グランプリの昨日の第65回有馬記念。
モズベッロは発馬のタイミングがまったく合わずに4馬身の不利。キセキは発馬後の加速が鈍く2馬身の不利。少しばかり枠に入るのを嫌っていたバビットの逃げ。2番手にブラストワンピースとオーソリティとフィエールマン。5番手にワールドプレミアとクレッシェンドラヴとオセアグレイトとカレンブーケドール。9番手にペルシアンナイトとラッキーライラック。11番手にラヴズオンリーユーとクロノジェネシス。13番手にキセキ。14番手にユーキャンスマイルとサラキア。最後尾にモズベッロという隊列。16頭が凝縮してのレースになりました。最初の1000mは62秒2の超スローペース。
3コーナーではフィエールマンが単独の2番手。3番手にカレンブーケドールとクロノジェネシスとなり,キセキが外から5番手まで追い上げてきてその後ろにオーソリティとラッキーライラック。直線に入るとすぐにフィエールマンが先頭に。これを外からクロノジェネシスが追ってきて,フィニッシュを前に差し切って優勝。後方から大外を鋭く伸びたサラキアがクビ差で2着。一旦先頭のフィエールマンはクビ差で3着。
優勝したクロノジェネシスは宝塚記念以来の勝利で大レース3勝目。今年はジャパンカップの上位3頭が出走しなかったため,例年よりややレベルが下がりました。僕はワールドプレミア,クロノジェネシス,フィエールマンの3頭が優勝候補と見立てていましたが,ワールドプレミアは3コーナーでレースが動いたときに位置取りを下げざるを得ず,それが響いて5着が精一杯。フィエールマンとクロノジェネシスの勝敗を分けたのはおそらくペースで,フィエールマンにとってはもっとペースが速くなり,スタミナを問われる度合いが高くなった方がよかったのだろうと思います。2着のサラキアは無欲の追い込みといった感はあり,これもペースが向いた面はあるでしょうが,このメンバーでここまで走ったのは高く評価しなければなりません。ペースがあまり上がらないレースが増加していることと,斤量面で有利な牝馬の活躍が目立ってきていることの間に,いくらかの因果関係があるのではないかと僕はみています。母の父はクロフネ。3代母がラスティックベル。ひとつ上の半姉に一昨年の紫苑ステークス,昨年のヴィクトリアマイルと富士ステークス,今年の札幌記念と香港カップを勝っている現役のノームコア。Genesisは創世記。
騎乗した北村友一騎手はJBCクラシック以来の大レース7勝目。有馬記念は初勝利。管理している斉藤崇史調教師は宝塚記念以来の大レース5勝目。有馬記念は初勝利。
僕の考えでいえば,スピノザが実体substantiaとしての量といういい方をするとき,ここまでに示してきたこと,すなわち実体と別の実体の区別distinguereは,理論の上で実在的区別であるという点に気を付けておかなければならないのです。それは単に無限infinitumとしての量というのを意味するわけではなく,あくまでも実体としての量なのです。すなわち,無限様態modus infinitusは無限であったとしても,同じ属性のほかの様態とは様態的に区別されます。そして様態的区別は数的区別であり得るのです。実際には第一部定理二一と第一部定理二二から分かるように,各々の属性attributumの直接無限様態も間接無限様態もひとつしかないのですから,ある属性の直接無限様態がほかの直接無限様態と数によって区別されるということはありませんし,このことは間接無限様態の場合も同じです。しかし少なくとも論理的には数的区別は様態的区別なのですから,実体としての量ということの中には,それが数的な意味ではないものとしての量ということが含意されていると考えるべきなのです。僕は前に,実体としての量といわれているからにはそれは量であることは否定できないけれども,一方で数ではないといういい方をしましたが,そこで僕がいいたかったことは,概ねこのようなことだったのです。

数というのは必ず分割することが可能なものです。このことを僕たちは直観的に理解することができるでしょう。また逆に,数というのは必ず別の数と組み合わせてより大きな数を構成します。しかし実体としての量というのは,このどちらにも該当しません。実体としての量というのは分割することが不可能な量のことを意味していると同時に,それを超越する,いい換えればそれを限定するような量というのが存在しないような量のことをいうのです。これは,数というのは無際限に分割できるしまた無際限に増加させていくものであるのに対し,実体としての量は無限であるという意味において,無限と無際限indefinitumの相違も同時に意味しています。
これがスピノザの無限のパラドックスの解消の仕方です。しかしサルヴィヤチSalvyachiすなわちガリレイがいっていることは,単に数学的意味に限定されるわけではないと僕は思います。
モズベッロは発馬のタイミングがまったく合わずに4馬身の不利。キセキは発馬後の加速が鈍く2馬身の不利。少しばかり枠に入るのを嫌っていたバビットの逃げ。2番手にブラストワンピースとオーソリティとフィエールマン。5番手にワールドプレミアとクレッシェンドラヴとオセアグレイトとカレンブーケドール。9番手にペルシアンナイトとラッキーライラック。11番手にラヴズオンリーユーとクロノジェネシス。13番手にキセキ。14番手にユーキャンスマイルとサラキア。最後尾にモズベッロという隊列。16頭が凝縮してのレースになりました。最初の1000mは62秒2の超スローペース。
3コーナーではフィエールマンが単独の2番手。3番手にカレンブーケドールとクロノジェネシスとなり,キセキが外から5番手まで追い上げてきてその後ろにオーソリティとラッキーライラック。直線に入るとすぐにフィエールマンが先頭に。これを外からクロノジェネシスが追ってきて,フィニッシュを前に差し切って優勝。後方から大外を鋭く伸びたサラキアがクビ差で2着。一旦先頭のフィエールマンはクビ差で3着。
優勝したクロノジェネシスは宝塚記念以来の勝利で大レース3勝目。今年はジャパンカップの上位3頭が出走しなかったため,例年よりややレベルが下がりました。僕はワールドプレミア,クロノジェネシス,フィエールマンの3頭が優勝候補と見立てていましたが,ワールドプレミアは3コーナーでレースが動いたときに位置取りを下げざるを得ず,それが響いて5着が精一杯。フィエールマンとクロノジェネシスの勝敗を分けたのはおそらくペースで,フィエールマンにとってはもっとペースが速くなり,スタミナを問われる度合いが高くなった方がよかったのだろうと思います。2着のサラキアは無欲の追い込みといった感はあり,これもペースが向いた面はあるでしょうが,このメンバーでここまで走ったのは高く評価しなければなりません。ペースがあまり上がらないレースが増加していることと,斤量面で有利な牝馬の活躍が目立ってきていることの間に,いくらかの因果関係があるのではないかと僕はみています。母の父はクロフネ。3代母がラスティックベル。ひとつ上の半姉に一昨年の紫苑ステークス,昨年のヴィクトリアマイルと富士ステークス,今年の札幌記念と香港カップを勝っている現役のノームコア。Genesisは創世記。
騎乗した北村友一騎手はJBCクラシック以来の大レース7勝目。有馬記念は初勝利。管理している斉藤崇史調教師は宝塚記念以来の大レース5勝目。有馬記念は初勝利。
僕の考えでいえば,スピノザが実体substantiaとしての量といういい方をするとき,ここまでに示してきたこと,すなわち実体と別の実体の区別distinguereは,理論の上で実在的区別であるという点に気を付けておかなければならないのです。それは単に無限infinitumとしての量というのを意味するわけではなく,あくまでも実体としての量なのです。すなわち,無限様態modus infinitusは無限であったとしても,同じ属性のほかの様態とは様態的に区別されます。そして様態的区別は数的区別であり得るのです。実際には第一部定理二一と第一部定理二二から分かるように,各々の属性attributumの直接無限様態も間接無限様態もひとつしかないのですから,ある属性の直接無限様態がほかの直接無限様態と数によって区別されるということはありませんし,このことは間接無限様態の場合も同じです。しかし少なくとも論理的には数的区別は様態的区別なのですから,実体としての量ということの中には,それが数的な意味ではないものとしての量ということが含意されていると考えるべきなのです。僕は前に,実体としての量といわれているからにはそれは量であることは否定できないけれども,一方で数ではないといういい方をしましたが,そこで僕がいいたかったことは,概ねこのようなことだったのです。

数というのは必ず分割することが可能なものです。このことを僕たちは直観的に理解することができるでしょう。また逆に,数というのは必ず別の数と組み合わせてより大きな数を構成します。しかし実体としての量というのは,このどちらにも該当しません。実体としての量というのは分割することが不可能な量のことを意味していると同時に,それを超越する,いい換えればそれを限定するような量というのが存在しないような量のことをいうのです。これは,数というのは無際限に分割できるしまた無際限に増加させていくものであるのに対し,実体としての量は無限であるという意味において,無限と無際限indefinitumの相違も同時に意味しています。
これがスピノザの無限のパラドックスの解消の仕方です。しかしサルヴィヤチSalvyachiすなわちガリレイがいっていることは,単に数学的意味に限定されるわけではないと僕は思います。