向き大外へ。内の各馬を差し切って優勝しました。この馬は札幌記念を牡馬相手に勝っていましたので,彼我のレベル差を考慮すればチャンスはあるとみていました。最後までよく伸びていたように,仕掛けのタイミングが絶妙だったということになりそうです。
 優勝したノームコアは札幌記念以来の勝利。大レースは昨年のヴィクトリアマイル以来の2勝目。母の父はクロフネ。3代母がラスティックベル。ひとつ下の半妹に昨年のクイーンカップと秋華賞,今年の京都記念と宝塚記念を勝っている現役のクロノジェネシス。Normcoreは究極の普通というファッションの潮流。騎乗した香港のザカリー・パートン騎手は2014年のコーフィールドカップ以来の日本馬に騎乗しての大レース2勝目。日本では2015年に高松宮記念を勝っています。管理している萩原清調教師は昨年のヴィクトリアマイル以来の大レース8勝目。海外重賞は初勝利。日本馬による香港カップ制覇は1995年,1998年,2001年,2015年2019年に続き2年ぶり6回目。
 香港では中国本土の政府による市民への弾圧が強まっています。僕はこの事態に強く抗議するとともに,抵抗する市民の方々を支持します。

 ある事物の現実的本性actualis essentiaが,他との関係を消去して考察し得ないものであるとすれば,スピノザの哲学というのは,ある事物,とくにある個物res singularisが別の個物と関係するということを前提した哲学であることになります。別のいい方をすれば,ある個物が別の個物と関係するということを与件としなければ,スピノザの哲学は成立しないということになります。第一部定理一六から容易に推測できるように,そうした個物というのは無限に多くあります。つまり無限に多くのinfinita個物の関係性の下に,スピノザの哲学は成立していることになります。この意味において,僕はスピノザの哲学は静哲学ではなく動哲学であると考えるのです。
                                        
 もちろんこうしたことは僕の見解opinioなのであって,これとは別の見解があり得るということも僕は認めます。たとえばニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheは,ニーチェ自身の哲学が動哲学なのであって,それと対比したときにスピノザの哲学は静哲学であるというかもしれません。これは何をもってそれを静哲学といいまた動哲学というのかという規準が異なるから見解が異なることになるのであって,少なくとも何が静哲学で何が動哲学であるかということを分かつ規準がそれぞれによって異なり得るということは認めなければならないでしょう。そもそも動哲学とか静哲学というのは,静力学と動力学に対応させて僕がここで便宜的に名付けた分類にすぎないからです。よって僕と異なる見解があったとしても,僕はそのことについて強硬に反論するつもりはないということは理解しておいてください。ただ僕がここでいいたかったのは,新科学から新哲学を僕が類推するのは,ただ単に新しい学問ということばでの上での一致があるからというだけであるわけではなく,静と動という対比もそこにあるように思えるからだということです。
 ステノNicola StenoがデカルトRené Descartesの哲学を新哲学といっていることと,ガリレイGalileo Galileiが自身の科学を新しい科学と自負していることの間に,何らかの関係があるのか否かということは僕にははっきりとは分かりません。ただ,ガリレイとデカルト,そしてスピノザというのは,そう遠くない時代に生きた人間という意味で,同時代人であったということは事実です。
コメント
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