書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○豚小屋の栄光。

2019年03月04日 12時41分55秒 | 意識論関連
AIを用いて錯覚の研究をしている人が言ってたんだけど

「錯覚であることを理解しても 錯覚によって促される感覚自体はなくならない」

これは感覚という主観は錯覚から逃れることが出来ないということでもある

錯覚を錯覚であると認識するのは客観的論理的理解であって 主観的感覚ではない



ヒトが社会安全性を求めるのも 結局は欲求欲望であることに違いはないのだが

社会的責任に基づいた欲求というものは自己の様々な欲望の中から論理客観的に選択されたものであり

それは 単なる目先の欲望の強度程度に流されるだけの無意識から導き出されるものではない



養老だの西部だのといったオカルト右翼ジジイに話を丸め込まれて その場限りに気分的安心満足をすることで客観的論理検証性を喪失し 理論的に有り得ない「客観的事実などない」だの「理性や人知を超越した叡智」といった嘘を誰も疑うことなく鵜呑みにする

論理というものは 欠陥があると誤った動作結果をもたらす

論理的な欠陥がどこにあるのかを丹念に探すことをせずに 論理検証自体を放棄するという支離滅裂な行動選択を 文科系大衆マスコミや生物学者や哲学者は平気でやらかすのである

オルテガは大衆の暴力的解決を批判したが 保守体制による呆然とした問題放置も 結局は同じ「論理検証性の放棄」という意識の怠慢が引き起こすものであることに違いはない

大衆は論理を嫌う

論理的思考検証は地道で面倒臭いからである

面倒臭いことを地道に丹念に行うよりも 何も考えずに呆然と傍観放置したり 暴力破壊に頼ったりと 極端な解決法しか選択したがらない

それは ヒトが生物であるという先天的欠陥による「習性」に他ならない

折角大きな容量の脳を持って産まれてきているにも関わらず その優位性を全く活用せずに 大多数の大衆は目先の欲望に流されるだけの無意識しか発揮することはない

社会安全性に関わる論理検証は誰もやりたがたない癖に 大学入試の成績競争には必死になって煽るのが大衆の価値観である

こうした大衆の価値観には論理根拠がなく 鵜呑みにしていると大学院を卒業しても糞の役にも立たないバカにしかならない

だから九州大学の研究室は燃やされたのである それは大衆観念上は「かわいそう」などと あたかも「政治が悪い」かのように報道するが そもそも大衆観念自体を鵜呑みにしているマスコミの頭の悪さの方が問題なのである

大衆観念に基づいた強迫観念的な学力偏重主義の方に問題の根源があるのに それを棚上げにしておいて「制度が悪い」かのように言い出すのは 問題のすり替えでしかない

そもそも 制度に間違いがあるなら その間違いを指摘したり改善するための「知性」なんじゃねぇのか?

なのに「評価が得られないから 研究室ごと自分も燃やしました」なんていう暴走破綻行動を「かわいそう」などと主観的に形容して正当化するのは 頭がおかしい

何がしたいのかを主体的に選択する本質的な「意思」がないから 「悪いのは環境のせいだ」などという通り魔的発想に帰結してしまうのである

現状の社会に問題や欠陥があることは当たり前である それを改善するために知能が必要なのであって 欠陥を特定して改善策を提示するという合理性ある建設的行動選択こそが知能知性の役割である

世間的評価などという利己的利益を目的にしているから 知性本来の「目的」を忘れるのである

一体何のための学力なのか 誰も「考え」ていないんだろう

クイズの正解率なんぞ具体的に社会にとって何の役にも立たないが 大衆観念上は「頭が良い」と誉めそやし 崇め奉って満足したいだけなんだろう

だから学問が糞の役にも立たなくなる



Ende;
コメント
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